収蔵庫・壱號館

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葵館
 
1924年,東京都港区,吉川清作(建築),荻島安二(正面レリーフ),村山知義(内装&緞帳デザイン),非現存(画像はすべて『建築新潮』(1925.1)より)

 『ロダン以後』−建築と彫刻の邂逅(4)
 
以前、『「葵館」レリーフの彫刻家―荻島安二』と題した記事で、様々な表現領域を行き来し切り拓いたユニークな作家について触れた。荻島安二は朝倉文夫門下生として、大正6年に文展に初入選するなど、始めはアカデミックな土壌から出発したのだったが、荻島の友人で画家の深水正策の言葉によれば、「彼の好みはアーキペンコの初期の物、メストロウィッチなどにあり、エジプトに一番惹かれていた。奈良の古仏も研究していた」(*1)と語られたように、サロン芸術の枠内に納まって「銅像請負業者」(*1)となるタイプではなく、関心は最新の表現の可能性の開拓に向っていた。関心さえ向えば、それが建築物であろうとマネキン人形であろうと、まったく構わなかったのだ。

 活動写真館「葵館」は、震災からの復興に向け、日活の「村上」と名乗る人物が村山、吉川、荻島らに声を掛けたことを発端とする。(*2)その結果、恐らく日本初の出来事であろう、建築ともコラボレーションアートともつかぬ作品が大正期の街中に出没した。(画像上2枚は荻島によるレリーフ。下は村山によるインテリア)
 荻島によるファサードのレリーフに注目すると、一見して古代エジプトの浅浮き彫りを取り入れていることが分かり、これは深水正策の指摘通り、メシュトロヴィッチの作風の、そのアルカイックな部分と重なる。いくぶんマチス風なのは、「活動写真」本来の躍動感を意識したからなのだろうか。人物の極端なデフォルメによる流麗さは、私が見る限りでは、奈良法隆寺の百済観音像かな、などと憶測したくもなる。

 「活動写真館」とは、たまたま与えられた仕事というだけではなく、本来の荻島の映画に対する並々ならぬ関心が向わせたと言ったとしても、さほど強引な物言いではないはずだ。
 実際のところ、荻島の映画との関わりはいくつでも挙げられる。例えば彫刻では映画女優第一号と言われる「花柳はるみ」をモデルとし、後にも海外の銀幕のスターの映像、M.ディートリッヒや子役S.テンプルなどを題材として多数作品化した。(大正期、女優をモデルとしたことは帝展落選の一因となっていたとも言われる。)
 さらに、深水の述べるところによるなら、「東宝スタジオで荻島の名を知らぬ者はもぐり」(*1)であったそうで、例えばP.C.Lにて『昭和新撰組』という探偵映画で「アインスタイン研究所」の模型(セットのことか?)を作ったことが語られている。是非とも「アインスタイン研究所」が映っている映画を見てみたいものだが・・・・。
 勿論、映画との関わりがそれ程なれば、当然「写真」への関心も高かった。商業写真の先駆として木村伊兵衛や原弘らと仕事をしていたようだ。

 荻島安二は、横浜の機械輸入商の家に生まれ育ったという環境が関係していたのか、生来、近代技術の所産への関心は強かったと言われる。そして、3Dの造形を生業とするようになって以降も、旧来からの領域としてのファインアートの牙城に留まることには何ら未練を感じず(かといって決別したわけでもなく)、「商業芸術」と見下されようとも気にせず、荻島は、ただひたすらモダニズムの精華としての新しいメディアからその本質を汲み取り作品化することのみに専念した。だからこそ、作ろうとしている何かが、建築であるのか彫刻であるのかは彼にとっては大した問題ではなかったはずなのである。

   *1:深水正策『荻島安二・人と芸術』(『美術手帳』72 1953.8)
   *2:村山知義『私の画生活−大正十三年度の二つの仕事』(アトリエ2-2 1925.2)

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