西方寺授眼蔵仏教図書館
1919年、石川県南砺市、吉田鉄郎、現存(撮影:2023年)
吉田鉄郎が帝大建築学科を卒業したのは1919(大正8)年7月であった。つまりこの図書館は吉田が卒業する直前の学生時分に設計されたものであり、その作品経歴中においては習作的な位置づけとなるのだろう。しかし、後の逓信省建築などの作品群の変化の過程を知る上では結構重要な資料的意味を持つようにも思われる。
この建物の特徴として挙げておきたいのは、頂部が平らな直線状のアーチ窓が多数繰り返されていることである。寺院に関係する建物だからと言って「花頭窓」とは少し違うように思う。むしろ初期の吉田はハンブルグなど北ドイツ建築の影響を強く受けていたと言われるところから、当時の表現主義建築の語彙を元にした新傾向を意図したデザインなのではないかと推測している。
例えば同様の窓形状は、他にも吉田が設計し1926年に竣工した検見川送信所の3つの大きなアーチ窓(下の2枚の画像。左は竣工時、右は最近の内部見学時)にみられる。
(すぐ上に構造上の梁があったため平らにされたとの見方がされたが、授眼蔵図書館の窓の例を見ればそうではなく吉田が主体的に行ったデザインであったと言えるのではなかろうか。)
驚いたのは、入り口にある一対の大きなエンタシス(中央に膨らみを持つギリシャ古典建築の柱)の柱である。これは恐らく建築史の師であった伊東忠太の影響であろう。伊東は、ギリシャ古典など大陸のデザイン要素がシルクロードを経て法隆寺に伝わったとの持論を持っていた。それに奈良唐招提寺などに見られる「鴟尾(しび)」の瓦も大陸伝来の要素である。
たぶん吉田は仏教図書館という性格をエンタシスの柱やしびの瓦を用いて表象したかったのだろう。
福野町では下のような説明板があちこちに取り付けられている。昔ながらの街並みなどもよく残されている。
吉田鉄郎の生家があったところには、このような碑がある。ここには吉田が設計した福野郵便局の建物が存在していた。
旧・三井物産横浜支店生糸倉庫
1910年,神奈川県横浜市中区,遠藤於菟,現存(撮影:2014年)
日本で最初の鉄筋コンクリート構造物は1903(明治36)年完成の琵琶湖疏水上の橋であると言われる。また建築物において日本で初めて構造体全てを鉄筋コンクリート造(RC造)とした建物は、遠藤於菟設計による「旧・三井物産株式会社横浜ビル1号館(以下横浜ビルと称す)」(1911(明治44)年竣工)であると言われている。
さて、ここで取り上げた「旧・三井物産横浜支店生糸倉庫(以下生糸倉庫と称す)」(*1)は、その「横浜ビル」よりも約1年先立って竣工した。二つの建物は連続して建っている。(下の画像手前の建物が「横浜ビル」、奥が「生糸倉庫」)
生糸倉庫の方は、柱など一部が鉄筋コンクリート造のいわゆる混構造であったため、「日本最初のRC造」とまでは言われないが、しかし生糸倉庫の価値も横浜ビルと同様に高く貴重な建物であると考えられている。
生糸倉庫は、構造体全体をRC造とした三井物産横浜ビルに至るいわば前哨戦の建物に相当しよう。だが生糸倉庫をかたち作るRC混構造の構造形式は、後にも先にもないユニークかつ唯一無二のものであり、またそれは設計者の創意と苦心の痕跡を物語っている。さらに両建物により日本最初のRC造の出現のプロセスを示す証拠ともなっているわけで、こうした理由により外見上そう目立たない生糸倉庫もその価値は計り知れないのである。
遠藤於菟が考案した生糸倉庫の構造をもう少し具体的に言うならば、内部の柱と屋上スラブは鉄筋コンクリート造であり、床版は木組みでそれらを煉瓦造タイル貼りの外壁が覆っているというものであった。内部の写真と構造の模式図(大野敏氏作成)が日本建築学会関東支部の保存要望書(*2)に添付されているので、これを参照すればイメージし易いかもしれない。
こうした構造は今日では普通考えられないものだが、関東大震災に遭遇した際も生糸倉庫の機能を維持し商取引の継続に寄与したということなので、構造上の一定の有効性は実証済みと言えるではなかろうか。
設計者遠藤於菟と言えば、この建物の他に帝蚕倉庫建物群を設計した建築家としても知られている。
