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分離派瀧澤眞弓による本の装丁

       

いつもの建築物というわけではないが、予想もしていないところで珍しいものがみつかったのでUPしてみる。分離派建築家瀧澤真弓による本の表紙のデザインである。

国会図書館デジタルデータで公開されている土田杏村の『文明は何処へ行く』(S5 千倉書房)を検索して開いたところ、本の扉に「装幀 瀧澤眞弓氏」の文字があるのが目に入った(▼)。ただこのデータとしてスキャンされた本では表紙が失われていてどんな装丁だったのか分からない。そこで古本屋で検索したところカバー付のを1冊みつけた。そう高くもなかったので買ってここにUPした次第。

 

        

昭和5(1930)年と言えば、既に分離派は自然消滅の観を呈し、瀧澤は堀越事務所に在籍しつつ設計を行っていた頃であった。ただ次の年には神戸高等工業学校(現神戸大)で教職を得て設計の筆を折ることになる。そういうことなので瀧澤が行った設計・デザインは数が少なく、勿論現存する作品も無い。そんな中にあってこうした装丁というグラフィックな仕事にも手を延ばしていたことを知ることができたのは、せめてもの貴重な発見であろうと思う。


この昭和に入りモダニズムが浸透し始めた時節(それだからというわけではないのが本人の考えのはずだが)の幾何学的なデザインはなかなかのものだと思う。設計をやめなければ相当良い作品を残していたであろうに・・・。

ちなみに著者土田による本の内容もモダニズムについて語り、機械美を汽船を例にとり強く肯定的な説明を進めるあたりはコルビュジエさながらである。勿論土田独自の深い思索の文脈から来るものだが。そのようなわけで、内容と表紙のデザインとはリンクしていると言えよう。

 

  

土田杏村と瀧澤眞弓の縁について言えば、大学に入学する前からの親交があったそうなのである。例えば瀧澤が大学に入学するにあたって進路を建築にしようか迷っていた際、土田杏村と一高先輩の芥川龍之介に相談して賛成された、という記録がある。


土田杏村(1891−1934)は京都大学出身、西田幾多郎の門下生であり大正から昭和初期に活躍した哲学者、文明批評家、教育論者であった。長野県上田市に自由大学を創設したりもした。画家の土田麦僊は兄。ネット上では宮澤賢治が羅須地人協会を構想するにあたって土田の著作を参考にしたという、興味をひく話もみられる (HP 検証「羅須地人協会時代」(鈴木守著作集))

だが巾幅広い領域に亘って相当な著作を遺したにもかかわらず、現在ではなぜか忘れられた存在のようになっている。
 

 

(▼)カバーをとると、カバーと同様の図柄が配色を変えて出てくる。

      

 

 

 

 

 

 

| 1930年− | 20:15 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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