旧・奈良県物産陳列所
1902年,奈良県奈良市,関野貞,現存(撮影:2014年)
明治期の建築物産展示販売のための施設。現在は奈良国立博物館の仏教美術センターとなっている。
設計者関野貞(せきのただす)は、内務省技師として奈良県の古社寺建造物修理に尽力した建築学者。調査保存修理数々の成果を挙げた。「法隆寺再建非再建論争」においては、非再建側に立って論争を引き起こしたことでも知られる。
調べてみるとこの建築は、関野の平等院鳳凰堂研究の成果が反映された建物なのだそうである。確かにそのように見える。ただ私が最初に見た印象では、日本の伝統的な木造建築を用いながら、西欧の様式建築に一般的なシンメトリーの立面との融合を試みたようにも見えた。
正面に唐破風を取り入れつつ窓廻りにイスラム風の装飾を取り入れるなど、今日的な目からするとかなり特異な外観が目を惹くのだが、大胆に新しい試みを行う明治時代の意気込みとして理解したいところ。似た試みを行ったことでは伊東忠太がよく知られるが、因みに伊東の生年は1867年、関野は1868年生まれ。同分野で活躍した同世代の二人がこれだけ共通したアプローチとなった辺りも興味深い。
旧奈良監獄(奈良少年刑務所)
1908年,奈良県奈良市,司法省営繕課(山下啓次郎),現存(撮影:2014年)
奈良県庁の東の交差点からの道をとぼとぼ歩き、坂道を登りつめた辺りに中世の城郭を思わせる煉瓦を主体に石材も用いた表門が立ち現われた。なかなか感動的であった。本物の煉瓦造とはこういうものだったのか、と思わせてくれる。
この表門(ひょうもん)を含め塀の建物も大体そのまま100年以上実用に供されているとのことであり、このように当初の姿を留めるのは、明治期の五大監獄の中でもここだけという。
塀の内部はいわゆる「パノプティコン」という一望監視システムに即しており、建物が放射状に配置されている。J.ベンサムが考案したパノプティコンとは、神でも王でもないシステムが人を管理することを示す近代の権力機構のあり方を示すひとつのモデルとして引き合いに出される。これについてはかつてM.フーコーが論じていた。西欧化を推進した明治期の日本が取り入れた大規模な実例が、ここにあるというわけだ。
***
さて、奈良はさすが色々と興味深い建物がひしめいている。折角なので、奈良県庁の東の交差点からここに歩いて辿り着くまでの道行きで出会った建物を簡単にご紹介しようか。
▼およそ100年前の明治近代の建物について上述したのだが、それよりもはるか昔、日本最初の近代化とも言る奈良時代の建築、築1200年を経て建つ国宝「東大寺 転害門」を見た。天平文化に思いを馳せ眺めていると、時間が経つのを忘れてしまいそうになる。デザインも面白い。
▼そして「北山十八間戸」という、忍性の開設によるハンセン病救済施設を見た、というか初めて知った。鎌倉時代に開設され江戸時代の終わりまで機能したそうで、ここにある建物は江戸時代に旧状そのままに修築されたものだそうである。
もしや遥か光明皇后の施薬院に起源を発するのかなとも思ったが、どうもそれは違うらしい。しかし医療史上の記念碑的な建物が何気なく現存しているあたり、さすが古都奈良である。
▼そのそばにある、煉瓦造の「奈良市水道局計測室」は小さいながらも凝ったデザインであった。ちょっと朽ちかけていたようだがもったいないと感じた。
旧・東京商船大学 第一,第二観測所
(↑第一観測所(赤道儀室))
1903年,東京都江東区,三橋四郎(推定),現存(撮影:2012年)
ある休日、天気も良いし展覧会の帰りに東京海洋大学のキャンパスにある煉瓦造の旧天文観測所に寄ってみることにした。現存する天文台としては最古だそうで、関東大震災や戦災を経て生き延びた建物は見るからに頑丈で堂々としていた。終戦後にアメリカ軍に接収された際内部の施設は撤去されたと言われ、望遠鏡などの機器も既に失われている(*1)。
設計者は三橋四郎(1867―1915)と推定され、ちょうど三橋が逓信省技師であった時期に、当時逓信省の所管であった商船学校の施設として設計にあたったのではないかと考えられている。
三橋四郎が著した『和洋改良大建築学』(1911)p.37にこの観測所の記述と基礎の図があるとのことなので、デジタルライブラリーで調べてみたところ、本当に載っていた。その部分を引用しておきたい。
