収蔵庫・壱號館

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『検見川送信所を知る会』第3回イベント
 8月30日に『検見川送信所を知る会』による第3回のイベントが開催された。
 2月に行われた前回のイベントから送信所をめぐる状況も変化しており、まずDOCOMOMO Japanの2007年度選定建築物に加わり、日本建築家協会関東甲信越支部からも文化財指定を求める要望書が千葉市に提出された。送信所の現状は区画整理地域内における中学校用予定地のままだが、市側も現状では中学校建設の必要性は薄いとして計画見直しの意向を示している。今後は保存活用のあり方が課題となることを見据えつつ、文化遺産としての継承を宣言するイベントであった。
 今回、保存要望はもとより利活用や周辺環境整備を求める要望書が、提出に先立って披露された。送信所は劣化が進み適切で早急な補修が必要だが、なによりも周辺で暮らす人々にとって安全な環境作りが切実な問題であることを、送信所に固有の事情として重視している。もともと送信所と近隣住民との繋がりはあまり濃いものだったとは言えず、さらに空き家として放置されたままの昨今の状況は不安をもたらしても仕方ない状態にあり、その改善は必須だ。
 だからこそ今、『知る会』としても地元の人々に思いを致し、融和を大切にしたいと考えている。

 『知る会』代表の仲佐秀雄氏は、地元在住ながら放送通信関係の学術的な専門家でもある。これまで地元の小学生たちとのふれあいを通して検見川送信所のことを伝える活動を積まれてきたが、今回、そうした活動を振り返りつつ仲佐氏自ら作られた送信所一帯のモデルが披露された。鉄塔や空中線の配置が再現されている。私のような者にとってはこうした機械的な部分についてはその意味合いや本当の価値は分からないのかもしれないが、それでも相当な範囲で設備機器が広がるあたりから、国際通信を目指す施設とはこのように壮大なものであったと思い知らされた。
 さらに送信所OBの岩佐氏も登壇して解説も交えながら職員当時のことを語られた。通信にかけた技術者の熱い思いが伝わってきた。

 私もこれに刺激されたのか、『検見川無線30年史』に掲載されていた昭和14年当時の指向性空中線の配置図を下敷きに、鉄塔や木柱を赤丸で、鉄塔間に張られ電波を発する空中線を赤線でなぞってみた(下図)。大きな赤丸ほど高い塔で90mほどあり、低いものでも30mある。ここから海外の様々な地域に信号が届けられたのだが、空中線それぞれがひとつの地域の方角に対応するようなのだ。まるで送信所建物を中心としたミニチュアの世界のようにも見える。
 吉田鉄郎も、人々の様々な思いが空中高く放たれていく様を心に思い描きながら、建物をデザインしていたのだろうか。
| その他いろいろ(活動) | 15:00 | comments(1) | trackbacks(1) | pookmark |
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コメント
最後の地図はまさに「蜘蛛の巣」というべきものですね。

これは大きな画像がありますか?
もし、よかったら、送って下さいませんか?
資料として保存させていただきたいと思います。

仲佐さんの作られた模型は非常にわかりやすいですよね。これも素晴らしいとは思うのですが、建築の模型造形師の方に作っていただければ、資料となりますね。

こういう模型はいくらくらいかかるものなのでしょうか?

追伸
記事中には「仲佐さん」が「中佐さん」となっているところがありました。
| 久住コウ | 2008/09/03 11:28 PM |
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「検見川送信所、文化遺産宣言」
このところ、ブログの更新が止まってしまった。というのも、「検見川送信所を知る会」
| モレスキンとめぐる冒険 | 2008/09/01 9:02 PM |
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