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    2010.03.01 Monday

    下関市庁舎

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      1955年(第一期工事),山口県下関市,田中誠+進来廉+崎谷小三郎,現存(撮影:2010年)

       あまり知られていないが、この庁舎は戦後の混乱を引きずる1951(昭和26)年に行なわれた公開コンペの1等入選者らによって実施された建物。1等案は前川國男の事務所の所員らが、個人の資格で応募した(ことで収まったとされる)案である。
       旧来コンペの入選者がそのまま実施まで行なうことがむしろ少なかったことからすれば、そうした意味では変革期の建物と言えようか。近江栄の著書『建築設計競技』には、いくつかの大きなコンペにあって下関は比較的スムーズに運んだ、とのことが書かれている。しかし、それは入選発表までのこと、いざ実施の段階に入ると情勢が変化し規模縮小を強いられるなど多難続きでもあった。

                                   ***

       手持ちの古い『新建築』(1951.4)から(モノクロ画像右3点)、コンペ案を少しピックアップしてみる。審査員は、岸田日出刀,高山英華,谷口吉郎,前川國男,坪井善勝という顔ぶれ。

       右上は、田中誠らの1等案。1棟に集約された高層の建物に、地下レベルに相当する広い駐車場からアプローチする。広い庭園も確保されている。熱負荷の調節ためのルーバーを外観に取り入れるなど、コルビュジエ的な発想がうかがえるが、すっきりとまとめた手腕はやはり1等に値しよう。

       右中は、佳作入選の蔵田研究室案。恐らく武蔵工大の蔵田周忠の研究室の応募案かと思われるが、この案に見る限り蔵田本人の個性はどうも見出し難い。
       ちなみに蔵田は山口県萩市の出身という地縁からか、戦後、山口県内でいくつかの公共建築を設計している。

       右下は、これも佳作入選の武基雄と菊竹清訓の案。1948年の仙台市公会堂コンペで1等を獲得し竣工に漕ぎ着けた武と若き菊竹コンビの提案は、やはりというか、長大なピロティとシンプルなマッス。そしてピロティから下関の港を望む。
       仮に私が審査員だったら、イチオシの魅力的な案。

                                ***

       左画像は、オープンした田中絹代ぶんか館(旧・下関郵便局電話課)の屋上テラスから見た現在の市庁舎。この棟だけが第一期建物として完成し、幾たびか増築が繰り返された。
       こうしてコンペ案の持ち味が相当削られつつ、それでも投げ出すこともせず遂行した田中誠の不満の顛末は、『建築雑誌』(1966.11 「下関市庁舎」 )に綴られた。

       最後のモノクロ画像は、遡ること大正末期に、同じく下関郵便局電話課の屋上から望む同じアングルの風景(『局舎新築記念』 1926 から)。
       市庁舎は、元はほぼ小高い山の辺りに位置し、そこから推察すると手前の建物はもしや「旧・下関保健所」であろうか。コンペ応募者にとって、敷地内にありながらも要綱に触れられなかったこの保健所建物の扱い(保存?移設可?)は、困惑を招いていたそうだ。
      2023.05.10 Wednesday

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        コメント
        当時の前川事務所所員による設計だったのですか!
        下関電話局を見学した際に、市役所も見学して撮影したんです。
        というのもブリーズソレイユが目に入ったので、「やはり戦後モダニズム建築なのかなぁ」と漠然と思いながらシャッターを押していました。

        僕にとっては意外な設計者でした。前川事務所の建築は、九州にもあるにはあるのですが、決して多い方ではありませんので。
        どうもありがとうございます。設計者が判明してスッキリしました。

        倉方さんのブログで知ったのですが、下関には坪井さん設計の体育館があるそうで、近い家に見学に行こうと計画中です。
        坪井さんと言えば、佐世保市内にある夕張岳展望台も面白い建築(?)でした。

        僕にはそもそも建築に関する資料が乏しいので、なるべく”誰が設計者か?”という事は抜きにして、自分が面白いと感じた建築を見学しようと心がけているのですが、悲しいかな、やはり設計者にも惹かれてしまいます。
        • トモアキーニ
        • 2010.03.04 Thursday 19:06
        トモアキーニさま、コメントありがとうございます。

