収蔵庫・壱號館

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西田幾多郎歌碑


1951年,神奈川県鎌倉市,坂倉準三

 建築家坂倉準三と鎌倉の関わりはあの近代美術館だけではない。坂倉による(たぶん)唯一の彫刻作品が七里ヶ浜、国道134号線沿いの鋪道に立っている。

 晩年をここ七里ヶ浜を見渡しながら過ごし1945年に没した西田幾多郎を顕彰する歌碑が、有志の発意によって建てられることとなった。そして坂倉がそのデザインを担当したのである。
 『美術手帖』(1951年8月号)にこの計画の概略と模型写真(下のモノクロ画像)が掲載されていたので、以下に一部引用する。

「・・・鎌倉市姥ヶ谷海岸の砂丘に建築家坂倉準三氏の設計による高さ六尺五寸、幅三尺八寸の歌碑が建立される。この歌碑のフォルムは名著「藝術と道徳」から意味づけられた永遠の美=永遠の女性を象徴しており、由縁ある永眠の地鎌倉で詠んだ歌

  七里浜夕日漂ふ波の上に
  伊豆の山々果し知らずも

の一首が碑の前面に刻まれている。・・・」

 当時は、鎌倉市によって、この碑を中心とした100坪規模の西田記念公園の建設計画があったことも記されていた。

 コルビュジエに師事した坂倉を想起させるというよりは、どことなくアルプの彫刻を思わせるのはなぜだろう。歌を囲んで刻まれている八芒星の意味するところは何であろうか。記事にあるように永遠を意味するのだろうか。私が観る限りでは、色々と謎めいていてそれが魅力となっている。
 
 尚、制作には矢橋六郎が関与していたとの記録があるらしい。矢橋六郎は矢橋大理石商店を興した矢橋亮吉の六男。画家であり、また東京交通会館の《緑の散歩》などモザイク壁画もいくつか手掛けた。
 ただし、この碑は見たところ1本の御影石から出来ている。そんな硬い石から刻み出された柔和で微妙な曲面の造形に、理屈抜きで目を奪われてしまった。

                    

 建立して間もない頃の、砂浜に立つ写真が『建築写真文庫 墓碑と記念碑』(北尾春道,彰国社,1957)に掲載されていた(下1枚)。こういう立地でも様変わりは相当あると感じた。
                                     







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