2023.05.10 Wednesday

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    2020.02.10 Monday

    GUNKAN東新宿(旧ニュースカイビル,旧第3スカイビル)

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      1970年,東京都新宿区,渡邊洋治,現存(撮影:2018年)

       

      最近のリニューアルまでに建物名称も何度か変遷したが、ニックネーム「軍艦マンション」でずっと通っていることは間違いなさそうである。

      私が学生の頃に遠目で見た外観は、多数の金属製ユニットを思わせるパネルのせいか、メタボリズム系の建物かと思っていた。しかしそれはどうも違っていたようだ。イメージ先行。むしろニックネーム「軍艦」の戦闘的なイメージこそが建物デザインの本質であったようである。1960年代末期の沸騰の時代が形になったと言うべきか。ガチガチの機能主義信奉のただ中にあって、時代精神を造形化することは当時にあっては異端の為せる業、冒険であったかもしれない。ただそうしたことを想像できる私のような年配者もだんだん少なくなった。そういうご時世であるようだ。

       

      それから私にとっては映画「マルサの女」のロケ地としての記憶もある・・・。

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

      2020.01.05 Sunday

      プーク人形劇場

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        1971年,東京都渋谷区,設計:不詳,現存(撮影2015年)

         

        人形劇団の歴史や信念がコンクリート打ち放しのファサードいっぱいに刻み込まれ、それらが放つ意志そのものがひとつの建築に昇華したかのようにみえる、稀有な建物かもしれない。

         

           

         

        沿革を辿ってみると人形劇の活動は大正末期に遡り1929年に人形クラブを意味するエスペラント語“LA PUPA KLUBO”として出発、略してPUK(プーク)となり、人形劇団プークと称することになったのだそうである。創立者にして夭折した川尻東次の志を受け継ぎ、戦中戦後の苦難の道程にも活動の灯を絶やすことなく、その結実として1971年に日本初の人形劇専門劇場が誕生した。HPを拝見すれば、その活動史には自分自身も小さい頃にテレビで見た演目もある。

         

        劇場の建物は子供たちを夢の世界へ導く入り口、「重たい」歴史を感じさせず、明るい感覚とうまくバランスしているところもさすがなのかもしれない。

         

         

             

         

          

         

              

         

         

         

         

         

         

         

         

        2019.12.11 Wednesday

        千駄ヶ谷で見かけた、気になる黄色いビル

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          1970年(?),東京都渋谷区,設計者不詳(レリーフ作者不詳),現存(撮影:2018年)

           

          東京都内です。中央線沿いの通りを千駄ヶ谷から代々木方面に向かって歩くと、コンクリートの外壁が見事なレリーフで飾られた、黄色い色のビルがある。(窓の中は見えないように消去、加工を施してあります)

          良い建物だと思うのだが設計者もレリーフの作家も分からない。作家のサインとして「BiT.」それに「○にY」、1966と彫られている。不動産情報としては1970年に建てられたようなのだが、彫刻の数字と一致しない。

          でもやはり気になる。

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

          2019.10.22 Tuesday

          京都大学総合体育館

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              1972年,京都府京都市左京区,増田友也,現存(撮影:2018年)

             

            元京都大学教授増田友也は、実際の建築行為を通して建築とは何かを探求したプロフェッサーアーキテクトであった。

             

            京都大学総合体育館を見て明らかに感じられるのは、「面(壁面)」の分節(アーティキュレーション)と統合である。壁は屋根から切り離されていて独立し、表情や機能を異にした各壁面の統合体が空間ボリュームを形成している。

            壁面はさらに分節されている。例えば打ち放しコンクリートの粗く重々しい壁と、透けて見えそうなルーバーのあるスクリーンのような壁とのコントラスト。或いは、二重の壁の部分においては、内側の壁は空間し仕切ること、外側はルーバー付きスクリーンウォール的な壁といった二種類の機能の異なる壁が組み合わされ、ここでは機能が表現によって分節されている。

             

              

             

            私が個人的に思うところでは、増田はモダニズムの建築の「言語化」に力を注いだのではなかろうか。建築デザインの「言語化」(?)と言うと疑問に思われるかもしれないが、言葉のそれと同じように、文法と語彙を整えることが無限の表現の獲得につながるわけであり、そうしたところを目指したように思える。当然ながら形式に封じ込めることではなく創造が目的なのであって、従って時には型を破って新たな表現を獲得することもあり得る。
            もっと分かりやすい喩えで言えば、他の近現代の芸術分野を思い浮かべれば良いのかもしれない。作曲家で言えば、メシアン、武満・・・それぞれが独自の語法を持っているように。

             

            こうしてみると、建築も旧来の普遍的な「様式」の時代から、現代は個々それぞれの言語化の時代に入ったのだ、ということを教えてくれる。
             

             

            (↑ルーバー付きのスクリーン的な壁と、重々しい打ち放しの壁とのコントラスト)

             


             

            内外二枚の壁に注意
            (↑空間を仕切る壁とスクリーン状の壁。二枚の壁の表現に注意)

             

              

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

            2013.12.20 Friday

            芝浦工業大学大宮図書館

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              1971年,埼玉県さいたま市,沖種郎(設計連合),現存(撮影:2009年)

               芝浦工大大宮キャンパスの最奥部、鬱蒼とした林に溶け込むように建っている。
               掲載誌(*1)の解説によれば、開放的な空間と利用者主体の閲覧方式という主旨に基づくいくつかのアイデアによって計画されたことが分かる。全館開架とされ、建物の開放性は構造体つまり内部にある2列の長大なボイドウォールとボイドスラブが受け持つことによって解決された。自由なプランニングと見通しの良さが可能となり、外壁面にも大きな開口部がとられ、外の木立の景色を存分に味わうことができるようになっている。



               設計者の沖種郎は、丹下健三のもとで戦後の著名な作品の計画に関わり、「図書印刷原町工場」や「香川県庁舎」などを担当した。独立後は大谷幸夫と「設計連合」を組織し、1963年の国立京都国際会館のコンペでは1等を獲得し実施された。

               芝浦工大との関わりは1959年から教鞭を執りはじめたところから始まっていた。私が同大学に入学した頃には退職の時期であったようで、最終講義をこの図書館の視聴覚室で拝聴したことを覚えている。(確か旧東京都庁の計画その他様々な話が披露された。ただ残念なことに入学して間もない私には多くを理解できなかったのか、その程度の記憶しかない。)

               卒業後数十年経て図書館の前に立ちその姿を見た。しかしその姿は特に綻びた様子も無く以前と同様、という印象であった。




              *1:『建築文化』1971年12月号




               
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