旧・杉並公会堂
1957年,東京都杉並区,日建設計,非現存(建替え済)(撮影:1992年頃?)
戦後の多目的ホールとして、また音楽ホールとしては神奈川県立音楽堂に次ぐ歴史を持っていたことになる。ワン・スロープだけの客席に好感が持てた。
写真は、どこかの大学オケの演奏会に誘われた時に撮ったものだと思う。いつだったか記憶に自信がない。
ここに限らず一般に、音響効果に配慮した設計は、当然のこととして行われる。しかし聴衆の立場でチケットを買おうとすると、S席,A席,B席・・・と座席に序列が付いている。実は、音響が一様ではないということなのか?。私は、今まで、S席やA席は買ったことがない。でも、どこでも大体それなりの特徴をもって響きが伝わるので、安い席で得をしたと思っている。
京成電鉄ビル(じゅらくビル)
今日では、商業施設を備えた大きな駅ビルはありふれた存在だが、これは、その元を築いた、鉄道省初代建築課長を経歴として持つ久野節による作例。乗り場とは長い地下通路で結びつけられていた。
久野節の設計といえば、今も時折利用する東武浅草駅も明快(というか強引?)な動線を持つ。切符は必ず地上階で買わなければならない。(エスカレーターで上ってしまったら、もう改札です。)
ちょっと無骨で豪快な建物の相貌も、久野節の建築事務所の特徴だったように感じられる。
1935年,東京都台東区,久野節,非現存(撮影:1992年頃)
宇部市民会館(渡辺翁記念会館)
1937年,山口県宇部市,村野藤吾,現存(撮影:1983年(改修前))
この当時、型破りのスケール感を打ち出す建物が存在し得たことに、まず驚いた。昔から、たたずまいを美点として据えるヒューマンスケールの建物ばかりが日本の建築だという固定観念は、あっけなく砕け去る。また、それほど稀有な建築であったのかもしれないが。
しかし、大味になるどころか(よく言われる通り)当然ながら近接した視点での配慮も周到で、高密度なディテールが施されている。
まだ、改修工事でタイルが貼り替えられる以前の「塩焼きタイル」がそのままの外壁は、鈍く不均質な光沢が全体を覆っていた。やや紫系がかった暗い茶のタイルには所々微妙な凹凸があって質感に奥行きが加わる。さらに歳月を経た風格と存在感まで含めて、当初から村野の意図通りだったのだろうか。
外壁とも開口部ともつかないサッシュの廻りには、当初、外壁の色に合わせた茶色のガラスブロックが用いられていたそうだ。外壁と同質でありつつ光を導きいれる鉱物素材−光を通す煉瓦−、その答えが茶色のガラスブロックということか。(写真のガラス素地色のブロックは後に換えられたもの)
ホワイエは、無梁版をマッシュルーム形柱で支えるフラットスラブ構造を用いている。ホール内部まで含めて、村野ならではの工芸的なセンスにあふれている。
建築にとってメッセージ伝達は果たして可能か・・・、こうした試みがあったかどうかは分からぬが、炭鉱従事者のレリーフ、建物前面の6本の柱など、産業基盤を確立した渡辺祐策を記念する意図が、はっきりと読み取れる。
私事だが、物心ついた数年間は、私も工場勤めの一家として宇部で暮らしていた。工場地帯のある海岸に接近しながらも、起伏ある美しい環境は、今もって鮮明だ。炭鉱とは無縁ながらも、恩田の炭住を社宅として住み、常盤公園で遊び、ちまき屋デパートに連れて行ってもらうのが、子供には大きな楽しみだった。空港が出来る以前の砂浜でカブトガニを見つけた。
そういえば、大通り沿いの銀行の、高い自動シャッターが「ギーギー」音を立てながらゆっくり降りていく様を見て、恐怖感を味わったりしたものだが、どうやらこれも村野藤吾設計の銀行らしい。
とうにリタイヤした父親に聞いたら、昔のこと、なんとこの市民会館の傍の樹木の根元に、死んだ飼い犬を埋めたらしい。こうした、取るに足らない小さな思い出も、もしかしたら渡辺翁の恩恵かもしれない。
旧・下関電話局(現・下関市役所第一別館)
1924年,山口県下関市,逓信省,現存(撮影:1994年)
現在は、パラボラアーチを持つ南側の棟のみが残され改修を待つ状況だが、初めて見た時は、写真のように北側にも建物があり、全体には、中庭を囲むような形であった。さらに、道路を隔てた西側にも渡り廊下を介する別棟が建っていた。
