収蔵庫・壱號館

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県営河原町団地

神奈川県川崎市,1972年(当該住棟),大谷幸夫,現存(撮影:2012年)

 河原町団地に最初の「逆Y字形住棟」がお目見えしてから40年目になる。これは丹下研究室の出身で「国立京都国際会館」を設計した大谷幸夫により生み出された住棟なのである。

 高層の住宅団地を配置する場合、どうしても低層部の日照をどう確保するかが問題となる。そこで低層部の住戸をセットバックさせながら積み重ねる棟が考案されたわけだが、これと垂直に立ち上がる棟とを交互に配置し隣棟間隔を適切に保ちながら日照を確保するように計画された。
 また、斜めにセットバックする住戸群によって生み出される空間は公共空間として建物に内包される。つまり子供は建物から隔たった野外に行かなくても家のそばで遊ぶことができるのだ。
 さらにこの半屋外の共用空間は上層階の吹き抜けともつながっており上下階の隔絶した感じの緩和にも寄与するらしい。日照の問題の解決策をはじめとして大体以上のような効果が期待されてこのユニークな「逆Y字形住棟」が誕生したのだった。
 バルコニーの窓や玄関の位置などについてもプライバシーに対する細やかな配慮が働いているが、これも当時としてはまだ珍しかったのではなかろうか。

 当時の公営住宅団地の多くは、まだまだ均質に連続する住戸とそれらをつなぐ共用の廊下や階段が全てだった。その結果の殺伐とした雰囲気が問題になるのはもう少ししてからであった。
 そんな折りに、無ければ基本的に成立しないというわけでもない半屋外の巨大な共用空間を作り、襞の多い外壁を実現にまで至らしめたことは、やはり画期的だったと言うべきであろう。
(当時の某誌月評を読むと、ある有名建築家がこれを陰鬱な空間とする単純な印象批評に終始させていたが、そういうあげつらい話なら誰にだってできる)
 河原町団地の「逆Y字形住棟」を見ていると、断面形状が似ているせいか大谷幸夫の師である丹下健三の「25,000人のためのコミュニティ計画」(1959)思い起してしまう。しかし丹下健三のそれは計画止まりであった。それに対して現実の団地で実現してしまった大谷のすごさを過小評価することはできまい。
 ただし留意しておきたいこともある。大谷幸夫の場合、あくまでも最小単位であるのが住戸であり、人間であってそれを起点にどう集合するのがふさわしいを考察し、ひとつの建築に至らしめるという発想の違いがあるらしい。つまりメガストラクチャーありきでそこに全てを押し込める発想とは逆向きなのである。



 さて、当時の掲載誌を見ると、共用空間でたくさんの小学生位の子供達が遊ぶ活気あふれる写真に満ちている。よくよく考えれば写真の子供達は大体私と同じ世代であり、私もこのような「来るべき21世紀の未来空間」で遊べたら楽しかっただろうな、などと当時ずっと小さい団地に住んでいた私は、今更ながら少々ひがみっぽく思うのだった。
 そしてこれらの写真を撮った2012年のとある日、殆ど人気もなく少し寂しげであった。遊び場としての機能はとうに忘れ去られたようにも思えた。
 恐らく、今見ているのは当時の子供たちが巣立って行った「夢の跡」であり時間が止まったまま残された空虚なのだろう。世代の移り変わり−やはりここでも対処しあぐねているような、そんな問題に立ち至っているように感じられた。





以下は、逆Y字ではない、商店街のあるツインコリダー型の棟。そしてちょっと不思議なパーゴラ(?)、無限定的な伸長を示唆しているような・・・。
   



 
| 1970年− | 22:38 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
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コメント
この団地と同じ年に生まれ。中学までの15年間住んでいた者です。
この広場を作りだす下層部分の通路は、小学生時代怖くて一人では歩けませんでした(日中であっても)
| ななしのごんべえ | 2013/01/05 2:03 PM |
お住まいになられた方からの貴重なコメント、ありがとうございます。(未来的な建物に住めるなんて羨ましいなんて思ってしまいがちですが)実際にはやはり良し悪し色々あったのですね。なるほど言われてみれば分かるような気がします。
| Kikuchi | 2013/01/08 9:49 PM |
 同級生が住んでいた4-6号棟によく遊びに行ってました。一階のスペースは薄暗いので、あまり遊んだ記憶はないのですが、6Fあたりにあった、Y字の付け根にある中庭のようなスペースは、広さも手ごろで、明るくて、よく遊んでました。
 このページを読んで、先進的なデザインだったことに改めて気づかされましたが、私の第一印象は未来少年コナンに出てくるインダストリアの三角塔でした。私的には、コンクリートの空き地よりも、木が生えてブランコがあるような、小さな団地脇の公園のほうが、子供向きで、いい思い出も多かったような気がします。
| pokkaman | 2013/07/24 11:38 AM |
pokkamanさま、書き込みありがとうございます。実際に子供の頃過ごされた方の貴重な思い出、なるほどと頷かされることばかりです。6階付近のスペース、気が付きませんでした。インダストリアの三角塔はあの当時の未来イメージですね。初めて知りましたが印象がダブる気持ち、よく分かります。実際、子供にとっても、恐らくこうした建物は好き嫌いがあったでしょうね。
| Kikuchi | 2013/07/26 10:13 AM |
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