蒲郡市民体育センター
1968年,愛知県蒲郡市,石本建築事務所(担当:鶴田日夫),現存(撮影2019年)
1年半も間を開けてしまいましたが、ここでまた再開です。期待して頂いた方(がおられるかわかりませんが)には、申し訳ありませんでした。もちろん撮り貯めた建物は結構ありますので少しだけご期待を。
再開第一号は、極めてフォトジェニックな建物「蒲郡市民体育センター」。「構造の時代」とも言える1960年代において、地方にもそうした建物は開花していたのである。
石本喜久治亡き後も組織事務所として多数の作品を生み出した石本建築事務所において、この建物は最も構造表現が明快な作品と目される。担当した鶴田日夫(ときお)氏の竣工時の解説によれば、屋外でスポーツを楽しむような解放感を得たいと考え、
「1枚の垂れ下がった屋根が競技場の上にかかっている、ただそれだけである。」
という極めてシンプルなコンセプト・イメージによる計画を打ち出したのであった。そしてリジッドな現場打ちコンクリートの両腕でサスペンション鉄骨梁を摘まんでいるという格好となったわけだが、とかくシンプルな考え方ほど複雑な苦労がつきまとうものであり、そうしたことも吐露されていた。構造設計は同事務所の荻野郁太郎氏の手による。因みに鶴田氏の最初の担当作もHPシェル構造を屋根に用いた、戸塚料金所のトールゲートなのだそうである。
しかし外観が構造的な苦労の跡を物語っているとすれば、それはたぶん内観に置いて十分に報われている。つまり内部空間の解放感は素晴らしく、天井はほとんど宙に浮かんでいるかのよう、との一言に尽きる。ロビーのレリーフは喜代志松治氏による。
現在の鶴田氏は既に引退された身ではあるが、最近お会いして話を伺ったところ、今から半世紀前のこの建物は最も思い出深い仕事とのことであった。それというのも、公共建築でこれだけ思い切った形を提案したときはやはり計画に反対した議員さんが何人もいたのだそうである。若き日の鶴田氏は大きな鳥が飛び立つイメージのパース画を披露しつつ涙ながらに説得し、どうにか支持者を増やして実現に漕ぎつけた、そんな思い出があるのだそうだ。
また建築に詳しい人なら、サーリネンの《ダレス空港》(1962)に似ていると思うであろうし、竣工後にはそのようにも言われたらしい。事実アメリカからも連絡を受けたのだそうだが、もちろんこれが独自の考え方による建築であることを説明し、相手方にも受け入れられ、オリジナルの建物としてちゃんと解決済みになっているのだそうである。
こうした地域にとっても誇るべき建物が、手を加えられながら大切に使われていることは、何よりも素晴らしいことだと思う。
旧マミ会館(マミフラワーデザインスクール)
(1968年,東京都,岡本太郎,非現存(2002年建替え済)
この冒頭の画像(▲)は現在のマミ会館(マミフラワーデザインスクール)のショップで頂いた、旧建物の写真絵葉書の画像である。
実は私が学生の頃、2年ばかりこの近くに住んでいたので大森駅に出る時はいつも旧マミ会館の前を通り過ぎていた。大森駅の線路を挟んだ反対側からも高台にツノ状のものが聳えるのが見えた。だがなぜか写真の1枚も撮ることをせず、最近になって建物のことを思い出して気になりだしたのだが後の祭り、既に取り壊され道を挟んだ場所に建て替えられたということで悔しい思いをした。
そしてつい最近大森に寄ったので、建て替えられた建物内にあるショップの女性にそうしたことを話し記憶のよすがを求めたところ、私に旧建物の少し古くなったという絵葉書をくれた。懐かしい画像を前に心の中で密かに狂喜乱舞した、そしてここに載せた、というわけである。
以下の画像3点(▼)は、その時撮った建替え後の現在の建物の様子である。穏健な普通の建物ではあるが、旧建物の青いタイルが再利用されているとのこと、それに置いてあった岡本太郎の「座ることを拒絶する椅子」など、恐らく以前からと思しきものも見受けられた。
さて、私はなぜ最近になってなぜ旧建物に惹きつけられ、心躍る思いをしたのだろうか。
まずは岡本太郎唯一の居住機能を持つ建築作品と知って、その貴重な記録欲しさが昂じたということだろうか。
