収蔵庫・壱號館

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【資料画像】検見川送信所
 この際なので、前回に一部をお目にかけた資料画像をまとめて紹介したい。ある「検見川送信所を知る会」の会員が譲り受けた写真である。(この貴重な資料の公表を快く認めて頂いたことについて、この場にて感謝申し上げます。)


 大正15年に竣工した検見川送信所全景。
 『電信電話事業史5』などの文献から推察して、本館を中心に、手前の小さな平屋部分は倉庫(非現存)。奥にあるのはポンプ室(現存)。空中線を支持する鉄塔は、東京帝大の草間教授の設計によると記されていた。


 上の画像を拡大。あらゆるエッジが丸みを帯び、白亜の建物が不思議な陰影を呈している。


 職方らしき人物を交えた記念写真なので、竣工直後の写真であろう。中央の人物は、工事監理にあたった新作義信氏とのこと。
 パラボラ形状があしらわれたエントランスのドアは印象的で、若き吉田鉄郎の作風の一面を垣間見させる。


 ここからは、昭和12年12月19日との日付がある「東京中央電信局検見川送信所増築其他工事竣功写真」。
 奥に見えるのが元の送信所本館の北側に位置する送信施設、手前に見える東側の建物については、元職員であった岩佐さんの資料によれば「非常用発電室」とされる。最盛期には送信機は50台近くが稼動し、アンテナも50面に及んだとのこと。


 2階窓上に多数の丸い穴が見える。推察するに、これらはケーブルの出し入れを便利にするためにあらかじめあけられたスリーブであろうか。意匠的にも面白い。

 
 同じ建物の北面。大阪中央郵便局を髣髴とさせる外観。




 こちらはある意味で参考。山田守の設計により1924年に竣功した岩槻受信所の画像。また、一方で東京通信所(東京無線局)として業務を統括した部門も1925年に竣功した東京中央電信局内に置かれ、これも山田守による有名なパラボラアーチの建物であった。これらと検見川送信所の3者が有線で結ばれて通信業務が成立していた。岩佐氏の説明によれば、強い電波の影響を避けるためにそれぞれの施設が離れていた、とのことである。
 それぞれ離れて建っていたが、建物のデザインは、どれも丸みを帯びた点で統一された。それは山田による建物だけならまだしも、最後に建てられた検見川送信所までもが、敢えて山田守の作風を取り入れることで成し遂げられた統一感なのである。
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