収蔵庫・壱號館

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旧・早稲田大学図書館(現・會津八一記念博物館)
     
1925年,東京都新宿区, 今井兼次,桐山均一,内藤多仲, 現存(撮影:2005年)

 早稲田大学旧図書館の完成は、大正14年のことであった。職人技を発揮した様々なモチーフが建物各所にはちりばめられており、あの有名な円柱は改修を受けてなお、まるで艶かしい生き物のようだった。
 建物を構想していた当時の今井兼次の胸中には、右のようなイメージがあったことだろう。右上のドゥローイングは「ある殿堂の草案」(『建築新潮』T13.5)、右下は「メテオール殿堂の意想」(『建築世界』18巻7号)、これらは早稲田大学で結成された「メテオール」同人のひとりである今井が、大正13年4月に開催された帝都復興創案展の出品に臨んで描いたもの。不定形で神秘的な輝きを発するモニュメントはドイツ表現主義からの影響が色濃く、とりわけてハンス・シャローンの描画を思わせる。
 その一方で、今井は職工の手仕事に深い愛着を示したと言われる。また建築に臨む姿勢も、無名なる一員として共同体へ参加するという意識を強く指向していたようだ。ストックホルム市庁舎からの影響、ガウディのサグラダ・ファミリア教会を日本に紹介した事例などからも、彼の指向が理解できる。こうした中世的な手工業性回帰は、表現主義傾向を抱えていた頃からのドイツの動向に存在する側面であったが、今井は当時からここに建築の本質を見出していたのだろうか。

 分離派建築会と同様、大正中期にドイツ表現主義などの影響を出発点として自己の拡充を目指した同世代の建築家には、昭和初期頃のモダニズムの流入期にあっても、あくまで自己に忠実な追求姿勢を崩さず様々な個性を発揮する者があった。これがひとつの潮流として、モダニズムの単なる受容から一線を画する立場として並存していたとするならば、今井兼次も、まさに自己に忠実な道を見出し歩んだ建築家のひとりだったのであろう。
| 1920年− | 23:14 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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