収蔵庫・壱號館

日本の20世紀をメインとした建築画像の保管庫
旧多摩聖蹟記念館

  

1930年,東京都多摩市,関根要太郎(担当:蔵田周忠),現存(撮影2019年)

 

  

明治天皇の行幸を記念して建てられた建物。楕円同心円が重なる平面であり、その中心部には明治天皇の騎馬像が展示されている。

外観は列柱が威容を示している。


先ごろ開催された関根要太郎展で展示された計画案パースを見たところ、長大なアプローチの先に仰ぎ見るような神殿風のイメージが示されており、私の見るところでは、さながら表現主義建築家ハンス・ペルツィッヒのザルツブルク祝祭劇場第一次案をほうふつとさせるものがあった。


分離派の建築家として知られる蔵田周忠は三橋建築事務所時代の関根の後輩であり、関根事務所の作品を多く担当した。この聖蹟記念館も同氏が関与したとされる。

    

 

  

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

| 1930年− | 23:05 | comments(0) | - | pookmark |
GUNKAN東新宿(旧ニュースカイビル,旧第3スカイビル)

1970年,東京都新宿区,渡邊洋治,現存(撮影:2018年)

 

最近のリニューアルまでに建物名称も何度か変遷したが、ニックネーム「軍艦マンション」でずっと通っていることは間違いなさそうである。

私が学生の頃に遠目で見た外観は、多数の金属製ユニットを思わせるパネルのせいか、メタボリズム系の建物かと思っていた。しかしそれはどうも違っていたようだ。イメージ先行。むしろニックネーム「軍艦」の戦闘的なイメージこそが建物デザインの本質であったようである。1960年代末期の沸騰の時代が形になったと言うべきか。ガチガチの機能主義信奉のただ中にあって、時代精神を造形化することは当時にあっては異端の為せる業、冒険であったかもしれない。ただそうしたことを想像できる私のような年配者もだんだん少なくなった。そういうご時世であるようだ。

 

それから私にとっては映画「マルサの女」のロケ地としての記憶もある・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 1970年− | 22:59 | comments(0) | - | pookmark |
プーク人形劇場

   

1971年,東京都渋谷区,設計:不詳,現存(撮影2015年)

 

人形劇団の歴史や信念がコンクリート打ち放しのファサードいっぱいに刻み込まれ、それらが放つ意志そのものがひとつの建築に昇華したかのようにみえる、稀有な建物かもしれない。

 

   

 

沿革を辿ってみると人形劇の活動は大正末期に遡り1929年に人形クラブを意味するエスペラント語“LA PUPA KLUBO”として出発、略してPUK(プーク)となり、人形劇団プークと称することになったのだそうである。創立者にして夭折した川尻東次の志を受け継ぎ、戦中戦後の苦難の道程にも活動の灯を絶やすことなく、その結実として1971年に日本初の人形劇専門劇場が誕生した。HPを拝見すれば、その活動史には自分自身も小さい頃にテレビで見た演目もある。

 

劇場の建物は子供たちを夢の世界へ導く入り口、「重たい」歴史を感じさせず、明るい感覚とうまくバランスしているところもさすがなのかもしれない。

 

 

     

 

  

 

      

 

 

 

 

 

 

 

 

| 1970年− | 00:04 | comments(0) | - | pookmark |
【展覧会のお知らせ】農民美術児童自由画100年展

 

   

当ブログでも何度かご紹介した、1919年に山本鼎の提唱により開始された農民美術運動、及び児童自由画運動の100年記念展覧会が長野県上田市立美術館(サントミューゼ)で開催されています。

農閑期に農民が工芸品を生み出し精神的にも実生活にも豊かさを得るように、また子供たちが手本丸写しの図工の授業から解放され創造性を発揮できる場とするよう訴えたのでした。100年前の時代状況においてこうした理想を現実のものとした画期的な出来事に対して、改めて思いを馳せてみようということなのです。

 

また長野県出身で分離派建築会のメンバーであった建築家瀧澤眞弓は、山本鼎の求めに応じて農民美術の工房と研究を行う本拠建物「農民美術研究所」を1922年に設計、翌1923年に竣工しました。それは北欧の茅葺き農家をモデルにしたなかなか斬新な建築なのでした。そこで私も、今はなき建物を図面を基に1/50のスケールで再現した模型を製作(↓画像)、この展覧会で展示される運びとなりました。

 

    

 

下の画像は農民美術の代表的工芸品いわゆる木片(こっぱ)人形をもとに、現代の地元の若い人の感性によって創られた人形たちです。

このように、農民美術は山本が目指した100年前の目的を変容させながら、今も地域の人々による自由で高い質を持つ工芸として継承されていることを知る機会となっている、そうした点もこの展覧会の大きなみどころです。

 

    

 

(↓)特別に許可を頂いて撮った、展示中の農民美術研究所の模型です。

 

 

 

当時は、農民美術の練習場所として、また自由画の展覧会場として地元の小学校が使用されていました。美術館を出たあと小学校に行ってみると中川一政が揮毫した記念碑(↓)がありました。また山本鼎記念室もありました。地元にとってかけがえのない人物として現在も変わらず尊敬されていることが分かりました。

 

    

 

 

 

 

 

 

 

 

| お知らせ | 23:54 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
千駄ヶ谷で見かけた、気になる黄色いビル

1970年(?),東京都渋谷区,設計者不詳(レリーフ作者不詳),現存(撮影:2018年)

 

東京都内です。中央線沿いの通りを千駄ヶ谷から代々木方面に向かって歩くと、コンクリートの外壁が見事なレリーフで飾られた、黄色い色のビルがある。(窓の中は見えないように消去、加工を施してあります)

良い建物だと思うのだが設計者もレリーフの作家も分からない。作家のサインとして「BiT.」それに「○にY」、1966と彫られている。不動産情報としては1970年に建てられたようなのだが、彫刻の数字と一致しない。

でもやはり気になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 1970年− | 19:05 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
CALENDAR
S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< March 2020 >>
SPONSORED LINKS
RECOMMEND
叢書・近代日本のデザイン 25 [大正篇]
叢書・近代日本のデザイン 25 [大正篇] (JUGEMレビュー »)
分離派建築会,関西分離派建築会
「分離派建築会」作品集3刊の、初の復刻本が刊行されました。末尾の解説文は私が担当しました。
収蔵庫・壱號館
ここは本家サイト《分離派建築博物館》背 後の画像収蔵庫という位置づけです。 上記サイトで扱う1920年代以外の建物、随 時撮り歩いた建築写真をどんどん載せつつ マニアックなアプローチで迫ります。歴史 レポートコピペ用には全く不向き要注意。 あるいは、日々住宅設計に勤しむサラリー マン設計士の雑念の堆積物とも。
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
RECENT TRACKBACK
モバイル
qrcode
LINKS
PROFILE