収蔵庫・壱號館

日本の20世紀をメインとした建築画像の保管庫
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旧・足利織物(現・トチセン)より サラン工場,捺染工場,汽罐室


サラン工場及び捺染工場:1913〜1919,汽罐室:1912〜1925(1941年増築),栃木県足利市,現存(撮影:2014年)


 足利は古くからの織物の産地として知られる。織物産業が隆盛を続ける大正2(1913)年、赤煉瓦と鋸屋根が印象的な工場を持つ「足利織物株式会社」が設立された。後に企業名は「明治紡績株式会社」を経てさらに現在は「株式会社トチセン」となるが、営々と繊維関連商品の生産を続けている。

 許可を頂き広大な構内を巡ってみると、歴史を感じさせる煉瓦造の建物や木造の建物で占められており、戦前期に造られた建物が多いのではないか(?)、という印象であった。
 ちょうど構内のある一角で壁の塗り替えがされていた。当たり前のことのように手を入れつつ建物を大切に使おうとしている姿勢を見たような気がして(建替えが頻繁なご時世のせいだろうか)ちょっとした感銘を受けてしまうのだった。
 今回、登録有形文化財に登録されている煉瓦造の3棟の建物をとりあげる。


 
・「サラン工場」 (上図及び下2枚):切妻屋根の長大な建物。石材でできた窓枠による窓が多数並ぶ。上段の窓は後に加えられたもの。(「文化財オンライン」の解説から要約))




 登録有形文化財に登録されている煉瓦造の3棟の建物は産業遺産として貴重であることは言うまでもないが、ここで私が目を奪われたのは、敢えて消さずに残されたとされる戦時中の迷彩塗装であった。そういうわけで迷彩塗装のある壁の画像ばかりをクローズアップしてここに並べてしまったのだが、お許し頂きたい。特に汽罐室の外壁全面に施された激しい模様には唖然としてしまった。
 外壁に迷彩塗装を施した当時のことを想像するならば、描いた人は恐らく意匠的に体裁を整えようなどという意識を持たずに、黒いペンキで一気に塗りたくったのであろう。だが刷毛のおもむくがままの筆致は、かえって潜在意識の奥に潜む戦争の不穏な感情を浮かび上がらせたようでもある。時として建物は設計意図とは別に、社会の流れにまみれて予想だにしないものに変質し、人々の脳裏に何かを刻みつけるようだ。それがほんの表層に描かれたものであっても。付け加えて言えば、この迷彩塗装を見た瞬間、関東大震災直後に「バラック装飾社」が描いたプリミティブな看板模様をふと思い起こしたのだった。


・「捺染工場」 (以下4枚):6連の鋸屋根が架かる長大な建物。煉瓦造の外壁と木造の軸組による。開口部のまぐさ石は1本の石で出来ている。(「文化財オンライン」の解説から要約))







  



・「汽罐室」 (以下5枚):切妻屋根を2連に架け、煉瓦の妻壁は切妻形と四角形の壁が連続して並ぶ。内部にランカシャーボイラーが2基設置されている。(「文化財オンライン」の解説から要約)ランカシャーボイラーとはかつて普及した炉筒が2本ある煉瓦造ボイラーということらしい。)










 




 
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