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オリンピック記念宿舎(旧・ワシントンハイツ家族用住宅)


1947年,東京都渋谷区,米太平洋総司令部技術本部設計課,現存(撮影:2012年)

 連日オリンピックにおける日本選手の活躍が続いている。私の頭の中もそれに占められているせいか、かこつけた話題となってしまうこと、心苦しいがお許し願いたい。
 1964(昭和39)年に開催された東京オリンピック、その選手村の宿舎がたった1棟、ほぼ当時のまま緑豊かな代々木公園の片隅に保存されている。オランダ選手の宿舎であったらしい。平屋にセメント瓦、ペンキ仕上げの木製建具は米軍住宅の典型のようであり良い雰囲気だが、内部に立ち入ることはできない。
 東京オリンピックの開催以前、この一帯はワシントンハイツと呼ばれアメリカ占領軍のための諸施設が立ち並んでいた。駐留は占領終了後も継続されたが東京オリンピック開催の機会に返還され、住宅はそのまま選手村の宿舎として利用された。そのようなわけで、これはワシントンハイツにおけるアメリカ軍将校の扶養家族用住宅、いわゆるデペンデントハウス(dependents housing)唯一の遺構でもある。

 デペンデントハウスについては、『占領軍住宅の記録(上),(下)』に詳しい。同書によれば第二次世界大戦敗戦後の昭和20年9月、GHQはアメリカ占領軍用の諸施設の建設を命ずる予告を日本政府に対して発し、翌年早々約2万戸の住宅建設を命じた。代々木練兵場であった敷地を用いて、ワシントンハイツ(27.7万坪)として827戸の住宅建設を昭和21年8月に起工、昭和22年9月に竣工した。他にも規模の大きなグラントハイツ、あるいは本牧、立川、根岸など各地で建設が進められた(*1)。                      

 デペンデントハウスは勿論アメリカ人専用の住宅であった。しかしそれを日本に建設することにより、家父長制の根強いそれまでの日本人の生活に取って代わるアメリカ式の新しい生活スタイルを植え付けるきっかけとする狙いが隠されていたのではないかと、この本を読むことによって感じ取ることができた。またそれは日本の在来工法を全く排除することなく、ある程度実情に合わせながら進められていたようでもある。こうして建設されたデペンデントハウスの建築技術などは、少々大袈裟な言い方かもしれないが、戦後日本の住宅の発達の原点に位置しているようにも思えてきた。

                   

【戦後の壁工法の変遷のこと (しっくい→石膏プラスター→石膏ボード)】
 さて、デペンデントハウスが戦後の日本の住宅工法に変革をもたらすきっかけとなったのではないかという見方について、その一例として内装壁材については少しばかり思い当たる部分があるので触れてみたい。つまり室内の「塗り壁材」の戦後の変遷のことである。
 デペンデントハウスの図面(*1)を見ると、壁などの仕上げ材を“PLASTER”と指定した書き込み箇所がみつかった。それを普通に訳せば「塗り壁」と広く解釈されるが、実際のところ「石膏プラスター」を指していた可能性が高いようである。その理由は、ある石膏製品の会社の社史に次のような内容の記述があるのをみつけたからである(*2)。すなわち昭和21年11月にGHQから全国焼石膏協議会に対してアメリカ占領軍のデペンデントハウス建設の目的で、2万トンの石膏プラスター製造の指示があったということである。
 漆喰よりも硬化の発現が早い石膏プラスターは工期短縮に向いているので、占領軍の大量の住宅建設にとって理にかなう。但し100%石膏を用いるのではなく、それは施工の際に「石灰クリーム」つまり漆喰の塗り材を混和させてから塗る石膏プラスターであり「クリーム用石膏プラスター」(所謂「純石膏プラスター」と同じ内容)と称された。成分は焼石膏に硬化時間調整用の凝固遅延材を加えたもので、純度は上塗り用で60.5%以上との指定が付いていた。
 こうしたGHQの指示は、伝統的な土壁漆喰仕上げ一辺倒であった日本の壁工法の職能依存体制に対して、ある部分一石を投ずるきっかけになったのではないかと、私は推察している。