このように大きく3つの棟からなる電話局は、大正11年5月6日に起工して、すべて竣工したのは大正13年8月1日であることが、『逓信省の建築』(張菅雄著)に書かれている。
起工時期だけに着目すれば、同種のデザインの福岡電話局は大正11年4月26日、兵庫電話局も大正11年2月19日(*1)の起工とあり、設計上は、まるで「大正11年スタイル」とでも呼べそうな外観の電話局が、ほぼ同時期にまとめて行われたことになる。電話局の新しい規格デザインが模索されていたことを示す手掛かりのひとつとなろう。
(右写真は、現存しない北側の部分(撮影:1994年))
最近、下関電話局の『新築記念写真帳』を入手しいくつかの画像を掲載した。また、かつて第一別館の調査を行った小原誠元教授に、この写真帳のコピーを送ったところ、早速返事を頂戴した。初めて見たとのことで、電話交換室の大小ある交換台のうち、市内用の交換台は加入者全員の端子が付いているため大きく、小さい方は市外用の交換台との説明、さらに交換手の休憩室に引き出し式のロッカーがあるのは珍しい、との見解も頂いた。
現在は取り壊されて無い北側の棟には、電話交換業務以外の職員や交換手のための諸室や設備が主に存在していたようであり、写真帳には交換手への便宜などの面で、充実のほどが示されている。
このように、機械類は失われてなお、旧下関電話局舎そのものは、当時の先端テクノロジーを偲ばせる貴重な産業遺産であることは間違いない。よって、写真帳の画像を保存再活用建物に反映させるべく、慎重な作業が開始されたと聞く。
(下関電話局『新築記念写真帳』(1926)から、右上:食堂,右下:動力室)
(*1:兵庫電話局『開局五周年記念写真帳』(1928)電話局要覧記載内容による)
ちょっと息抜き
お目当ての建物を見た後に遭遇したちょっと気になった建物を二つほど。いずれも1994年頃の撮影記録。
京都大学に建築を見に行った際、構内入り口付近で見つけた小屋。雰囲気的には表現主義が入っているような感じ。大正末期の建物かと推測してみた。
奈良県大和郡山に、山田守の市庁舎と病院を探しに行ったら、付近にある最近の店舗建築の開口部までそれらしく見えてしまった。いけない、いけない、とりつかれ過ぎ・・・。
東海大学代々木校舎
2号館(左):1958年,4号館(右,右下):1962年,東京都渋谷区,山田守,現存(撮影:2006年)
固定−動き
重−軽
物質性−非物質性
不透明性−透明性
伝統的手工業−科学技術
右項のような、モダニズムに関わる指向への、曲面を駆使したアプローチ。または、物質の重みから解き放たれようとの願い。
いずれにしても、山田守のこうした建築は、在籍した逓信省の扱う技術分野の、物質とも非物質とも言えない電子の性質、空中を飛翔する波動などからの示唆を超えた、これらとの一体化への願望を感じさせる。
「無装荷ケーブル」という、画期的な伝送技術を開発した技術者松前重義氏が創立した東海大学にとって、これ以上望めない位の建築的回答だったことは、間違い無いだろう。
京都タワー
1964年,京都府京都市下京区,山田守,現存(撮影:2008年)
「お椀形」と「扁球状」のガラスの物体が、白い鋼鈑の円筒に支えられて浮遊する・・・、ライトアップされた夜景が、とても良くこうしたイメージを浮かび上がらせている。「宇宙時代」が到来した頃、無重力空間への憧れが、「夢多き」建築家山田守の胸中に溢れていたのかも知れない。(もっとも、上のガラス扁球は実現出来ず、フレームによることとなってしまったが)
白い円筒を成す薄い鋼鈑は、それ自体が構造体であって、根元に降りるに従い徐々に裾拡がりとなって分岐する。足元部分はビルの内部にあって通常見られないが、放物線状の曲線を描くように枝分かれしていることを、山田守展に出品された構造模型で初めて知った。分離派山田守が、また、ここにも潜んでいた。曲面と構造体の必然的一致の妙は、フラットスラブ構造の長沢浄水場に匹敵するように思えた。
作家の自己に内在する感性がそのまま変わらず保たれ続けるということは、正直さを貫いていたとも言える反面、時流にたやすく同調しないことによる謗りを受けることにもつながる。山田の戦後の建築には、こうした葛藤の跡がころがっている。