それから「座ることを拒絶する椅子」と同様、建築物に対する安易な既成概念を打ちのめすほどのもの、建築であることへの異議を呼び起す何ものかを敢えて作り出し露呈させる(これが岡本の「対極主義」か)姿勢が見て取られるからであった。しかも雄々しく聳えるツノ状の物質やフニャフニャした物質などからは原始的な叫びが聞こえそうなほどである。
ただこうした岡本流「反建築」を突き付けられてはいるのだが、私個人としては、それが独自の要素を独自の統辞法で構成しているように見えてしまうところが特に興味深い。(岡本の挑発的意図に反して)つまり正直に言ってしまえば妙に「建築的」な感じがする。例えば、いたずらに奇をてらっただけの一時期のポストモダン建築と比べるならば、時期的に先行しつつかつ、確かに同列にできない何かが備わっている(と、最近思うようになった)。
因みに、私がこうした感覚を覚える作品として、建築ではないが「岡本かの子文学碑「誇り」」(1962,台座設計:丹下健三)(▼)があるので再掲したい。(こう言われるのを岡本は嫌うのだろうが)妙に上手いと思う。
常滑陶芸研究所
1961年,愛知県常滑市,堀口捨己,現存(撮影:2015年)
堀口捨己の建築を見たいと思っても、今では現存する建物も少なく、また残っていても気軽に見られる建物はそれほど残っていないようである。そんなことも一つの要因なのか、ことさら堀口建築はどうも敷居が高い建物というイメージもつきまとってしまう。しかし今回、常滑陶芸研究所に出会ったことにより、そうした観念はかなり払拭された(*1)。
竣工後50年以上を経ても、建物名称通りに陶芸研究や展示の場であり続け、さらに建築当初のオリジナルのままの空間を示していたことにも大きな感動を覚えた。巷に面影を留めぬ位に改装された古い建物が数多い中にあって・・・。
外観は、深い庇や奥行きのあるバルコニーが印象的な、戦後の堀口のRC造建築の典型を行っているようだ。それだけで十分カッコいいのに、紫〜白のグラデーションの色彩を付けたモザイクタイルが外壁を包み込んでいるのには恐れ入った。一歩間違えば柄入りの和服を着せたように見えてしまいかねない危険がある中で、そうならなずに効果を上げる絶妙なラインを計測したかのように色彩付けが敢行されている。またこれは、常滑の建物に相応しく外装タイルの技術上の挑戦でもあったそうである。
内装はさらに艶やかである。よく言われるように絢爛たる色彩は大正期の分離派時代からの堀口建築の大きな特徴であって、戦後の建築に至っても変わらず終始一貫していたことが、この建物を見れば分かる。
過去の一例として1920年の分離派の会誌の表紙画(▼)(*2)を見てみよう。金色を用いた華やかな作品は若い時代の堀口の作品である。表現主義の時代から色使いは連続している。
(▼)堀口ならではの建築ボキャブラリーが出揃っている。
さてこの建物には、その色彩も含めて日本の伝統建築とモダニズムを統合しようとする堀口の姿勢が表れている。
会誌「分離派建築会の作品」第1刊中の論文「建築に対する私の思想と態度」の中で、堀口は既に日本古来の伝統へのこだわりを延々と述べていた。そういうことであるから、よく言われるように若き分離派時代からずっと変わらずモダニズムの流れと己の血に潜む日本の伝統とを止揚することを、自らの課題とした建築家であった。そのような点に鑑みれば、この建物のように、西欧モダニズムの外観に和の藤紫の色を調和させる着想が生まれるのも分かる気がする。(堀口は戦後になって和風建築を多く残し特に数寄屋の研究の第一人者となった。しかしそうかと言って、単なる老境でモダニズムから和風建築家に転向したというわけでもないことは、一応押えておきたい。)
分離派以来ずっとと言えば、もうひとつだけ大正期の堀口の論文を挙げてみたい。「芸術と建築との思想」(*3)の中で、(当時跋扈していた)構造派の言う工学的な意義をえる部分認めつつも、抽象芸術としての芸術の可能性を求めるべきという内容のことを述べている。そこで創作する個人の意志、その精神的な欲求を最優先とする態度を強調している。
このような建築の芸術性を主張した分離派堀口による強いデザイン意志の表れを、その結実した姿としての、常滑陶芸研究所のどこまでも我々を眩惑させる建築空間に見出すことができる。
さぁ、私の陳腐な解説はもうこの位にして、以下堀口ワールドをお楽しみあれ。