構造的な側面ばかりではなく外観について言えば、タイル貼りにバランス良く鉄扉付の窓が取り付けられただけと言っても良いような外壁面でありながら、深い味わいを感じさせるものとなっている。よく見るとタイル目地は覆輪目地となっていて、細やかな意匠上の配慮が感じ取られる。
そして全体にシンプルな外壁面に、私は何かしらモダニズムの予兆のようなものを感じたのであるがどうであろう。建築意匠の歴史の上でも意義のある建物ではないだろうか。
因みに(この建物と直接の関係は無いにしても)佐野利器が日本建築学会の誌上討論『我国将来の建築様式を如何にすべきや』において「・・・建築美の本義は重量と支持との明確な力学的表現に過ぎない事と思はれる・・・」と述べたことが思い起こされるのだが、この発言がなされたのは生糸倉庫が竣工したのと同じ1910(明治43)年のことであった。
***
生糸倉庫が近く解体されるのではないかとの情報がある中、建物の価値を知るためのシンポジウムが開催されるなど、にわかに注目が高まっている(*3)。
最近の富岡製糸場の世界遺産登録決定の例を持ち出すまでもなく、生糸産業は日本の近代化における基幹産業であり、横浜などの港町は貿易の拠点であった。この生糸倉庫がそのことを証し立てる横浜に現存する最古の倉庫であることなどがこれまでに指摘されている。
歴史を未来につなげるための資産として活かすことについて実績を持つ横浜に建つ建物のこと、そこで活動する企業にとっても、歴史的価値の高い建物をプラス材料として活して頂けるに違いないであろう・・・と、そのように私は希望をもって見守っていきたい。
現在「旧三井物産横浜支店生糸倉庫を壊してほしくない人々の会」が活動を行っているが、その一環として昨日から同会の主催による倉庫をテーマとした写真展が横浜で開催されている。
詳細は下記のとおり。場所は1957年に建てられた「防火建築帯」の建物(吉田町第一名店ビル。前話題中の画像「吉田町C」)なので、そちらの街並みも楽しみつつお気軽に覗いてみてはいかがだろうか。
***
【まちかどの近代建築写真展in横浜 テーマ:「倉庫」】
日時:9/20(土)〜27(土) 13:00〜19:00(最終日は18:00まで)
場所:Archiship Library&Cafe (中区吉田町4-9)
料金:写真展入場無料
主催:旧三井物産横浜支店生糸倉庫を壊してほしくない人々の会
協力:まちかどの近代建築写真展実行委員会
近代建築メーリングリスト・モダン建築探検隊
*1:ここでは旧・三井物産横浜支店生糸倉庫と称したが、「旧・日東倉庫日本大通倉庫」に同じ
*2:「KN日本大通りビル(旧三井物産横浜ビル)および旧三井物産横浜支店倉庫の保存活用に関する要望書」(日本建築学会関東支部,2014.7.28)
*3:「生糸を守った建築家『遠藤於菟』」(2014.9.18)
足利学校遺蹟図書館
1915年,栃木県足利市,星野男三郎,現存(撮影:2014.2~4)
日本最古の最高学府として知られる足利学校。そこでは儒学を中心に易学,兵学,医学などの教育が行われ、宣教師フランシスコ・ザビエルは「日本国中最も大にして最も有名な坂東のアカデミー」と記した。
足利学校の創設時期については奈良時代とも平安時代初期とも言われはっきりしない。しかし15世紀中頃関東管領上杉憲実により、円覚寺から僧快元を庠主(しょうしゅ)として招くなど整備に力を注いだことがきっかけとなり、全国から人が訪れ、戦国時代を中心に活況を呈したとされる。
画像を掲げた足利学校遺蹟図書館は、上記の経緯を持つ足利学校の貴重な蔵書を保存し、また近代的な公共図書館して人々に開放することを目的として、足利学校の敷地の一画に1915(大正4)年に開館した。
現在、この建物自体が足利市の重要文化財となっており、解説が入口付近に掲示されていた。建物は煉瓦造の外壁に入母屋の小屋組みが架けられた構造であるとのこと。また、懸魚,蟇股,格天井など和風の意匠と洋風の意匠による和洋折衷建築であり、(西欧建築移入に忙しい明治期とは異なり)大正時代の特徴を示す貴重な建物であるといった内容のことが書かれていた。
恐らく伝統ある足利学校との調和を考えることを基本とし、和風の外観を強調する設計を行ったであろうことは、容易に想像がつく。
設計者の星野男三郎は明治31年帝大を卒業、日光廟の修復に携わり、また秋田銀行本店本館(現秋田市立赤れんが郷土館)1912(明治45)内部の設計を行った。
