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青木町公園の「聖火台」

         
        1958年,埼玉県川口市,現存(撮影:2013年)

 つい昨年のこと、金メダリスト室伏広治氏らにより国立競技場の聖火台磨きが行われるなど、製作時の逸話と1964年東京オリンピックで思い出深いこの聖火台がクローズアップさているようだ。また新しい国立競技場の建設を前に、聖火台の去就もにわかに気になり始めたところである。

 実は、そんな国立競技場に据えられた聖火台と瓜二つのレプリカが、この写真のように埼玉県川口市の青木町公園に記念のオブジェとして置かれている。川口といえばこれらの聖火台を製作した鋳物職人が活躍した町であり、およそ以下のような鋳物の町川口の誇りとも言えるエピソードが残る。
      

 今から50有余年遡る1958年のこと、アジア競技大会と東京オリンピックの開催に向けた聖火台の製作を、当時の川口市長が鋳物の町の名誉にかけて引き受けてしまった。とはいえ2mを超える巨大な聖火台の製作は技術的に未知の領域、これが出来るのは鋳物の名工鈴木萬之助氏しかいないということになり、引き受けた萬之助氏は全身全霊を込めて製作に取りかかった。
 ところが名工をしても湯入れの段階で原因不明の爆発が起きてしまい製作に失敗、萬之助氏はショックのあまり倒れ込んでしまった。そこで息子の文吾氏が後を受け、全くの不眠不休で再製作に没頭、その間、父が息を引き取ったことも知らされないまま見事に完成、納期になんとか間に合わせて聖火台を国立競技場の高みに据え付けることに成功した。息子文吾氏は再度失敗したら死ぬと覚悟を決めて再チャレンジに挑んだという。
 父萬之助氏の作として名を刻んだ聖火台は、立派に東京オリンピックの聖火を灯し続けた。名人親子の執念のリレーや天晴れ!というわけである。(下は、萬之助と文吾氏(いずれも故人)を顕彰する碑の写真(青木町公園))

        

 さて、冒頭の写真のような青木町公園の聖火台を、先にレプリカだと述べた。しかしいくつかの情報によれば、ここにあるものこそが萬之助氏が手掛けたオリジナルの作ととも言えるのかもしれない。なぜなら、これこそが損傷し完成に至らなかった萬之助氏の手になる聖火台であり、後にきれいに修復して公園に展示したものだそうだからである(*1)。私が見た位では修復の跡など全く分からなかったのだが、実に見事な鋳鉄のオブジェであった。

 最後にひとつだけ気になっていることを。聖火台の製作者は上記の通りなのだが、それらのデザインを行ったのは、本当のところ一体誰なのだろうか・・・、ということである(調査不足のままで心苦しい限りではあります)(*2)
 もちろん、デザイナーが誰であっても優れた造形作品であることは間違いなかろう。再度の東京オリンピック開催に向けて国立競技場が新たなデザインで生まれ変わろうとも、私としては、現在ある鈴木萬之助文吾親子製作の聖火台、すなわち日本の戦後の歴史を象徴したこの鋳物の聖火台に、末永く聖火を灯し続けて欲しいと願っている。

      
      


*1:HP《eギャラリー川口 川口談義第3回「伝説の鋳物師」》中の鈴木文吾氏による証言:「・・・その駄目になったやつ(聖火台)が、今、川口の青木(公園、陸上競技をするところがある)に飾ってあるんだよね。・・・」がある。
他に、WIKIPEDIAによる「・・・文吾は、もし自分まで失敗したら腹を切って死ぬつもりだったという。 この聖火台は文吾の手により父の製作者名が入れられ現在も国立競技場に置かれている。萬之助の聖火台も修繕をへて作業場のあった川口市に置かれている。」と書かれている。

*2:ある陶芸家の名が挙がっているようである。またある所ではある著名デザイナーの名も見えるようだが・・・。






 

| パブリックアート | 21:52 | comments(5) | trackbacks(0) | pookmark |
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コメント
始めて、投稿させていただきます。
この度は聖火台についてご紹介いただき、大変嬉しく思っています。
私はこの、所謂、レプリカの鋳造の湯入れ(ふき)に立会いました、今では数少ない一人です。
川口に在住の『宮内』と申します。
このレプリカを修復しました方を知っています。

また、これとは別に聖火台に関することで、
昨年春から、秩父宮記念スポーツ博物館・図書館
日本スポーツ振興センター様には、協力させていただいておりまして、
目下、更に情報の収集にあたっていますと同時に、さらなる提供を試みています。

挨拶は、ここまでといたします。
有り難うございました。

以上
| 宮内貞守 | 2014/04/08 1:42 PM |
宮内さまへ
直接関わられた方からの書き込み、本当にありがとうございます。光栄に存じます。恐縮ですが、この際、常々疑問と思っていることを下に二つほど書きました。もしもご存じであればお教え下さればありがたいです。
・このレプリカについては、修復されたものと聞いておりますが、素人の私が見ると直した跡など全くわからず、新たに作ったようにさえ見えました。直す前の損傷程度はどのような状態だったのでしょうか。
・この聖火台の形を考えたデザイナーは別に誰かいらっしゃるのでしょうか。

またこれに限らず、思い出されたことなどご自由に書き込んで頂ければ幸いです。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
| Kikuchi | 2014/04/10 2:58 PM |
Kikuchi  様
早速、関心をお寄せいただき、有り難うございます。

>またこれに限らず、思い出されたことなどご自由に書き込ん で頂ければ幸いです。<

何と有り難き、お言葉でしょうか。
五十数年の間、埋もれていました情報、正に世に出ることが出来る絶好のチャンスが巡って参りっました。

このことは、前回の文で、申し上げました、日本スポーツ振興センター様、始め今年になりましてから、関心を寄せていただく何人かの皆様には、心から感謝申し上げたいと思います。

ところで、単純なお願いがございます。
私は、ツイッターとか・フェイスブックなどは、生活習慣に御座いませんで、メールオンリーです。

従いまして、email:なるサイトでお願いできますれば幸いに存じます。
添付ファイル等・また写真なども含め、漸く覚えたような新米です。

どうか、我が儘をお汲み取りいただきますよう、宜しくお願いいたします。

email:myks@plum.plala.or.jp


| 宮内木型製作所 | 2014/04/11 1:53 PM |
ご無沙汰して申し訳ございません。
昨年は何度かメールしましたが、不通になってしまい、なから断念しておりました。

聖火台に関しては、ネット上では関心をもたれる方が何人かいらっしゃるようですが、無視しております。

青木公園に設置の聖火台の修復された会社も見つかり、ここのところ行き来しています。
その他情報としてはいくつかございますが、
簡単なお知らせに、留め置きます。

お忙しいところ、失礼いたしました。
| 宮内木型製作所 | 2015/01/16 5:08 PM |
宮内木型製作所さま

おたよりありがとうございます。またご教示のほどよろしくお願い申し上げます。

メール普通とのこと、どうしたのでしょうね(試しにこちらからお送りしてみます)。

では。
| Kikuchi | 2015/01/17 1:31 PM |
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