(▼)屋上から見たトップライト。四方から光を取り入れるしくみになっている。
(▼)月見台であろうか。
(▼)前庭と建物の位置関係
(▼)エントランスホールの階段。
(▼)エントランスホールと天井
(▼)トイレの天井までもこの通り・・・
(▼)展示室の天井。卍形のパターンからトップライトの光が落ちる。
では。
*1:今回、知人がタイルの展覧会(「I LOVE タイルータイルがつなぐ街かど」)を企画した関係で、その会場である常滑の「INAXライブミュージアム」に行った。そこの際、堀口建築にも寄ることになった。
*2:『分離派建築会 宣言と作品』(1920) 表紙の画は堀口による。(「ある会堂」あるいは「美術館への草案(1920),「ある斎場(1920)」とも類似する)
*3:『分離派建築会の作品(第二刊)」(1921)
大和郡山市庁舎と百寿橋
1962年(庁舎),奈良県大和郡山市,山田守,現存(撮影:2014年)
雨の大和郡山。前も見えない位のどしゃぶりだったのだがやっと小止みになってきた。せっかく約20年ぶりに訪れた私としてはラッキーである。なんとかカメラのシャッターを押すことが叶ったからである(初めて訪れた時の画像はここ)。
山田守の戦後の作風を示す庁舎建物もさることながら、初めて訪れた時から気になっていたのは、思いがけず目にして驚いた表現主義風のコンクリートの橋の手摺り(▼下3枚)である。いや正確には橋詰め部分の手摺に限って、というべきか。 何とも大正後期からの分離派山田守の作品の亡霊に出喰わしたような感じだったのである。
この部分に限っては恐らく山田守のデザインなのだろうが、今回よく見たところ、やはり橋のすべてが山田守のデザインというわけではないようだ、とも感じた。両端にコンクリート造の親柱がある橋本体の部分は異質でややクラシカルな造形、親柱のうちの2箇所にはお城のモニュメントが載っている。これがどういうことなのか、わけも分からず大和郡山を後にした。
だが最近になって疑問は簡単に氷解した。庁舎正面のこの橋は「百寿橋」と呼ばれ、この橋に関する地元の方々による調査報告を見つけて読んだことによる(*1)。
それによれば、戦前から郡山城の中堀にあたるこの位置にはかつて木造の庁舎が建っており、中央エンントランスの軸線上にこの橋は架けられていた。そして調査報告には1936(昭和11)年にRC造の新たな橋に架け替えられた頃の記録が記載されていた。その時の橋の図面と現状を見比べると、工事範囲は親柱から対岸の親柱までであり親柱にはお城のモニュメントがデザインされていた。だが表現主義的な手摺は記載されていない。そして図面上の橋と現状とはほぼ変わっていない。
つまりこういうことであろう。この表現主義的な手摺りは百寿橋とは別物であり、恐らく後に山田守の設計で現在のRC造の庁舎が建てられた時期に、外構工事の一環として橋詰め部分に手摺りを加えたものなのであろう。
山田守は生涯、作品に自由な曲面を多用してきた。戦後のモダニズム建築全盛の時代に入っても、例えば長沢浄水場のように分離派時代を彷彿とさせるようなアーチ窓や曲面の壁をうまく折り合わせて造形している。
大和郡山市庁舎建物でも、よく見るとコーナーが曲面状のカーテンウォールが使われており(うまく写真に撮れずすいません)、それにこの橋詰めの手摺りなどと上手く折り合わせて一種独特の山田守の世界を創出したのである。
*1:「大和郡山・百寿橋の系譜と現況に関する研究」(川原賢史,岡田昌彰,服部伊久男)による。尚、橋中央には現状ではスリット付の高欄があるが、オリジナルの図面のデザインと異なるとの指摘がなされている。
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- ここは本家サイト《分離派建築博物館》背 後の画像収蔵庫という位置づけです。 上記サイトで扱う1920年代以外の建物、随 時撮り歩いた建築写真をどんどん載せつつ マニアックなアプローチで迫ります。歴史 レポートコピペ用には全く不向き要注意。 あるいは、日々住宅設計に勤しむサラリー マン設計士の雑念の堆積物とも。
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