収蔵庫・壱號館

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大宮准看護学校

    
1951年(?),埼玉県さいたま市,設計不詳,解体済(撮影:2009年)

 仕事の関係で、時々横目で見ながら通り過ぎていた。一度気になってしまったら、もう後の祭りで、わざわざ出掛けて撮影する破目になった。たぶん、この性分は直りそうもない。
 大宮東中学校の敷地の一部にありながら今も准看護学校として現役の建物は、行って間近に眺めると、私的には大当たり。山里の古きよき戦前の木造校舎とはまた別の、木造でありつつモダンな造形感覚がちらほら漂う、なかなか見ごたえのある建物だった。
 こうして元中学校校舎であったとの前提に立ち沿革を調べると、新制の中学校として昭和22年に創設され、校舎は昭和26年に新築とあるので、この建物が終戦後の早い時期の木造建築である可能性が高そうだ。(冒頭の年代もこれによる)恐らくは、戦後の教育基本法制定直後における校舎建築の典型であろう、と察せられる。
 とは言え、私個人にとって、そう滅多に出会えるものではない建物との直感がまだまだ先に立ち、データ不足は否めない。情報をお持ちの方があれば、教えて頂きたいところ。

 建物のモダンな感覚は、幾何学形状への還元を指向した屋根形や水平に近い庇に表れているが、特に圧巻だったのはカーテンウォール状の木造大型窓だった。それに外装も、塗り壁と羽目板貼りの外壁が交互に繰り返されてリズムをなしている。もしも、往時には木部が明るい色で塗装されていたならば、軽快で楽しげなデザインだっただろう。
 ところで、終戦直後の大変ひっ迫した時期に、建築家によって、無駄を極限まで省いた洗練された建築が生み出されていたことは、ある程度知られている。また日土小学校のような木造モダニズム建築の名作も生まれた。しかし、この時期の現存する建築は、とても数少ない。
 特に都市部においては、終戦前後あるいは昭和20年代の早い時期の建物は、典型的な建物まで拡大して注視する必要があると、最近特に感じている。もし、この校舎がそうした時期の建築と確定されたなら、奇跡的なことになるのだろう。
    

| 1950年− | 17:58 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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