皋水記念図書館(旧・水沢市立図書館)
1941年,岩手県奥州市,森泰治(宮内省内匠寮),現存(撮影:2010年)
それは予想通り、斎藤實(まこと)記念館の隣で閉鎖されて久しい古びた空家として存在していた。もちろん非公開なので要ご注意を。
私はこの5月の連休に岩手県奥州市に足を運んで、宮内省内匠寮の森泰治が設計したと伝えられる皋水(こうすい)記念図書館(旧・水沢市立図書館)の存在を確認した。1941(昭和16)年竣工の、何のことは無さそうな木造平屋の建物だが、奥州市(旧・水沢市)にとっては公共図書館の源泉に相当する。戦前の政治家斎藤實の雅号「皋水」を図書館の名称に取り入れ設立された。
元々は、水沢出身の斎藤實の自宅のある所有地であった場所の一画を買い受けて図書館を設立したため、この旧図書館付近に斎藤實自邸、書庫、記念館など所縁の施設がまとまっている。
***
1.謎の設計者 森泰治について
この図書館は、宮内省内匠(たくみ)寮の森泰治によって設計された。森が宮内省に移ったのは1926(大正15)年であり、それ以前は逓信省営繕課の技師であった。
森泰治は、帝大を卒業した1920(大正9)年に逓信省営繕課に入省したが、やはり同年に入省して分離派建築会の旗揚げで勢い盛んな山田守と同じ職場で席を並べることとなった。
分離派の山田守の他にも吉田鉄郎、彼らの先輩の岩元禄など逓信省内は既に個性派揃いであったことは良く知られるところだが、近年、大正10年代に建てられた局舎の中には設計担当者を判別し難い建物がいくつか存在していることに気付いた小原誠氏によって森泰治の存在が掘り起こされた。そして逓信省在籍中、森は「大阪中央電話局難波分局」(1924)や「横浜中央電話局」(1923但し竣工成らず)などを設計していたことが明らかにされた。やや様式性を残しながらユーゲントシュティル的とも言えそうな自由な感覚によるデザインは、私が見ても十分個性的であり、さすが逓信省営繕課の一員、との感想を抱かせるに足るのだが現存する建物はひとつも無い。「下関電話課庁舎(現・田中絹代ぶんか館)」(1924)への関わりについては確証を与えるものは無いのだが、営繕課組織による建築としての関与は考えられなくもない。
森が逓信省を去った理由は、一説には同期の山田守と反りが合わなかったからだとも囁かれたそうで、逓信省内で存在感を強める山田守の陰で森泰治の存在は作品と共に忘れ去られたのだろう。 宮内省に転籍して以降の森泰治の設計活動については、一層謎のヴェールに包まれている。昭和18年には内匠寮工務部工務課長に任じられ昭和20年8月に辞職、昭和26年4月逝去とある。(*1)担当したのは「多摩御陵」(1927)、そして「学習院昭和寮(現・日立目白クラブ)」(1928)の関与が僅かに知られる程度であった。
2.皋水記念図書館の由来
冒頭で述べたように、斎藤實(1858−1936)の雅号「皋水」を冠して、斎藤を記念する図書館の名称とした。斎藤實自身の詳しい業績については、記念館サイトのご参照を。
幼少期の斎藤は寺子屋の師匠である父から漢学の手ほどきを受け、四書五経を10歳にして読み終えたと伝わる秀才であった。やがてその才能は国家を治めるために発揮され、軍人としての経歴を歩み海軍大将まで登りつめる。また、軍人とはいえアメリカ留学の経験を持ち語学も達者であり、国際感覚を身に付けた政治家として1927(昭和2)年のジュネーブ海軍軍縮会議全権を務めた。
さらに5.15事件後、軍部の台頭する困難の中あえて総理大臣の職を引き受けたのだが、1936(昭和11)年に内大臣として天皇を補佐する職務に就いていた折、親英米で国際協調派のシンボル的存在とみなされた斎藤は、2.26事件の凶弾に倒れ生涯を閉じる。
生前、斎藤は郷里にあって自宅と煉瓦造の書庫(斎藤文庫)を建て、それを渡り廊下で結び勉強熱心な地元の人々のために開放していた。(1932(昭和7)年築の自宅と書庫は共に現地で公開されている。)
斎藤の逝去後まもなく「斎藤子爵記念会」が発足し、斎藤の遺徳を顕彰する目的で伝記の編纂とともに郷里水沢に遺した斎藤文庫の公開を目的とした図書館の建設計画が持ち上がった。その過程では陳列所や演武場を伴う施設の希望も出されたが、最終的には純然たる図書館を建設することで話しがまとまった。用地は1939年に水沢町が斎藤家より取得、1941(昭和16)年11月3日の竣工式同日に建物は水沢町に寄付され町営図書館の誕生となった。
以上が、斎藤實を記念した図書館設立に至ったおよその経緯である。
