収蔵庫・壱號館

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旧・白木屋大塚分店(現・大塚ビル)
    
‖臘優咼觚従                    ⊂症ストアとして再開当時(1956年)
    
G鯡擴安臘擁店開店当時(1937年)     じ彊謄僉璽后1938.7月『新建築』掲載)
1937年,東京都豊島区,石本喜久治,現存(”者撮影:2007年)

 私の本家サイト『分離派建築博物館』上で2006年に初めて掲載した大塚駅前のテナントビル「大塚ビル」は、当初白木屋の大塚分店として昭和12年に竣工した石本喜久治の設計による建物。2007年初旬に訪問の機会を得て、管理会社の方と交流を持つことが出来た。その時の記事は私個人にとっても意外なほどの反響を得たのだが、それは実際のところ、建築愛好家に限らぬ多くの人々にとって、馴染み深く様々な記憶が染み付く「気掛かりな」建物だったからなのだろう。
 ここに再掲して、その後のことを、得られた情報と併せて紹介してみたい。

 以前に書いたように、大塚ビルに関して特筆すべきは、K氏らビルを管理する立場の方々が、単に古い建物という認識ではなく建物の由来を理解された上で、地元に親しまれる建物としての使命を果たそうとしていることである。メンテナンスのかたわら実測調査までされていることに私は感嘆した。それらが共感を呼び、また由緒ある古い建物への人気も手伝って、今年の始めにはテナントビルとしての稼働率がほぼ最大に達した、との嬉しいメールまで管理会社のK氏から頂いた。さらに4月には豊島区立郷土資料館の館だより「かたりべ」にも掲載されたそうである。
 文化財的な保存云々を取り沙汰するまでも無く、現在の建物は最大限幸福な状態にあるとも言える。しかし将来を視野に入れた場合は、管理会社の立場としては構造強度をはじめ安全確保を最優先に考えなければならないといった、至極もっともな見解を持っておられる。もしも先々、文化的価値を視野に入れた広範な問題となったときは、ひとり管理会社だけがすべてを負うのは荷が重過ぎるであろうと、私は思う。

 ところで昨年来、何人かの方から資料を送って下さった。私だけが持っていても勿体無いので、いくつかを以下に紹介してみたい。
 上のの開店当時の写真は、以前からこの建物に関心を持たれていたメーリングリストの甲斐さんから頂いた『白木屋の歴史』という社史に掲載されたもの。これには大塚以外に大森,五反田,錦糸堀の分店が載っているが、これら3件は既に無い。
 上の△鉢い砲弔い討蓮▲咼覺浜会社のK氏からのもの。庇のある屋上部分はテナントビルとなった頃に増築された様子が分かる。他にも設計図書や清水組の竣工写真まで入手されている。
 さらにK氏からは、普段は見られないような箇所の写真を何度か送って頂いた。右上の画像は、黒い外装パネルの下に隠されているオリジナルのタイル。タイル剥落による危険を防止するパネルは、現状では取り去ることができない。またタイル外壁面には、戦時中、黒い迷彩色が施されていたとの証言も寄せられた。右中の2枚はペントハウス上部の塔を飾っていた穴あきPCブロックのような部分。内側にはガラスが貼られていたように見える。
右下は恐らく塔の先端、最頂部の写真であろう。現在、広告塔である部分の裏の残存状況を示す貴重な写真だが、すき間からのぞき込むようにして相当無理をして撮られたのではないだろうか。
 このように外装パネルの下には竣工当初の形がそのまま隠されている点では、今は無い日本橋の東急百貨店(旧・白木屋本店)と似た経緯を辿っているようだ。

 戦後は組織事務所体制となり数多くの建築物を建て続ける石
本建築事務所ではあるが、戦前期に分離派の石本喜久治が設計した建物は、数件しか残っていないようだ。私が知る限り、この旧白木屋大塚分店以外には、横須賀の旧・海仁会病院(現・聖ヨゼフ病院)(立原道造が関与)、芦屋のM氏邸(モダニズム建築としてほぼ完全に残る)の計3件だけのようである。(ちなみにM氏邸については、やはり大塚ビルの件を機会にメーリングリストの神戸在住の中尾さんから教えて頂いた情報)
 残っているのはいずれも昭和10年代の建物である。戦時体制に突き進む日本の当時の状況の中で、資材統制など様々な障害を受けながらも様々な作風を駆使して一介の民間設計事務所が支えられた軌跡として、また戦争時期を乗り越えた石本喜久治の力量を示す意味でも具体的な建築物のかたちで伝えられたいものだ。

| 1930年− | 19:58 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
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コメント
残念なことに 旧白木屋ビルは近々解体されるようです。現在テナントはすべて退去してビル全体空き家状態です。地元の人間としては お別れ見学会 のようなことをやってもらいたいと思うのですが管理者としてはそんな面倒なことはしたくないでしょう。
| tasaki fujio | 2017/03/29 7:58 PM |
tasakiさまコメントありがとうございます(返事遅くなりすみません)
退去済ですか。来る時が来たという感じです。所有者にとっても維持するのは大変なのだそうです。
お別れ会、連絡とってみたいと思います。
| KIKUCHI | 2017/04/08 4:09 PM |
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