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久保山墓地納骨堂

            
          1925年,神奈川県横浜市,山本外三郎,現存(撮影:2012年)


 約20年ぶりに再訪した。あの時は半信半疑で『建築新潮』の掲載ページ(最下の画像)と久保山墓地の名を手掛かりに探し歩いたのだった。そして初めて納骨堂の前に行き着いたとき、写真通りの威厳を保ちつつ現実に聳えている姿に感動し、感慨で言葉も無かったのを覚えている。

 霞橋(前項)から坂を上り20分ほど歩いたら、久保山墓地の最奥で今回も以前とほぼ変わらぬ姿に出会った。メンデルゾーンの建築を彷彿とさせる3D曲面の外壁は、こう言っては不謹慎かもしれないがよく出来ている。一点だけ人造石洗い出しの表面が一部剥がれていたのが気になった。建築当初の写真と見比べると入口部分の庇が変化しているのは、過去にここだけ破損し作り直されたということであろう。
                      
           
           

 この納骨堂は無縁仏の遺骨を納めるためのものであり1925(大正14)年に建てられた。およそ以下のような内容の設計者山本外三郎の解説から、その内部空間もある程度想像できる(*1)
 内部は6段の棚が3方にしつらえられ遺骨が積み重ねられており、嵌めこまれたステンドグラスの効果で純白のプラスター塗りの空間が淡緑色の光で彩られ、陰もまた澄んだ淡紫色である、とのことである。 外観の造形については特に触れられてはいない。ただしドーム部分の仕上げ材は「銀灰色のストーンテックス」、下部は「褐色味を帯びた人造石洗い出し」とあるので、当初はツートンカラーだったのかもしれない。

 「私はこの納骨堂の設計をする時、うしろ寒いやうな一寸云うに云われぬ森厳な感動を受けながら鉛筆や定規を動かさねばならなかったことを告白します」 (*1)
 
 設計者は、引き取り手もなく苦難を背負いつつ生涯を終えた者に思いを馳せ、厳粛な気持ちを得たことを吐露した。そして、ここへたどり着いた死者だけに許される贅沢な安住の空間を用意したのである。生きる者の踏み込み得ない封印された場所として。私はここに、大正期独特のロマンチシズムに根ざした建築の発想を見る思いがした。

                                     
                   「建築新潮」(1925年4号)口絵


     *1:「建築新潮」(1925年4号)「久保山納骨堂に就て」山本外三郎




 

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