タワーの台座にあたるビルの外装でも、スラブの水平な重なりを縁取るように黒いモザイクタイルが微妙な曲面に合わせて貼られていたとのこと。(現在は鋼鈑パネルに取り替えられたが)これも、山田が戦前の逓信省時代に「天下茶屋郵便局電話分室」(1927年)のパラペットに貼られた黒モザイクタイルを思わせる。
右図は、山田が1921(大正10)年の第2回分離派展に出品したドゥローイング−「フリーデザイン《工場》(『分離派建築会の作品』第二刊より)」。早くも、トラス構造を持つ煙突の塔に、扁球状の物体が突き刺さっているのが見える。
等々力ジードルンク
1936年,東京都世田谷区,蔵田周忠,非現存(上写真=旧金子邸:1992年撮影)
東急の分譲地開発に縁があった蔵田周忠が、乾式工法を取り入れたモダニズム住宅群を構想、等々力渓谷沿いの4棟が実現した。(斎藤邸,三輪邸,金子邸,古仁所邸)蔵田が設計したこれら住宅を総称して等々力ジードルンクと呼ぶことが多い。
蔵田の構想では、乾式工法つまり、外装において左官仕事に頼らず規格化されたスレート板のパネルを取り付けるなど、住宅の工業製品化と経済性への貢献を目論む試みとして行われた。屋根は、どの建物もフラットルーフで建てられた。
こうした住宅の試みは、土浦亀城をはじめ1930年頃から先鋭的な建築家達が行っていたが、現在どれだけの建物が残っているのだろうかと、気になった。
'70年代には老朽化しながら残っている住宅があったようで、『都市住宅』誌(7307臨時増刊)には、広瀬鎌二と武蔵工大チームによって、現存する等々力住宅4棟すべての現況調査の記事が掲載された。特に古仁所邸は解体直前だったため念入りに記録されていた。
しかし1992年頃、私が初めて等々力に行った時は、外面的には旧金子邸が往時の面影をとどめているように見えた。改装は甚だしく、外壁はすべてモルタルリシン吹付けでやり直されていた。ただし内部の造り付け家具などは、比較的旧状をとどめていた。(その建物も現在は無い)
つい最近、既に建て替えられた斎藤邸の末裔の方にお会いした。シオン会堂の記事に書いたように、教会に敷地を寄付された斎藤みどり氏の子息が、アトリエ付きの住宅を建てて移り住んだのが旧斎藤邸であったとのこと。また末裔の方の記憶では、アトリエに用いられた台湾ヒノキの太い構造材が印象に残っているとのことであった。雨漏りもひどかったらしい。
ところで、右のブロックプランを見ると、建物は、区画割りを無視するかのように、方位に合わせて配置されているのがわかる。(『等々力住宅区の一部』蔵田周忠,国際建築協会刊より、写真共)蔵田の合理的発想によるものだろう。
そして現在の航空写真で建物の配置を見ると、斎藤邸の南隣、つまり三輪邸の位置には元の方位に即した部分を持つ建物が建っている。斎藤さんとも遠縁にある方らしく、'73年に広瀬鎌二氏らが確認された時と同じように改修されつつ現存している可能性が感じられた。(私はもしかしたらと思い、訪問して呼鈴を押してみたがお留守だったらしく引き上げた)
これらの住宅も現在の目からすれば、薄いスレート板や、木造住宅のフラットルーフの防水など、雨仕舞い的には結構無茶をしているように見える。当時だからこそ出来たことであろうか、設計者のみならず、当時は住み手も前衛的な建築を目指す固い信念を持ち、単に住むだけでなく、そのひとつのシンボルを守り育てる意識があったのか。
世田谷代田駅
1946年(?),東京都世田谷区,設計不詳,非現存(撮影:1992年)
歴史を感じさせる古さと、この駅だけが突出してモダニズム風の看板的外装なのが、ちょっと気になり撮影した。
戦前の初期モダニズム風であるのだけれど、1945年に空襲を受けた後に建てられたようだ。
謎を残したまま、複々線化工事が進行中で、この駅舎も既に無いらしい。
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- ここは本家サイト《分離派建築博物館》背 後の画像収蔵庫という位置づけです。 上記サイトで扱う1920年代以外の建物、随 時撮り歩いた建築写真をどんどん載せつつ マニアックなアプローチで迫ります。歴史 レポートコピペ用には全く不向き要注意。 あるいは、日々住宅設計に勤しむサラリー マン設計士の雑念の堆積物とも。
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