収蔵庫・壱號館

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西郷会館

1952年,東京都台東区,土浦亀城,非現存(撮影:2008年(解体後の画像は2010年))


             
 正式には「上野広小路商業協同組合ビル」と言うらしい。この建物も銀座の三原橋センターと同様、露天を撤去し商店が入居するビルとしての整備を進めたGHQの指示による建物であった。しかし土浦のGHQとのつながりや設計を引き受けた経緯などははっきりとしていない(*1)。
 それにしても感心してしまうのは、上野の山の斜面を建築空間に活用し屋上部分は「人工地盤」として上野公園の延長として広場を拡張する土浦亀城の発想だ。三原橋センターの場合も然りで既存の地形である川底と橋を建築に転換したのだが共に大したものだ。これらと戦前の土浦の白くて可憐なジードルンクのシリーズとがどうも結びついてこない辺り、ちょっと気にかかる・・・。
 私が感ずる限りで言えば、西郷会館は本質的には穴居式住居の形式に近いというか似おり、日本では稀有な建築例なのではないかと思っていた。一般的に言って穴居式住居には構築された建物の外観を必要としない。西郷会館の場合、存在していたファサードの表面はくまなく看板類で覆われ、解体前は上図のように防護ネットで覆われ、ついぞ本当の外観を人前に示すことは無く終った。いや、本当の外観など無く示す必要も無かったからそうなったと言うのが正しいのか。
 こうした珍しい建物も、ある意味で日本の戦後の特殊な時代状況の反映であったのだろうが、昨年使命を終え解体された。

                             ***

 昨年末に上野を通りかかったら既に建物は無く、恐らく昔そうであったように西郷隆盛像が見おろすように立っていた。あたかも建て替え工事を高みから指揮するように。西郷さんが睨みを利かせた現場はさぞ引き締まっているに違いない。                  




                            ***

 隣接する上野松竹デパートの建物は現在もある。こちらは、元々上野松竹劇場として1953年にオープンした映画館であった。その真上には、右下図のコンクリート造の「あずまや」風の部分があり公園の景観に同化している。これは通常のビルであれば屋上の階段室に相当するようであったが、随分前から閉鎖されているようでもあった。
      


*1:『土浦亀城建築事務所旧蔵資料の整理−歴史系博物館における建築資料研究その2−』(早川典子,日本建築学会大会学術講演 2005.9)による


| 1950年− | 20:27 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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