収蔵庫・壱號館

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会津さざえ堂

1796(寛政8)年,福島県会津若松市,現存(撮影:1981年)

 福島県が世界に誇るとっておきの名建築は無事とのこと。そこでまたも江戸期に遡る建築を取り上げたい。

 二重螺旋構造の特異な空間を実際に体験できる近代以前の建築は、おそらくフランスのシャンボール城のダ・ヴィンチの設計とも囁かれる階段室とこのさざえ堂だけ!のはず、・・・たぶん。正式には正宗寺円通三匝堂と称され郁堂が考案したとされる。当初は三十三観音を順次参拝するためにこうした空間が考えられたそうだ。
 二重螺旋の空間構造と言えば、後にDNAの構造からヒントを得た黒川紀章のヘリックス・シティ計画が思い当たるのだが、さざえ堂は約165年先立って作られた。そういえば毛綱毅曠による釧路市立博物館(1984年)の階段も二重螺旋であった。

 さて、これが建てられた寛政期とはどんな時代だったのか。元号が示すように松平定信による寛政の改革が行われ、飢饉対策、緊縮財政、風紀の取り締まり、寛政異学の禁なる学問統制がなされ朱子学のみが公認されたという。文化的には東洲斎写楽が出現し短期間の創作活動を行ったのだが、それは寛政6年から約10ヶ月間だったとされる。
 会津藩においては、1798(寛政10)年に藩校「日新館」の設立が発案され、藩政改革を目的とした人材育成機関として1803(享和3)年に完成した。そこは天文台や水練場(プール)などの施設が整う全国屈指の藩校であった。
 幕末になると、戊辰の役の際日新館で学んだ16,17歳の少年らによって白虎隊が組織され、このさざえ堂の建つ飯森山にて自刃に及んだ話はよく知られている。 

 福島県の山間に特に学問を中心とした独自の地方文化が育まれさらに広く社会に貢献したことは、明治期に猪苗代から野口英世を輩出したことなどからも見逃せない事実であろう。そのひとつのシンボル的意味合いからしても、このさざえ堂は末永く飯盛山に立ち続けるに違いない。

←軒裏・・・見たことも無いような納まり。

          
上り(左)、そして頂上から下る(右)。かつては自動的に賽銭を集める仕掛け、賽銭の樋が巡らされていたという。



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