余談ではあるが、近くに住む後藤新平と斎藤とは幼少時からの友人であったそうだ。水沢を訪れると感じるのだが、斎藤のみならずあの後藤新平や高野長英の旧宅や記念館などが集中しており、偉人達がひとかたまりに輩出した奇跡のような界隈には驚かされる。一見した限りは、つつましやかな東北の一商都に過ぎないのだが。
3.図書館設立の記念誌
私の相変わらずのアポなし訪問癖にも関わらず、斎藤實記念館の学芸員の方は、図書館に関する問い合わせ、特に設計者についての資料を求めていることにも面倒がらず協力して下さった。まずお礼を申し上げたい。
以前、私が森泰治が設計した建物があるらしいと気付いたのは、既に消えた地域紹介HPの記述を見た記憶のみであり、是非とも根拠資料を見つけて確実なものとしたかった。
そして学芸員の方が示した本棚の中に無造作に積まれた『水沢市立図書館のあゆみ−創立30周年記念誌』(1972,水沢市教育委員会)を見るや、「まさしくこれだ!」と思った。その冊子を手に取ると「・・・宮内省技師森泰治氏の設計に依り、15年に入り、同県黒沢尻町の高田弥市と請負契約を締結し岩手県技師川村清次郎監督の下に、工事に着手し、16年5月を以って竣成、図書等を備付け、皋水記念図書館と命名した。」と、森泰治が設計したことが確かに書かれていた。この他、学士会館において森技師や岩手県の川村技師その他主要な関係者によって開館に向けた協議がなされたとの内容の記述も見られた。
また竣工当初の写真と見比べて、現状との違いは入口向って右側に張り出した事務室の増築以外
は大きな改変が無さそうであることも判った。図面は、残念ながら見つけ出すには至らなかった。
4.昭和16年−木造平屋の文化施設
宮内省がこの図書館の設計を行なうに至ったのは、恐らくは天皇の補佐役でもあった生前の斎藤との信頼関係に起因しているのだろう。そして実際の設計は宮内省技師である森泰治に任された、という筋道が考えられる。
しかしその当時は、思うにまかせるような建物が可能な時期でもなかった。見ての通り記念図書館と称された割にはあまりにも質素な建物は、一見しただけでは失礼ながら拍子抜けしてしまう。
昭和12年の大陸侵攻をきっかけに(それこそ斎藤實の命懸けの努力も空しく)事態は一直線に戦争遂行へと向かい、資材統制によって小規模な木造以外は事実上建設不可能な時期に入っていた。昭和16年11月3日に皋水記念図書館の竣工式が挙行されてから約一ヵ月後には、日本は真珠湾攻撃の暴挙に及んだ。そんな中で図書館という戦争とは無縁の文化施設が実現したことは異例中の異例と考えた方がむしろ自然であって、皇室との関連無くして成り立ち得なかった稀有な事例であったのだろう。
いくつか建物の特徴を拾い上げてみたい。
まず、入口のある正面ファサード。素っ気無い切妻形そのままながら、窓の配置や真壁風の束柱
などにより西欧的なシンメトリーの構成に整えられている。(当初は向って右側の張り出しは無かった)また、縦羽目板の外壁が上端の高さの位置で水平に見切られ漆喰塗りの屋根形と分節されている点も、西欧的なデザインの感性があればこそ行ない得たものであろう。
そして、入口の2本の寺院風の円柱とその柱頭など都合3ヶ所(当初は4箇所と推定される)の風変わりな肘木による柱頭装飾が、シンボリックで強い印象を与えている。入口周辺は、格天井のホールと併せて日本の伝統的意匠が意識的に集中されている。
平面計画は、玄関ホール、閲覧室、書庫の順に南面して一直線に配置されており、北側には並行
する廊下を介してバックヤードを持つシンプルなものである。外から見ると、諸室の機能の違いを反映した窓の種類の違いが立面に最小限の変化を与えていた。例えば、大きな採光用の窓は閲覧室のものであり、逆に日射を遮るガラリ付きの窓は奥の書庫、といった具合である。
内部の天井の意匠は部屋ごとに異なっていた。玄関ホールは格天井、廊下は竿縁天井、書庫の天井は板張り、そして閲覧室は白く塗装された吸音テックス張りなのだが継ぎ目に竹が用いられており驚いた。細部の意匠上の配慮が興味深い。
森も恐らく国情を踏まえ、無駄は許されず必要最小限でなければならなかったことを十分考慮した上で設計に取り組んだに違いない。しかし、そのような目で建物を捉えてもなお、最小限のピンポイント的な意匠配置、高価な材料によらずなされた細部の意匠の工夫、さらに無駄の許されざることを逆手に取った合理主義的な発想で捉え返しているようでもあった。