        >当時の前川事務所所員による設計だったのですか!
        所員とは片付けられない、偉大な大番頭と知りました。戦後の名だたる仕事を担当した田中誠氏をそれまで知らなかったとは不勉強だったと反省しております。田中氏は、戦前の前川事務所創設からのメンバーで、戦前のコンペにも関与していたようです。戦後は「国立国会図書館」コンペ(MIDO同人として)にも参加、また「日本相互銀行」などで、前川國男のテクニカルアプローチの先導役を担った人物なのですね。
        • Kikuchi
        • 2010.03.05 Friday 19:48
        田中さん、崎谷さんの名前だけは存じています。
        正確ではありませんが、田中さんは(崎谷さんも?)、前川さんがレイモンド事務所時代に、レイモンド事務所へ誘ったとか。
        お二人とも前川さんい心酔していたらしいですね。

        ところが日本が戦時体制へ突入して行ったために、外国人であるレイモンドへの依頼は減少していき、そんな最中にフォード工場の設計依頼という大型物件が舞い込んだらしいんですが、その仕事も立ち消えになったのをきっかけに、レイモンドがリストラを断行しようとしたんで、前川さんがお二人を連れて事務所を飛び出し、独立されたと。

        その辺の経緯は前川さんご自身が、「一建築家の信条」という書籍の中で詳しく述べられているんですが、僕は田中さんか、崎谷さん側からの証言を読んだ記憶があるんですが、その書籍がどれなのか分からないのです。

        事務所創設後、コンペ〆切ギリギリで出来上がった作品を送ろうとしたら2.26事件が起き、東京が戒厳令下になったので、大変だったとかいう内容の話でした。
        • トモアキーニ
        • 2010.03.05 Friday 23:37
        トモアキーニさま、田中誠氏の入所のいきさつ記して頂きありがとうございます。その内容、つい先日立読みしました(笑)。私は別の本だったように思います。親分肌の前川國男に引き受けられての事務所を立ち上げ、最初の仕事が「森永キャンディショップ」だったようなことが書いてありました。
        私の場合、進来廉氏の名に覚えがありました。進来氏も神奈川県立図書館・音楽堂を担当、コルビュジエのもとへと渡仏、教育者として活躍されたり大変な方です。
        • Kikuchi
        • 2010.03.06 Saturday 14:28
        はじめてコメントいたします。以前から拝見しておりました。

        先日、私も近代先人顕彰館に行き、屋上から市庁舎を見てその力作ぶりに驚いたところです。下関市は駅前の改良住宅群など戦後の早い時期に大規模な建物をけっこう建てていますね。

        TBを送らせていただきました。今後ともよろしくお願いします。
        • タケ
        • 2010.03.23 Tuesday 02:31
        タケさま、TB頂きありがとうございます。
        私もALL-Aはいつも拝見、参考にさせて頂いてます。 こちらからもリンク及びTB送らせて頂きました。下関市庁舎、田中絹代ぶんか館とも美しい画像ですね。下関の改良住宅、興味深く拝見しました。北九州の産業遺産は圧巻ですね。先日、私も電車の車窓から随分と変化した製鉄所方面の景色を眺めていたところ、フィーレンデール型っぽい鉄橋が目にとまりました。
        • Kikuchi
        • 2010.03.23 Tuesday 11:39
        >Kikuchiさま
        >私もALL-Aはいつも拝見、参考にさせて頂いてます。

        そうでしたか。何か最近、他の方のブログにご挨拶すると皆さんから「見てますよ」と言われて、うかつなことは書けないなあとプレッシャーを感じています (^_^;) お気付きの点がありましたらご教示いただけると幸いです。
        • タケ
        • 2010.03.24 Wednesday 01:43
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        下関市庁舎
        下関市庁舎 山口県下関市南部町1 設計 田中誠+進来廉+崎谷小三郎 竣工 1955(昭和30)年(第一期工事) 撮影 2010年2・3月 カメラ Nikon D50 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC 先日、近代先人顕彰館を訪れたときその屋上から見た下関市庁舎が実にかっこいいこと
        • ALL-A
        • 2010/03/23 1:10 AM
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