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2023.05.10 Wednesday

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    2011.07.22 Friday

    明治大学駿河台図書館

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      1959年,東京都千代田区,堀口捨己,非現存(撮影:1995年)

       1990年代半ば頃だったと思う。明治大学で堀口捨己の図面展がここで開催されたので行った帰りに撮影しておいた写真がこれ。現在の変わりようからして撮影しておいて本当に良かったと思う。

       駿河台校舎は全般に見て、部材断面的にやや華奢な感じのするRCの柱や梁、薄めのスラブが真壁風に露呈され、そうしたところを見ては堀口の手に掛かった建築であることを感じた。もしかしたら木造建築を組む感覚で設計されたのかな、などと想像を巡らせたりもした。
       想像はさらにふくらんでいく。都市の狭い道は「露地」に見立てられ昇華された上で建物と一体化する。またRCのモダニズムの建築であろうとも、ペントハウスのレベルにおいて、意識としては縫うようにして到達する(右のように)形を変えた「楼閣」があったりするのかも知れない。さらに堀口建築が成り立つためには派手なアクセントが必要となる。
       建物のエントランスの庇の上は十字型の柱梁で2,3階の一部が吹きさらしとなっている。庇を見上げると(つまり2階床のレベルには)下の写真のようにふたつのガラスブロックの円筒があった。円筒の中には照明器具が仕込まれていたのだが、注目したいのはそのガラスブロックの派手なオレンジ色。自然光や人工照明でオレンジ色の光が照らしつつ、薄紅をさすようにぼやっと周囲に映り込む仕掛けだったのではないだろうか(実際、薄暗いだけで用をなしていなかったが・・・)。

       日本の伝統的なボキャブラリーを咀嚼していさえすれば、西欧の新興建築を作るなんてわけないことと言わんばかりに、ここに堀口の建物が存在していた。




















      2023.05.10 Wednesday

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