このように、良く見るとそこかしこにデザイナー魂の発露のようなものが発揮され、私にとっては感動的でさえあった。
***
数年前、私は一度だけ小原誠氏にお会いしたことがある。その折に、森泰治のご子息による父についての伝聞を教えて頂いた。それによれば宮内省時代の森泰治は朝香宮邸を設計していた権藤要吉と良く打合せをしていたなど同僚との良好な関係に恵まれ、趣味を楽しむなど生活をエンジョイしていたらしいとのことであった。心機一転、恐らく設計業務の上でも伸び伸びと腕を振るっていたであろうと想像された。
ここで初めて目にした森泰治による建物を見ても、深刻さを増す国内の状況とは一線を画し、むしろ与条件を逆手に取った発想を愉しむ設計者像がやはり目に浮かぶ。見え掛かり上伝統性が打ち出されてはいるものの、逓信省時代からの持ち味である、様式を自由にアレンジしてしまう手腕は健在であり、さらに合理主義思考への展開を予兆しているようにも感じられた。
私は、周辺の状況変化にめげることも無くデザイナーとしての心を維持し研鑽を続ける森泰治への面会が叶ったかのような、ちょっと嬉しい気分をお土産に水沢を後にした。
*1:『「分離派風局舎」と逓信省営繕の建築 −大正後期の逓信省建築に関する研究その2−』 (小原誠,丹羽和彦)より
旧・梅田阪急ビル
1929年(第1期),大阪市北区,竹中工務店+阿部美樹志(構造),非現存(撮影:1992年)
言わずと知れた、旧・阪急百貨店。建て替えられるなんぞ夢にも思わずインスタントカメラでバシバシ撮ったのだが、結構写るもんです。また、何度か中に入ったこともあるが、その豪華で重厚な内装は、恒久にして不滅の殿堂とさえ感じられた。もちろん、それは全くの思い過ごしだったのだが・・・。
調べてみると、驚いたことに日本初の電鉄系百貨店であり、ターミナルデパートの発祥であったとも書かれている。ということは、見方にもよろうが、20世紀近代都市における経済原理が主導した本邦最初期の大がかりな施設にして、またなりふりかまわず流動・膨張する都市の振る舞いのひとつのパーツとして、単体建築がその役割を転じた初期の例、とも言えるのだろうか。
確かに、第9期まで繰り返されたという増築の痕跡をその外観に見出したとき、新陳代謝を続けるひとつの生命体の如き都市の有り様を感じさせる。
度重なる増築にもかかわらず、外観の水平ラインが建築としての秩序をどうにか保持していたのだが、それもある限界点に達した時、すでに水平方向への延長ではもはや対処不能となり、現在目にするような高層建物へと「脱皮」を図った。そんな成り行きであろうか。
ここ最近撮った右の画像は、かつてのポストモダニズムの作法を連想させるような表層イメージで装いつつ、吹っ切れたように、都市ストックとしての恒久的な建築の使命を捨てた身軽ささえも感じさせる。用いられた旧建物のイメージも、意図はともかくとしても、消費の対象としての再利用となっているようだ。
こうして、ターミナルデパートの嚆矢は、姿を変えた今も変らず、商業都市の原理が敷いたレールの上を、ひた走る。
新ダイビル
1958年(1963年増築),大阪市北区,村野藤吾,現存(撮影:2010年)
『ロダン以後』−建築と彫刻の邂逅(8)
羊A:「(8)やて。けったいな副題思いつきよるなぁ。ブログ
のおっさん。」
羊B:「しかも、思い出したように。性懲りも無く。」
羊A:「そのおっさん、隣のビルの結婚式に呼ばれたそうで、
真冬に写真撮りよりましたわ。娘さん連れて。」
羊C:「ところで、わてらどないなるんやろ。」
羊D:「近所のせんせのビルみたいにされるん違います
か?」
羊E:「いややわ〜」
羊D:「東京のブタさんたちは、新しいビルに顔だけくっつ
けられとったで。随分前の話やけど。」
羊F:「メェ〜」
羊C:「どないなるんやろう、なぁ。」
羊D:「せやかて、まだ屋上の庭もよう見とらんのに。」
羊G:「メェ〜〜」
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- 収蔵庫・壱號館
- ここは本家サイト《分離派建築博物館》背 後の画像収蔵庫という位置づけです。 上記サイトで扱う1920年代以外の建物、随 時撮り歩いた建築写真をどんどん載せつつ マニアックなアプローチで迫ります。歴史 レポートコピペ用には全く不向き要注意。 あるいは、日々住宅設計に勤しむサラリー マン設計士の雑念の堆積物とも。
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