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等々力ジードルンク
   
1936年,東京都世田谷区,蔵田周忠,非現存(上写真=旧金子邸:1992年撮影)

 東急の分譲地開発に縁があった蔵田周忠が、乾式工法を取り入れたモダニズム住宅群を構想、等々力渓谷沿いの4棟が実現した。(斎藤邸,三輪邸,金子邸,古仁所邸)彼の設計したこれら住宅を総称して、一応、等々力ジードルンクと呼んでいる。
 蔵田の構想では、乾式工法つまり、外装において左官仕事に頼らず規格化されたスレート板のパネルを取り付けるなど、住宅の工業製品化と経済性への貢献を目論む試みとして行われた。屋根は、どの建物もフラットルーフであった。

 こうした住宅の試みは、土浦亀城をはじめ1930年頃から先鋭的な建築家達が行っていたが、今、一体どれだけの建物が残っているのだろうかと、気になった。
 '70年代には老朽化しながら残っている住宅があったようで、『都市住宅』誌には、武蔵工大による等々力住宅の現況調査の記事も掲載されていた。
 しかし1992年頃、私が初めて等々力に行った時は、旧金子邸だけが往時の面影をとどめているようだった。改装は甚だしく、外壁はすべてモルタルリシン吹付けでやり直されていた。ただし内部の造り付け家具などは、比較的旧状をとどめていた。(その建物も現在は無い)

 つい最近、既に建て替えられた斎藤邸の末裔の方にお会いした。シオン会堂の記事に書いたように、教会に敷地を寄付された斎藤みどり氏の子息が、アトリエ付きの住宅を建てて移り住んだのが旧斎藤邸であったとのこと。また末裔の方の記憶では、アトリエに用いられた台湾ヒノキの太い構造材が印象に残っているとのことであった。雨漏りもひどかったらしい。
 ところで、右のブロックプランを見ると、建物は、区画割りを無視するかのように、方位に合わせて配置されているのがわかる。(『等々力住宅区の一部』蔵田周忠,国際建築協会刊より、写真共)蔵田の合理的発想によるものだろう。
 ところで航空写真を見ると、斎藤邸の南隣、つまり三輪邸の位置にある建物は現在もこの方位に即して建っている。三輪邸と遠戚関係の斎藤氏に尋ねてみたところ、この時は、建て替えられたようだとの返事であった。(もしかしたら基礎などが再利用されて、建て直された可能性もあるのか?)

 これらの住宅も現在の目からすれば、薄いスレート板や、木造住宅のフラットルーフの防水など、雨仕舞い的には結構無茶をしているように見える。当時だからこそ出来たことであろうか、設計者のみならず、当時は住み手も前衛的な建築を目指す固い信念を持ち、単に住むだけでなく、そのひとつのシンボルを守り育てる意識があったのか。
| 1930年− | 17:25 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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