収蔵庫・壱號館

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千葉大学医学部記念講堂
     
     1964年,千葉県千葉市,槇文彦,現存(撮影:2013年)

 皆様、本年もよろしくお願い申し上げます。さすがに以前と比べて更新の頻度は減ってしまいましたが、これからもマイペースで続ける所存です。

 さて今年最初は「千葉大学医学部記念講堂」。同大学医学部の設立85周年を記念して1964年に建てられた講堂であり、設計者槇文彦にとっては、名古屋大学豊田講堂(1960年)に次ぐ作品。

       

 千葉市内の高台に「亥鼻の森のお社」を作ることを意図したことによるという、銅版葺きの大きな屋根が印象的である。だがメガストラクチャーの存在を思わせるような、梁断面むきだしの力強い正面ファサードをに目を向けると、私は1960年代当時に思い描かれた「近未来都市の一断面」を見る思いがした。と言うか「内―外」を壁で分かつ普通の単体建築の概念を越えようという意図が明らかに感じられ、ミクロの建築空間からマクロの都市までを統合しようとする意思が強く漂ってくる。(とりあえずガラスを無いものとして見れば、なんとなく意図が汲み取られるかもしれない)

         

 事実、内も外も無い「都市の一部」とする考えは観念上の都市モデルを表わすにとどまらず、設計において大胆に実践されていた。一見したところでは一般的な講堂のプランのようだが、当初は、ホールとホワイエを隔てる仕切りは、建具を全開にすることによって開け放つことができ、一体の空間とすることができたそうである。
 ホワイエ中央にRC打ち放しの塔がそそり立ち、その上部には白くて四角い映写室らしきブース(下画像)があるのだが、恐らくそこからステージに向けて映像が発せられていたと思われる。つまり機能の上でもホワイエとホールは一体的に扱われていた、あるいはフレキシブルな変化を可能にする設計がなされていたことを今に伝えている。さらに言えば、ホワイエと屋外を区切るのは透明ガラス1枚だけなので、視覚的には、ホールの隅から外部の亥鼻の森にまでつながっていたのである。

 建物随所に流政之のアート作品があちこちに嵌めこまれている。無表情で荒々しい構造体を露わにするだけではなく、実は、壁面と間近な距離においても訪れる者の目を楽しませるよう、きめ細かい配慮がなされていたのである。   

         

         
  
     











 
| 1960年− | 19:49 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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