旧・足利織物(現・トチセン)より サラン工場,捺染工場,汽罐室
サラン工場及び捺染工場:1913〜1919,汽罐室:1912〜1925(1941年増築),栃木県足利市,現存(撮影:2014年)
足利は古くからの織物の産地として知られる。織物産業が隆盛を続ける大正2(1913)年、赤煉瓦と鋸屋根が印象的な工場を持つ「足利織物株式会社」が設立された。後に企業名は「明治紡績株式会社」を経てさらに現在は「株式会社トチセン」となるが、営々と繊維関連商品の生産を続けている。
許可を頂き広大な構内を巡ってみると、歴史を感じさせる煉瓦造の建物や木造の建物で占められており、戦前期に造られた建物が多いのではないか(?)、という印象であった。
ちょうど構内のある一角で壁の塗り替えがされていた。当たり前のことのように手を入れつつ建物を大切に使おうとしている姿勢を見たような気がして(建替えが頻繁なご時世のせいだろうか)ちょっとした感銘を受けてしまうのだった。
今回、登録有形文化財に登録されている煉瓦造の3棟の建物をとりあげる。
・「サラン工場」 (上図及び下2枚):切妻屋根の長大な建物。石材でできた窓枠による窓が多数並ぶ。上段の窓は後に加えられたもの。(「文化財オンライン」の解説から要約))
登録有形文化財に登録されている煉瓦造の3棟の建物は産業遺産として貴重であることは言うまでもないが、ここで私が目を奪われたのは、敢えて消さずに残されたとされる戦時中の迷彩塗装であった。そういうわけで迷彩塗装のある壁の画像ばかりをクローズアップしてここに並べてしまったのだが、お許し頂きたい。特に汽罐室の外壁全面に施された激しい模様には唖然としてしまった。
外壁に迷彩塗装を施した当時のことを想像するならば、描いた人は恐らく意匠的に体裁を整えようなどという意識を持たずに、黒いペンキで一気に塗りたくったのであろう。だが刷毛のおもむくがままの筆致は、かえって潜在意識の奥に潜む戦争の不穏な感情を浮かび上がらせたようでもある。時として建物は設計意図とは別に、社会の流れにまみれて予想だにしないものに変質し、人々の脳裏に何かを刻みつけるようだ。それがほんの表層に描かれたものであっても。付け加えて言えば、この迷彩塗装を見た瞬間、関東大震災直後に「バラック装飾社」が描いたプリミティブな看板模様をふと思い起こしたのだった。
・「捺染工場」 (以下4枚):6連の鋸屋根が架かる長大な建物。煉瓦造の外壁と木造の軸組による。開口部のまぐさ石は1本の石で出来ている。(「文化財オンライン」の解説から要約))
・「汽罐室」 (以下5枚):切妻屋根を2連に架け、煉瓦の妻壁は切妻形と四角形の壁が連続して並ぶ。内部にランカシャーボイラーが2基設置されている。(「文化財オンライン」の解説から要約)ランカシャーボイラーとはかつて普及した炉筒が2本ある煉瓦造ボイラーということらしい。)
旧・上田男子小学校明治記念館(旧・市立図書館)
1915年,長野県上田市,設計不詳,現存(撮影2006年)
・上田散策(1)
上田駅から上田城跡公園へ向かう道すがら、急ぎ旅でなければ本当はじっくりと町歩きを堪能したいところではあったが・・・。2件だけではあるが忘れ難い建物のスナップ写真をUP。
ちょっと目を引くこの建物は、もともと上田男子小学校同窓会が寄付を募り明治記念館として建設、大正12年に市に寄贈され市立図書館として昭和45年まで使われたとのこと。その後石井鶴三美術館となり最近まで使用されていたらしい。ずっと大切に使われ続けている幸せな建物を思うと、それだけでも嬉しい。そして肩の凝らないやわらかな外観デザインを眺めていると、大正時代の気風と光景をあれこれ想像したくなる。
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- ここは本家サイト《分離派建築博物館》背 後の画像収蔵庫という位置づけです。 上記サイトで扱う1920年代以外の建物、随 時撮り歩いた建築写真をどんどん載せつつ マニアックなアプローチで迫ります。歴史 レポートコピペ用には全く不向き要注意。 あるいは、日々住宅設計に勤しむサラリー マン設計士の雑念の堆積物とも。
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