収蔵庫・壱號館

日本の20世紀をメインとした建築画像の保管庫
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硫酸瓶のある風景

 下関から宇部に向った。幼少の頃数年間過ごした土地のありふれた風景を、もういちど見てみたくなったので。
 今回は建物ではなく、風景を構成するちょっとしたパーツとしての壷。このような壷を積んだ土手は、かつてあちらこちらに点在していたと記憶する。それが妙に記憶が離れずに、今、大人げも無く見つけては喜んでいる。

 最近になって知ったのだが、このような擁壁を「瓶垣」と呼ぶらしい。傷物や不要になった硫酸瓶を積み上げて出来ている。
 宇部に隣接する山陽小野田市において、1889(明治29)年に「日本舎密製造会社」(現・日産化学小野田工場)が硫酸の製造を開始、それを詰める陶器の瓶も多数の地元の窯で製造された。そして、終戦時期あたりをピークとして、ガラス瓶の普及と製陶所の衰退で陶器製硫酸瓶の生産は減少し、瓶垣そのものも珍しい存在となっていった。勿論この硫酸瓶がその工場で製造されたものかどうかは分からないが、陶器の製造が盛んな地域であったからこそ、こうした風景が作り出されたのだろうと思う。そういえば私が住んでした平原(ひらばら)には、陶器の作業場があったし、煉瓦でできた窯の煙突なども見かけたことがある。
 
 原風景のひとつとしての「壷」、と格好付けつるもりはないが、子供頃この瓶垣を低い視線で眺めた時、大げさなようだが、どこか根源的な恐怖めいた威圧感を感じていたのを思い出す。古墳時代の甕棺にも似た記憶が。その、再度胎内に連れ戻される亡骸を象徴するような・・・。

 話は変わって、一番下の画像の塀は、何の変哲も無いただの塀。私が通った幼稚園の跡地にただこれだけが残っていた。煉瓦状なので、もしや「鉱滓煉瓦」とは思ったがおそらく違うだろう。セメントっぽい。だが、関東では見慣れないブロック形状に窯業の街を連想させられた。

 風景とは、断片的な映像から成り立つ詩のようなものだろう。おしなべて換喩的な修辞による。原風景は想像力を喚起する大きな原動力、と言ったら良いか・・・。 

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