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常滑陶芸研究所
     
     1961年,愛知県常滑市,堀口捨己,現存(撮影:2015年)


 堀口捨己の建築を見たいと思っても、今では現存する建物も少なく、また残っていても気軽に見られる建物はそれほど残っていないようである。そんなことも一つの要因なのか、ことさら堀口建築はどうも敷居が高い建物というイメージもつきまとってしまう。しかし今回、常滑陶芸研究所に出会ったことにより、そうした観念はかなり払拭された(*1)。

 竣工後50年以上を経ても、建物名称通りに陶芸研究や展示の場であり続け、さらに建築当初のオリジナルのままの空間を示していたことにも大きな感動を覚えた。巷に面影を留めぬ位に改装された古い建物が数多い中にあって・・・。


 
          

      

        

 外観は、深い庇や奥行きのあるバルコニーが印象的な、戦後の堀口のRC造建築の典型を行っているようだ。それだけで十分カッコいいのに、紫〜白のグラデーションの色彩を付けたモザイクタイルが外壁を包み込んでいるのには恐れ入った。一歩間違えば柄入りの和服を着せたように見えてしまいかねない危険がある中で、そうならなずに効果を上げる絶妙なラインを計測したかのように色彩付けが敢行されている。またこれは、常滑の建物に相応しく外装タイルの技術上の挑戦でもあったそうである。

        


  内装はさらに艶やかである。よく言われるように絢爛たる色彩は大正期の分離派時代からの堀口建築の大きな特徴であって、戦後の建築に至っても変わらず終始一貫していたことが、この建物を見れば分かる。
 過去の一例として1920年の分離派の会誌の表紙画(▼)(*2)を見てみよう。金色を用いた華やかな作品は若い時代の堀口の作品である。表現主義の時代から色使いは連続している。


                        

(▼)堀口ならではの建築ボキャブラリーが出揃っている。

        

        

 さてこの建物には、その色彩も含めて日本の伝統建築とモダニズムを統合しようとする堀口の姿勢が表れている。

 会誌「分離派建築会の作品」第1刊中の論文「建築に対する私の思想と態度」の中で、堀口は既に日本古来の伝統へのこだわりを延々と述べていた。そういうことであるから、よく言われるように若き分離派時代からずっと変わらずモダニズムの流れと己の血に潜む日本の伝統とを止揚することを、自らの課題とした建築家であった。そのような点に鑑みれば、この建物のように、西欧モダニズムの外観に和の藤紫の色を調和させる着想が生まれるのも分かる気がする。(堀口は戦後になって和風建築を多く残し特に数寄屋の研究の第一人者となった。しかしそうかと言って、単なる老境でモダニズムから和風建築家に転向したというわけでもないことは、一応押えておきたい。)

 分離派以来ずっとと言えば、もうひとつだけ大正期の堀口の論文を挙げてみたい。「芸術と建築との思想」(*3)の中で、(当時跋扈していた)構造派の言う工学的な意義をえる部分認めつつも、抽象芸術としての芸術の可能性を求めるべきという内容のことを述べている。そこで創作する個人の意志、その精神的な欲求を最優先とする態度を強調している。
 このような建築の芸術性を主張した分離派堀口による強いデザイン意志の表れを、その結実した姿としての、常滑陶芸研究所のどこまでも我々を眩惑させる建築空間に見出すことができる。

 さぁ、私の陳腐な解説はもうこの位にして、以下堀口ワールドをお楽しみあれ。


(▼)屋上から見たトップライト。四方から光を取り入れるしくみになっている。

     

(▼)月見台であろうか。

        

(▼)前庭と建物の位置関係

     

(▼)エントランスホールの階段。

        

(▼)エントランスホールと天井

         


        

(▼)トイレの天井までもこの通り・・・

         


(▼)展示室の天井。卍形のパターンからトップライトの光が落ちる。

        

では。

*1:今回、知人がタイルの展覧会(「I LOVE タイルータイルがつなぐ街かど」)を企画した関係で、その会場である常滑の「INAXライブミュージアム」に行った。そこの際、堀口建築にも寄ることになった。
*2:『分離派建築会 宣言と作品』(1920) 表紙の画は堀口による。(「ある会堂」あるいは「美術館への草案(1920),「ある斎場(1920)」とも類似する)
*3:『分離派建築会の作品(第二刊)」(1921)


 
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