2023.05.10 Wednesday

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    2012.01.07 Saturday

    アクアマリンふくしま(ふくしま海洋科学館)

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      2000年,福島県いわき市,日本設計,現存(撮影:2011年12月)

       前回の湯本の「三凾座」に続いてここ小名浜にあるのは最新鋭の「アクアマリンふくしま」。いずれも福島県いわき市にあり、建築時期には約100年の開きがある両建物なのだが共に健在であった。

       開館後は「アクアマリンふくしま」という愛称で親しまれているが正式名称は「ふくしま海洋科学館」であり、元を辿ると1996年「福島県海洋文化学習施設」の指名設計コンペにおける最優秀案であった。コンペの時点で既に、水槽の中の魚を眺めるだけでなく海洋生物と動植物が生育する一体化した環境を展示、触れ合うことが提案されていた。 
      だから実現したアクアマリンでは、他では定番のイルカショーなど行われない。その代わりにメダカやタナゴ、カエルとじかに触れヒトデやナマコとじっくり戯れることができる。干潟や磯など様々な環境が作られているのだ。(私事で恐縮だが、実家がこの近くなので帰郷した際は我が子もここで一日中遊ぶことを楽しみにしていた)
       また海洋の歴史を学習できる博物館の機能を持ち、さらには飼育困難とされた海洋生物を飼育することでは特に有名である。例えばサンマの繁殖と飼育、あるいはいわきの名物でもあるメヒカリも飼育されている。いつも私たちはお皿の上で死んだオカズとして彼らにお目にかかっているのだが、もしも生きた状態で魚たちに挨拶がしたくなったならばここに来なければならない、ということである。

       この建築を特徴付けているのは、こうした様々な生育環境と見学する人々を包み込み、外界の環境をうまく制御するガラスシェルターであろう。光を取り入れつつ強風を防ぎ、かつ本来の自然環境と隔絶されることなく繋がっていることが形にも表れている。自然光は内部の水槽にも降り注いでいるらしい。また、建物はここ小名浜港の旧2号埠頭の先端に位置し、ちょうど停泊する大型船のようにも見えたり角度によっては帆船の帆のようでもある。
       こうした独創的かつ周辺とも調和したデザインにより、2003年の建築学会作品選奨に選ばれた。

       「アクアマリンふくしま」は、建物本体の工事に入る前に地盤の液状化対策が入念に施されてから建設されたとのこと。その結果、幸いにも3月11日の地震による建物本体への被害はごく微細であったようだ。しかし大津波によって電気系統が壊滅、飼育されていた海洋生物の9割が死んでしまうという悲しい事態に至った。また液状化対策が施されなかった周囲の地面はかなり歪んだ。

       しかし関係する人々の必死の努力で昨年7月には再開館にこぎ着けた。詳細については、スタッフによるブログ「アクアマリンふくしまの復興日記」を是非ご参照頂きたいのだが、3.11の恐怖の実態とそこから立ち直る姿に大いに心打たれる。もちろんサンマもメヒカリも戻って来た。
       そして、私が訪れた年末にはシーフロントプロムナード付近の工事が進められていた。夜景が素敵ないわきの名所の、完全復活は近い。

           
           




      2010.09.11 Saturday

      旧・メルパルク日光霧降

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        1996年,郵政大臣官房施設部, ヴェンチューリ,スコット・ブラウン・アンド・アソシエイツ 他,栃木県日光市,現存(撮影:2010年)

         かつてのポストモダニズムがどれほど果敢な攻撃的行為であったのか、これを見れば納得できるかも知れない。
         '70〜'80年代を席捲し、日本でも流行的な盛り上がりを見せたポストモダニズムの旗手ロバート・ヴェンチューリによる、「正統なる」ポストモダニズム建築。時代の熱気が過ぎ去った「祭りのあと」に、今なおらんらんと光るむき出しの刃に遭遇してしまった。

         人気の少ない道路を滑りぬけるマイクロバスに身をまかせ、到着すれば一見するなり、確信犯的に感覚を逆撫でする「俗悪さ」「アイロニー」の毒を目いっぱい吸収する。そして私達は癒されない頭を抱えて屋上に運ばれ、書割りのような露天風呂で身体だけ癒す。ついさっき見たばかりの日光ユースホステルの純正モダニズムとの落差に打ちひしがれながら。それはそれである種の「悦び」はあるが・・。
             
         外観:「への字」の破風板が二次元的に貼り付いている。しかしそれが反復されたことによる三次元的軒下空間は、現実的な空間とは異なるものなのだ。
             

         内観:花飾りの電柱。だからこそ、ここはメイン・ストリートと理解する。だが、ほぼ無人に等しい。

         ヴェンチューリは、それまでの合理性と機能性という教条の束縛に対して、「Less is bore(少ないほど退屈)」とミースの箴言を皮肉っては対抗策に打って出る。禁欲的で純粋な美意識よ、如何ほどのものか。退屈なばかりではないか。というわけで、ハイブリッド(混成的)で折衷的な、換骨奪胎を伴った様式的装飾と象徴性の復活を目指したのであった。著書『ラスベガス』において、商業建築にヒントを得て「装飾された小屋(decorated shed)」と「アヒル(duck)」を提示したことは良く知られる。この日光の建物では、「日本人が誰ひとり思いつかない日本的モチーフ」による「装飾された小屋」が現出されている。
                    

        ただ、そうは言っても装飾は良く見るとやっぱりアメリカ的だ。ロイ・リヒテンシュタインのポップアートの「網点」を彷彿とさせるなど、当然ながら作品性はキープされている。
         そして、20世紀末の建物としての最終的な到達点は、無残なまでに装飾という「機械」に占められた結果としての「不在」の様相であろうか。つまり日常的な意味の世界が喪失された先の。彼方を見て並んだマッサージチェアのように。


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        ここは本家サイト《分離派建築博物館》背 後の画像収蔵庫という位置づけです。 上記サイトで扱う1920年代以外の建物、随 時撮り歩いた建築写真をどんどん載せつつ マニアックなアプローチで迫ります。歴史 レポートコピペ用には全く不向き要注意。 あるいは、日々住宅設計に勤しむサラリー マン設計士の雑念の堆積物とも。
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