「・・・東京越中島商船学校敷地ハ地質湿気多キ泥土ニシテ軟弱ナルヲ以テ可成震動セザル煉瓦造ノ観測台ヲ築造スルニ角材ヲ組合セコンクリートヲ打チ充分ノ根積ヲ為シタリ・・・」(傍線著者)
基礎断面図にも角材の上にぶ厚い(寸法は5'と記され、つまり厚さ5尺(約1.5m)ということか)コンクリートの断面が記してあった。
写真は上の3枚が第一観測所で「赤道儀室」とも呼ばれていた。赤道儀室とはどういうことなのか調べてみたところ、ごく簡単に言って、日周運動で動いてしまう天体を追尾しながら望遠鏡で観測することが可能な造りを指すらしく、恐らくここではドームの部分が回転することにより、そうした役目を果たす施設になり得ていたのだろう。
下の2枚の写真は第二観測所「子午儀室」。こちらの施設では子午線方向(南北方向)にだけ向けられる望遠鏡によって天体が子午線を通過する瞬間を観測し子午線通過時刻や経度を割り出すことを目的としている。縦に長い特殊な形の開口部が、その観測窓であろうか。
(↑第二観測所(子午儀室))
*1:「東京海洋大学越中島キャンパスの西洋建築」(東京海洋大学財務部施設課 城山美香,文化庁月報H23.8 No.515)などを参照。
五浦六角堂
1905年,茨城県北茨城市,岡倉天心,非現存(2011津波により流失),(撮影:1996年)
日本美術院を創設した岡倉天心によって、その活動拠点として建てられた建物のうちのひとつ。茨城県五浦海岸に岡倉天心の居宅、日本美術院研究所が設けられ、そして六角堂は海に向かって突き出し波を望むように建てられた。正式には「観瀾亭」と称する。上図は内部を撮った写真で、畳が台形の組み合わせなのに感心した。
横山大観,下村観山,菱田春草,木村武山らがこの地において制作に励み一時期近代美術史上の拠点とも言われる。現在も日本美術院は存続して活動を続けている。
しかしながら六角堂については、今回の東北関東大震災の津波に呑み込まれ流失したとの報道がなされた。
下関南部町郵便局(旧・赤間関郵便電信局)
いつものように、おさえておきたい歴史的建築物と個人的嗜好だけの建物がごちゃまぜの探訪記録であることには、もちろん要注意なのです。
1900年,山口県下関市,逓信省(三橋四郎),現存(1984年改修) (撮影:2010年)
江戸期の北前船、明治以降は有数の漁港と貿易港としても栄えた下関において、1896(明治29)年の唐戸湾の埋め立て整備はひとつの引き金として作用、外国の商館や領事館が集り町並みを形成するまでに発展した。
今日では海産物の観光拠点としてにぎわう一帯に、旧・英国領事館、旧・秋田商会、そしてこの旧・赤間関郵便電信局が建つ(前二者は丁度改修工事中のため見られなかった)。
この局舎は、煉瓦造で現役郵便局として日本最古。設計者の三橋四郎は、陸軍省,逓信省,東京市を歴任し、設計と同時にや技術的な改良に腕を振るうも1915年に48歳の働き盛りに逝去した。三橋の経歴においても、これは最も古い現存作例に位置する。
1983年に改修を受けたこのファサードは、遠目に一見下見板貼り風でもあり、寄るとアーチの辺りは積石風に目地が付けられていたのが判る。横目地をとって吹付材で仕上げられた装飾目地であったので、どうも奇妙な感じを受けたのだが、やはりこれも調査の結果に基づく復元的改修であったと知る。創建時にも煉瓦の構造体の上に横目地入りの漆喰塗りの仕上げが行なわれていてことが判明し、基本的に踏襲した改修工事だったのである。(*1)明治期洋風建築らしい自由な発想がしのばれる。
中庭側は今も、煉瓦と漆喰の外壁が歴史の風合いそのままに残されているらしい。
*1:観音克平「煉瓦造郵便局の耐震改修に伴う調査研究」(日本建築学会学術講演梗概集,1998)
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- ここは本家サイト《分離派建築博物館》背 後の画像収蔵庫という位置づけです。 上記サイトで扱う1920年代以外の建物、随 時撮り歩いた建築写真をどんどん載せつつ マニアックなアプローチで迫ります。歴史 レポートコピペ用には全く不向き要注意。 あるいは、日々住宅設計に勤しむサラリー マン設計士の雑念の堆積物とも。
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