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鶴見線沿線散歩
     

 前回ご紹介した国道駅のあるJR鶴見線沿線を、もう少し歩いてみた。鶴見駅から隣の旧・本山(既に廃駅)辺りの線路沿いを歩き、電車に乗って浅野セメント社宅群のある「安善」駅で降りた。


 ●鶴見駅(旧京浜デパート(現京急ストア))
 鶴見臨港鉄道として昭和5年に開通した当時、鶴見駅は仮駅舎のままで少し旧本山駅寄りのところにあったそうだ。その後1934(昭和9)年に省線と一体化した駅舎が完成、下の写真のように外観はモダンで内部が西欧のターミナル駅風な鉄骨建屋の下に「京浜デパート」が設けられ営業を開始した。

        

 「京浜デパート」の発祥についてちょっと辿ってみたところ、思いがけず白木屋デパートが関係してくることを知った。どういうことなのか、簡単に書くと次のようになろうか。
 かつて白木屋は関東大震災による痛手から立ち直るべく、起死回生策として小規模な分店網の展開を企てた。しかし日本百貨店協会が支店開設自粛の協定を作ったことで白木屋の名で支店の店舗展開をすることができなくなり、協定への抵触を避けるべく白木屋の出資を伴わない「京浜デパート」を新たに設立することになったというわけである。ただし社員については白木屋から送り込まれたそうである。
 その時に作られた店舗のひとつが鶴見の京浜デパートであり、他には品川店をはじめ、蒲田、川崎に開店した。『鶴見線物語』(*1)によれば、鶴見臨港鉄道では既に国道駅に開店していた「臨港デパート」の実績が、より規模の大きな京浜デパート開店につながったのではないかとしている。

 しかしながら京浜デパートは地元商店会の反対や戦災などに遭遇し、終戦の時点で品川と鶴見の2店舗だけとなった。戦後は「京急ストア」として店舗を増やしたが、結局発祥時からの京浜デパートの建物は、ここ鶴見が唯一となっている。

        


                
●鶴見〜旧・本山
 鶴見駅から一つ目の駅は「本山」駅であったが駅は無く、現在はホームや階段の痕跡が残るのみである。かつて本山駅は曹洞宗の大本山總持寺への最寄駅として、参詣への便宜が図られていたのである。
 ▼總持寺の参道と鉄道が交差する地点には今でも總持寺架道橋が架かり、テナントの入った高架下の開口部に一対のアーチ形があしらわれている。国道駅同様、アーチを好んだ阿部美樹志のデザインがここにも感じられる。

      

        


 ▼またこの付近の高架下は、主にバスの車庫として利用されている。少し鶴見寄りに戻ってみたところは開業当初、鶴見の仮駅があった辺りである。戦前からのものであろうか、ちょっと古めかしいテナントのデザインが顔を覗かせていた。

      

        


●安善駅を降りて
 さて一気に進んで「安善」駅で下車。「安善」という駅名は鶴見線敷設を財政面からバックアップした安田財閥の安田善次郎の名からとられたのだそうだ。鶴見線の駅名は、鶴見線には関係する人物名からとられた駅名がいくつかある。調べてみたところ、「浅野」駅はもちろん鶴見を開拓し鉄道敷設を主導した浅野総一郎、「武蔵白石」駅は日本鋼管創業者の白石元次郎。「大川」駅は製紙王の大川平三郎、「鶴見小野」駅は地主の小野信行という具合だそうだ。

        

 ▼駅前にはRC造の一戸建ての住宅が立ち並んでいるのだが、良く見ると歴史を感じさせる。最近知ったのだが、これらは浅野セメント社宅群であり、戦前に建てられ、元々は数多くの家が立ち並び街区を成していたというから驚きである。基本的にはモダンなデザインだが、玄関庇の持ち送りなどにチラリと装飾性への意識が少し残っていた。

      

 現在は建て替えが進んだようではあるが当初の壮観さを想像することは今でも可能である。トニー・ガルニエの工業都市のイメージを彷彿とさせると言ったら大げさ過ぎるであろうか。
 各住宅は2階建てと平屋の2種類で統一されていたようである。2階建ての屋根は陸屋根、平屋は勾配屋根なので小屋組みについては木造の可能性も推測されよう。

      

        

           

 ▼さらに「安善湯」というやはりRC造の銭湯も健在である。恐れ入ったことに唐破風をかたどったような曲線までRCで出来ている。これもたぶん浅野セメント社宅と同時期に開業したのではないだろうか。

            
      

 ▼最後はたばこ屋さん。こちらもRC造でなかなか味わい深い店舗である。正面の装飾が半分切れているとことからすると、以前はもっと大きかったのかもしれない。たばこ売り場のブースも今や珍しい。
 古びた外壁にはちょっと鉄筋が顔を覗かせている箇所もあったのだが、かえってただのモルタル塗りではなくRC造の証拠を示しているようでもあった。

      


    

ということで、本日の散歩はここまで。


*1:『鶴見線物語』(サトウマコト,2005,230クラブ)










 
 
| 街並み | 19:33 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
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コメント
「当時の先端/モダン」でしょうか.コンクリートの装飾性に温かみを感じます.駅名や区画が,全部,持ち主というか縁ある人の名前なのが面白い.
巨大な工場都市の城塞内というか広い庭を走るような感じ,できた当時はさぞ(窮屈で堅そうながら)壮観だったことでしょう.
つぶやかせて下さい.
| マッハ☆ハムスター | 2015/10/07 11:33 PM |
マッハ☆ハムスターさま、コメントありがとうございます。ご指摘のとおりですね。昭和初期には即物主義的なコンクリート住宅一辺倒ではない装飾感覚も作り手側にあったようですね。
| Kikuchi | 2015/10/08 10:20 AM |
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