収蔵庫・壱號館

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旧・宇部窒素工業事務所(宇部興産宇部ケミカル工場)

1940年(図面年代),山口県宇部市,村野藤吾,現存(撮影:2010年)

 渡辺翁記念会館(1937年)の設計で絶大な信頼を勝ち得た村野藤吾は、宇部産業界における工場の設計にいくつも手を染めた。
 この旧・宇部窒素工業も化学肥料の生産拠点であったが、同社は1942年に「沖の山炭鉱」,「宇部セメント製造」,「宇部鉄工所」と共に合併して、すなわち「宇部興産」の一翼を担い続けて今日に至る。

 今回の旅で、私は、公開されていた図面とほぼ違わない建物が、今もこうして使われ続けていたことを確認した。恐らくは、市民の多くが、これがあの渡辺翁記念館の設計者による建物とも気付かず使い続けているのではないか、と思える位馴染んでいた。
 さらにこの建物は、日本が戦争に突入しようとしていた頃の稀有なる建築。こともあろうに時局の空気にそむきつつ、あくまで美的表現を旨とすることを隠さない村野建築。これの他には奈良の「橿原神宮駅舎」がある位だろうか。
 印象を述べれば、茶色の外装タイルと緩く弧を描く外壁が「旧・大庄村役場」を、やや思い起こさせる。
 しかし、エントランスは特異ともいうべき独特の表現。擬古典的四角い列柱廊があるかと思えば、その柱の上部にはコンクリートで出来た「木組み」と軒裏の垂木が日本の伝統性を、微妙なバランスを保ちながら暗示する・・・。

 しめくくりの一言は、もちろん、村野藤吾のそれも戦前の建築に身近かに囲まれている宇部市民は幸せだなぁ、という率直な思い。
| 1940年− | 20:32 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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