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明石小学校の近況に
 ここ東京都中央区には、大正末期から昭和初期に建てられた復興小学校が7校舎現存しており、そのうちの3校(明石小、中央小、明正小)については建て替えの方針が示されている。この明石小学校は来月にも解体される予定と聞く。
 そうした折、再び明石小学校の周囲を散策して、そしてふたつの考えがよぎった。

             
  
 関東大震災からの復興事業の中でも、小学校の建設は特に復興事業のシンボル的意味合いを持っていた。次世代を担う若者の教育の復興こそかなめだったのであろう。
 今日、残存する復興小学校が少なくなってしまったが、先人の知恵と苦労の結晶である校舎を前にするとやはり尊ぶべきものを感じる。単なるコンクリート構造物と割り切れない何かがある。
 校舎はその成立時の歴史が人々の誇りとなり、そこで生活を営む人個々の自己形成にまで深く立ち入ってきたに違いない。禍転じて得られた白亜の近代建築は、当時の児童らを驚かせたと聞く。建物とその中での生活がもたらした自己形成の営みは、多数の人々に共有され幾世代に渡って続く。校舎はいわば歴史そのものであり、また同時に教育上欠かせない「生きた教材」としての役目を担い続けてきたのであろうと感じた。
 もしこの見方が正しければ、校舎は将来に渡って「実物」そのものが受け継がれなければ意味が無いだろう。記録や一部のイメージでは本質的な部分は伝えられない。なぜなら、校舎の建物は常に身体の延長として共有されているのだから、という説明の仕方もあろうか。
 恐らく現代において、この「生きた教材」は次のような設問を発しているだろう。いまだ老朽化とは程遠い校舎をいかにして守り次世代に継承していくべきかを探求せよ、と。ただ念のために、その逆も想像しておこう。仮に建物を安易に壊せば、それは自己形成の基盤を自ら破壊する行為であり、さらに地球環境にまで多大な負荷を与える。全く愚かな仕業であることが誰にでも分かる。
    

                             

 7月9日、日本建築学会による見解が発表された。各校舎の文化財としての価値に言及した見解である。(東京都中央区に現存する復興小学校7 校舎の保存要望書)中でも、特に明石小学校については「重要文化財にふさわしい価値を備えていると考えられる。詳細な調査を実施した上で、その文化的価値にふさわしい保存・活用方法を慎重に検討することが期待される。」とある。
 ここまで、重要文化財としての可能性がほのめかされており嬉しい限りであるが、ここで区の対応が注目される。
 これをあえて別な喩えで申せば、建築業者が埋蔵文化財の試掘を指示された事態にやや似ている。私のように民間で建築に携わる者は、もしも建物を新築しようとする際、あらかじめその地下に文化財が埋まっている可能性を教育委員会から指摘されたならば、試掘などの調査に応じなければならない。もし従わなければ処罰されてしまうだろう。
 それはそれとして、明石小の場合、地下はともかく地上の文化財について日本建築学会という権威ある団体から重要文化財の可能性にまで踏み込んだ見解が発せられた。ここでの規準は究極的には「良識」しか無く、周囲からの注視の度合いも日に日に高まる。形式的手続きに終始することの無いよう、そして必ずや今後の範ともなるような良識をもった対応がなされるであろうと、あくまでも希望を捨てずに見守りたい。
 国家的レベルでの財産の可能性を秘めた建物の存亡は、地域の首長の判断ひとつにかかっているようなのだ。
     

【緊急追記1】 8月8日13:00~ TBS「噂の東京マガジン」の「噂の現場」にて、明石小学校のことを放送予定とのこと。情報源はこちら。ブログ「中央区立明石小学校の保存活動」

【緊急追記2】 上記放映と同時に、「保存を望む会」によるUstreamの配信が予定されています。

【緊急追記3】 全国の有識者らにより、8/5「明石小学校を重文にする会」が設立され、緊急要望書が提出されました。(東京新聞8月6日)
| その他いろいろ(活動) | 22:08 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
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コメント
Kikuchiさん、お久しぶりです。

私の地元でも、
横浜最後の復興小学校である「三吉小学校」が
今月中にも解体着手という憂き目に立たされております。

私は同じ区内にある南太田小学校の出身で
通っていた当時は、同じく震災復興の建築であり、
隣接する横浜市立商業高校(Y高)や、
周囲の瓦屋根の住宅とともに
実に雰囲気のある街並みを作っていました。

両校舎とも卒業後すぐに解体されてしまいましたが、
今は無き母校の姿を
この三吉小学校に映しているせいなのか、
何とも寂しく、悲しい気持ちでいます。

ましてや明石小学校のように、
素人目にも素晴らしい建築であれば尚更のことでしょう。
何とか残し、歴史を伝えてほしい建築です。
| Nickey | 2010/08/04 11:23 PM |
Nickeyさま、こちらこそご無沙汰。書き込みありがとうございます。
横浜市の旧・三吉小学校は、市内復興小学校唯一の生き残り校舎だと貴HP(近代建築アーカイブクラブ)で知りました。
学校は人それぞれが育ってきた記憶が詰っているという意味では、建物の意匠性に拘わらず何か特別な存在なのかも知れませんね。私自身はあちこち転校した方ですが、長くひとつの校舎で過ごされた方にとってはなおさら思いは強いのかと想像しております。
| Kikuchi | 2010/08/05 6:02 PM |
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