 アメリカでは天然石膏を豊富に産出していたが、日本では天然石膏の産出量は僅かしかなく、大量納入の要請に対して苦慮したことは想像に難くない。しかも建材用の石膏は、戦前から薄い石膏ボードが生産され、あるいは高級な洋館の装飾用の石膏が用いられたが一般的な建材というには程遠く、要するに石膏プラスター建材そのものが日本においてはほとんど未知の材料に近いものであった。
 それでも昭和23年までの間に石膏業界各社が協力して政府の特別調達庁に「クリーム用石膏プラスター」を納入し、デペンデントハウスにおいて戦後最初の石膏プラスターによる壁が作られた。

 こうした経験はその後の復興需要や高度成長期の建築需要に応えるための重要な経験となった。伝統的な木舞や木摺りを組んで土壁を塗りさらに漆喰で仕上げるには1か月を超える工期を要し、短期間で大量の住宅を完成させようにもこれでは到底追いつかない。数時間で硬化が発現する石膏プラスターが有効であることを、上述の経験で認識したのである。もちろん変革が必要であったとはいえ抵抗も根強く、伝統ある「土壁漆喰仕上げ」一辺倒からの脱却は、一朝一夕で進むものでもなかった。
 その後、徐々にではあるが石膏プラスターは徐々に土壁漆喰仕上げに取って代わるべく進化した。昭和20年代における現場で石灰クリームを調合する「純石膏プラスター」の使用を起点として、消石灰があらかじめレディーミックスされた「混合石膏プラスター」(*3)が開発され、さらに昭和30年には石灰成分を全く含まない、石膏成分だけによる画期的な壁材料「ボード用石膏プラスター」(*4)が出現した。これは画期的な製品であり、アメリカからの技術供与を受けて開発にこぎ着けたものである。木舞いや木摺りいらずで、石膏ボード(ニュー・ラスボード等)を貼った上に砂と水だけを加えた石膏プラスターを直接塗る、すなわちラス&プラスター工法として高度成長期を中心に住宅の内壁用として広く普及した。

 この普及の背景として、国内の石膏の資源不足を補うための、燐酸肥料の工場から大量に副生する燐酸石膏の有効利用が進んだことが大きな要因となっている。全国各地の肥料工場に隣接して石膏工場も建設される、といった協力関係が形成されたのである(*5)。また石膏が成分中に2つの水分子(CaSO4・2H2O)を含み、防火性能を発揮する材料であることが広く知られたことも普及の大きな要因である。しかし、高度成長期の終焉と同調するかたちで左官工事を伴う石膏プラスターの使用は減少に転じ、石膏ボードにクロスなどを貼るだけの完全な乾式工法が主流の時代へと移行して今日に至る(その反動として、最近ではしっくいをはじめとした塗り壁の良さが再び見直されつつある)。

 ここでは室内壁工法だけをとって、私独自の変遷の流れの一端をここに示してみたわけだが、こうして戦後の住宅建設の変遷についてデペンデントハウスの存在を起点として据えてみたとき、伝統的な湿式工法からプラスターとボードの併用による(いわば半乾式)そして乾式工法へ至るアウトラインがくっきりと浮かび上がってくる。


  *1:『占領軍住宅の記録(上),(下)』(小泉和子,内田青蔵,高薮昭 住まい学大系,1999)
  *2:『吉野石膏百十年史』(吉野石膏株式会社,2010)
  *3:しっくいの塗り易さを維持するために石灰成分が混和されたが、改良が何度か行われ添加成分は変遷した。(念のため、「混合」とは言っても、某社の細骨材入りプラスター「B-DRY」とは内容が異なる)
  *4:某社製品「BーYNプラスター」のこと
  *5:原料調達は、その後「排煙脱硫石膏」そしてリサイクル材も加わり現在に至る

| 1940年− | 22:44 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
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コメント
名古屋市中区の白川公園は昭和30年代初めまで進駐軍の住宅がありました「アメリカ村」と呼ばれていたのですが
そこに立っていた住宅もこのようなものだったのではないか思います。
| 寺西 | 2012/09/01 8:49 AM |
寺西さまお久しぶりです。「アメリカ村」、ネット上の写真見て確認、初めて知りました。名古屋にも大規模な進駐軍住宅があったのですね。
| Kikuchi | 2012/09/01 6:38 PM |
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