収蔵庫・壱號館

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旧・等々力邸

   
1975年,千葉県市川市,藤井博巳,非現存(撮影:1982年)

 見た瞬間に「ええっ」と思うような、思考回路が空洞化するような感覚に襲われる。そう素直に感じた時、案外とこの建築の本質に迫ったことにもなるだろう。
 けれども、これは単に奇抜さを狙ったような建物とは次元を異にした、建築家の思索の上に成り立っていることも忘れないようにしたい。
 また、普通なら住宅ならば居住性こそ問われるべきとの声が聞こえてきそうだが、ここでの建築家は、あくまでも重要な前提としての建築への問い、つまりモダニズムの文脈上において、モノと見る我々との間の視覚コミュニケーションの再検討に最大の関心を払い続けており、そのかなり純粋な成果として建築化されたことも、付け加えておきたい。(建築家の意図とは無関係な、築後の改変部分も写っているのはやむを得ない。念のため。)

 モダニズムの長き流れにおいて抱え込むことになった「均質さ」ゆえに陥る失語症的状況を受止め、建築の新たな語法のあり方を正面から問い直したのは、私の知る限り、1970年代に始まる藤井博巳の仕事が日本でほぼ唯一であったように思う。
 と言って分かりづらい時は、他の芸術領域の近代に目を向けてみると良いかもしれない。例えば、近代の音楽では20世紀以降に旧来の形式や調性が破棄され「十二音技法」のような語法まで生み出された。あるいは戦後の文学におけるヌーヴォー・ロマン(アンチ・ロマン)、とりわけロブ=グリエの場合のひたすら状況描写に徹することで迷路的な苛立ちを催させる作品『嫉妬』や、同氏の脚本による映画『去年マリエンバードで』などを思い起こしては如何だろうか。
 これらは共通して、旧来の表現形式に潜むヒエラルキーを打破し、要素を均質に扱っている。さらに、作者やその作品が発する意味を一方的に受け手に強要するような旧来の意味の伝達方式からきっぱりと決別していた。つまり「何も語っていない」のだ。そんな状態が整ってこそ、受け手による主体的で自由な想像力の開花なり解読なりも可能となる。
 近代以降の芸術の延命策は、主にこの線に沿っており、同様に藤井が目指した建築もまさにこれにあてはまろう。

 等々力邸では、意味の消去(負性化)の考え方を発展させて要素の構成に力点が置かれた。つまり、家を成す要素の通常の構成に対して、ありえないような関係付け方が持ち込まれている。グリッドフレームを基本要素とする「入れ子」や「相似」といった関係付けを見る私は、分かりきった意味の世界から断絶され、宙ぶらりんの状態(宙吊り)に置かれる。
 「ええっ」という驚きを伴うのだが、自分としては、それは心地よい。

| 1970年− | 23:53 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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