収蔵庫・壱號館

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西陣織物館(現・京都市考古資料館)

1914年,京都府京都市上京区,本野精吾,現存(撮影:1994年)

 再掲後日談シリーズでは、面白くないという方のために1件。(でも相変わらず映りは悪い。元がダイレクトプリントなもので。補正もこれが限界)

 日本で最初に、西欧のモダニズム建築の胎動を伝えた建物。また、本野精吾が1909年から2年間ドイツに赴いて、帰国後、恐らく冷めやらぬ興奮を秘めて設計したであろう建物。
 渡欧中の見聞録は、『美術新報』(210号,1912.3)に載っている。例えば、まずゼツェッション運動発生時の状況が生き生きと描写されている。(以下、新字体に変換して引用)
「守旧派は新派を目して、芸術を殺すものだと云う、新派は守旧派を指して「レネーサンス、アーキテクト」と云って嘲笑している。自分は其の態度に於いて、新派に與し、其の未来に一層の望みを嘱して居る、・・・」
 本野はこの頃既に、新しい工業技術との連携に建築の可能性を求めようとしていた。そんな中で、P・ベーレンスのAEGタービン工場(1910)には、ひとかたならぬショックを受けたようだ。
「幅三十尺、長四百三十尺、高六十尺の大機械室で、尨然として怪異な外観を呈して居る、・・・・自分が始めて之れを見た時は、茫然として何にも云えなかった、自分が今迄見た現在の建物で、之れ程大きな感動を與えたものは外にない、・・・」
 我々が今日、近代建築史の授業で習い写真で目にするAEGタービン工場の、古典性をやや残した過渡的な受けとめ方とは違って、当時目撃した人にとっては、まるで巨大な怪物にでも出喰わしたかのようなインパクトがあったようだ。
 こうして、ベーレンスへのオマージュのような素っ気ない四角い建物が、まず京都西陣で陽の目を見ることになった。以後は良く知られるように鎮ブロックを用いた「自邸」や「旧・鶴巻邸」など新技術を応用した建物が生まれ、無情な位工業産品露わな建築が、日本にも忽然と姿を現した。

 <付記> 本野による上記の記事は、建築以外にも表現主義彫刻家フランツ・メッツナーを初めて日本に紹介したものでもあるらしい。ライプチヒの戦争記念塔内彫刻のひとつと目される写真が掲載されていた。(記事の所在とこの件は、「構造社」の彫刻を研究する齊藤祐子さんから教わった。)
| 1910年− | 17:42 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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