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2023.05.10 Wednesday

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    2010.03.11 Thursday

    旧・宇部銀行本店(旧・山口銀行宇部支店)

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      1939年,山口県宇部市,村野藤吾,現存(撮影:2010年)

       石炭産業で栄えた宇部随一の銀行として1912(明治45)年に開業した。1939年にこの建物が新築され、また戦時中に山口銀行宇部支店となりながらも2006年の移転まで営業を続けていた。
       広い常盤通りを挟んで、一方にこの銀行が、もう一方には戦後1950年代のモダンな市役所が建つという位置関係にある。
       現在は、保存活用の方針のもと活用アイデアが募集されるなど、市民に開かれたかたちによる再生計画が進行しているようだ。

       そんなわけで、今は、外観しか見られないのだが、垂直性を強調した中に見られる繊細な細部のデザインは、村野藤吾ならではのもの。
       改修協議の資料の中に竣工時の旧・宇部銀行本店の外観が載っていた。現状通りの外観が竣工当初のまま残っているのかと思っていたが、微妙に差異があるらしいことに初めて気付いた。もちろんオリジナル状態に戻せばいいということではない。長年親しまれてきた外観には相応の価値があるはずなので、新たな生命が吹き込まれるのを楽しみに待つことにする。
      2023.05.10 Wednesday

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        コメント
        私の素人の思い込みでこういう形は 戦後のものと考えがちですが 違うんですね
        戦前のモダンデザインが戦争を挟みどのように深化したか考えたいところです
        • 寺西
        • 2010.03.18 Thursday 11:42
        寺西さま、コメントありがとうございます。
        >>戦前のモダンデザインが戦争を挟みどのように深化したか
        私も、終戦を挟んだ前後5年が空白だったのか、何らかの戦後へのステップであったのか、とても関心有りです。(お伝えできそうなことは何も無いのですが。)
        • Kikuchi
        • 2010.03.19 Friday 18:00
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