収蔵庫・壱號館

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野田市郷土博物館
 
1959年,千葉県野田市,山田守,現存(撮影:2009年)

 「今に生きる 山田守の建築」と題された展覧会が野田市郷土博物館で10月12日まで開催されていた。
 そう遠くはないのにこうした機会が無いとなかなか足が向かないのは、単に自分の出不精の言い訳だけではなく、何か割り切れないものに対峙するのを避けていたからなのかも知れない。行ってみれば、案の定、謎の深みにはまる思いだった。
 山田にとっての伝統建築とはどういう存在だったのだろう?夢殿、正倉院、・・・なぜに、そうもこだわらねばならなかったのか?本質的には、先輩岩元禄譲りの知的遊戯(ガイスト スピーレン)そのものとしか思えない山田の建築が、なぜこうした伝統的図像を参照せねばならなかったのだろうか。こんな謎がつきまとう。

 展覧会図録によれば、この博物館の当初の計画では、独立基礎の上に立つ校倉造り風の立面、屋根は反りのある入母屋で、確かに正倉院を連想させる計画で始められた。
 しかし、実施された建物では、高めの布基礎と直線的な寄せ棟の屋根に変更された。(これらは、まぁ仕方ないとして)不思議だったのは、当初重要視されたはずの校倉のイメージが、平安時代風の築地(ついじ)塀のような土壁風イメージに簡単に入れ替わってしまっている点であった。細い横ラインは築地塀独特のラインだ。
 一方、内部空間は繊細に設計されていた。展示ブースの微妙な傾斜、階段の微妙なアール。・・と思いきや、なんと、展示ブース内部に自然光による高窓採光照明が行なわれていた。(勿論、現在は適切な人工照明が施されているが)
 山田守の建築においては、謎解きを試みようと意識を傾けたこと自体、どうやら私の誤りらしい。伝統性が下敷きにされていようと、とにかく理屈抜きのイメージ、飛躍に満ちた山田の「知的遊戯」には、ただ身をゆだねるのが流儀のようだ。そういえば、隣に現存する本当の和風の伝統建築(茂木邸)に接した時も、景色を素直に愉しみ、暫し時を忘れてたっけ。
| 1950年− | 23:29 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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