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【記録】検見川送信所内部視察記(3)
 今回も、まず前段で資料画像をお見せしたい。と、あっさり言うけれど、下のモノクロ画像はまさしく第一級資料で、3ヶ月ほど前に初めて目にした時は随分と驚いた。ある「知る会」会員の仲間が勤務先のOBの方から譲り受けた写真とのこと。逓信建築のために役立つならば、とのことで公開は了承されている。他にもあるので追々紹介させて頂きたい。

 下の画像は、ほぼ大正15年竣工当時と思われる送信所の北東側。送信機が置かれ、当初「発振室」と呼ばれていた部分の外観。内部中央には吹抜け空間があり、そこにある北側外壁の2階分通しのユニークなデザインの大型アーチ窓がくっきりと写っている。3ヶ所のうち左右2ヵ所の窓が、いわゆるカーテンウォール状の造りであり、木製建具によって成されているからさらに驚きである。(以前の記事で、吉田がこうしたカーテンウォール状の窓をデザインした経緯を推理した。
 北側中央のドアの上には、図面通り半円形の庇が存在していたことが判る。
 また、東側外壁のケーブルの出入り口の開口に付いた支えのような仕掛けが興味深い。
 こうして見ると窓の数がやけに多い。「知る会」会員で元送信所職員の岩佐さんによると、送信機のエネルギーのロス率は50%あまり。高出力の送信機は相当な熱を損失分として放出したとのことなのだから、多くの窓を設けて開放し放熱するのは当然というか、まず基本だったのだろう。
      
 下は、昭和12年に増設拡張された際の写真。これら増設棟も吉田鉄郎の設計によるので、時を経た吉田の作風の変遷が一望できる。増設された建物は、大阪中央郵便局にも似て柱と梁が強調された建物だった。
 この時、北側に増設された棟との連絡のために、元の建物の北側吹抜け部分には木製の床が張られ、さらに3箇所のうちの真ん中の大型アーチ窓はドアに取替えられたので消えた。増設棟へつながる渡り廊下の出入口ドアとなったのだ。
          

                             ***

 さて、当初北側の吹抜け空間に存在していた木製大型アーチ窓の現状は、以下のようであった。昭和12年の拡張の際に張られた木製の床の上、つまり2階から左右2ヶ所の大型アーチ窓の「上半分」が見える。埃がすぐにカメラのレンズを覆ってしまう。レンズを拭きながらどうにか撮影。
 木製建具の状態は、「上半分」は割りと良い方なのかも知れない。ただ、繊細で美しい横棧が見当たらないのが気掛かりだ。(ベニヤと鉄板の間に横棧が挟まれているのだろうか?)
          
 中央の割と幅広の大型アーチ窓については、その痕跡が残っていた。現状の四角いドアとの間をコンクリートで埋めたために生じた境目の線として。
 個人的には、この大型アーチ窓が3ヶ所とも吹き抜け空間とともに復原されたら素晴らしいなぁ、と思った。吉田鉄郎の建築は、本人曰くの禁欲的な設計姿勢はそうであるとしても、私が思うに、実際の建物は十分ドラマチックな空間だ。再現されたらきっと素晴らしい場所になるに違いない。
 勝手な想像ながら、蘇った吹き抜け空間において、あるときは小編成のオーケストラのコンサートホールとして、あるいは小さなオペラが演じられている情景を何度となくイメージしてしまうのだった・・・。
 ところが・・・、である。甘い夢を見ていられる状況ではないかもしれない。下の画像、1階の木製大型窓の「下半分」とその周囲については、正直言って不安がよぎった。
 全体的には一応頑丈さを保っているように見えた建物なのだが、1階北側の足元に近い部分の壁面については湿気を帯びているようにさえ感じた。床面に薄っすらと残る土埃は、もしや雨天時に開口部から流入した泥が乾いたものではないだろうか。
 このまま放って置くことによって、例えば足元の構造躯体の鉄筋が錆びて爆裂が生ずるのではないか、と懸念された。中性化の程度や如何。構造躯体を常に水分と接触させるような状況は、今すぐ回避しなけなければならない。
 
 ただし、この原因は建物自身によるのではなく人為的な経緯による。それは、周辺で行なわれた区画整理の造成による残土が、3メートル位の高さで送信所建物すれすれにまで運ばれ押し寄せたためであった。その結果、建物の1階部分外周は谷底のような状態となり、常に湿った状態に置かれた。さらに大雨の時は、床面付近から泥水が内部に流れ込んでもおかしくない状態となっている。
 検見川送信所の建築としての価値が認められた現在でもこの状況が変わらないことから、実は、今回の内部視察の際、JIA関東甲信越支部と「検見川送信所を知る会」は市長に緊急対策を要望した。排水設備などの対応策が考えられるが費用の問題があり簡単ではないのかもしれない。しかし、早急かつ出来る限りの善処を求めたいところである。

 (右画像は、2007年秋撮影の建物東側。1階がほとんど地中に埋まったかのように見える)









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