2023.05.10 Wednesday

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    2010.10.26 Tuesday

    同潤会 上野下アパート

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      1929年,東京都台東区,同潤会,現存(撮影:2010年)

       いつのまにかRC造の集合住宅も最後の1棟になってしまったそうなので、見に行くことに。しかし、そこにあるのは営々と続く暮らしであり、年輪を重ねつつも変わらない尊ぶべき日常の姿なのである。カメラを向けるのさえなんとなく躊躇される。当たり障り無いアングルを一応心掛けたつもり。
       古びていても生活感をあまり露呈しない風景は上品でさえある。恐らくそこにはバルコニーの有無が関っていよう。

       今日の一般的な集合住宅像と言えば、バルコニーが張り出した画一的な姿しか思い浮かばない。それでもバルコニーが必要な理由は、主に避難上の要請、そして各住戸個別に外部空間を専有していなければ売るに売れない事情による。物干しスペース、そして室外機置場として。
       しかし、細かく調べたわけではないが、同潤会が計画した当時のRCのアパートにおいてバルコニー付きはむしろ少数だったように思う。でも、その分空地が確保され、立面デザインにも幅が生じていたのではないだろうか。
       上野下アパートもそうであるが、屋上が共有の物干し場として利用されている。今日、屋上が物干しスペースとなることはあまり無いようだが、同潤会が屋上を、集合して住まうひとつの装置として考え出したことは画期的だったに違いない。コミュニケーションを兼ねた実用的な空間であり、さらに、腰壁を目隠しのように高く立ち上げれば、洗濯物も隠せるし景観上もプラスに働く。まさに合理的。

       今日の、多くの「プライバシー配慮型高級マンション」のバルコニーによる洗濯物を露呈した街路景観については、戦前の同潤会アパートの段階で既に解決済みの問題であったようだ。にもかかわらず、である。もしかしたら大多数の「集合して住まう」ことへの意識の変化こそが、同潤会的なるものを窮地に追いやったのかも知れない。


      2010.10.19 Tuesday

      東京エレクトロンホール宮城(宮城県民会館)

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        1964年,宮城県仙台市,山下寿郎,現存(撮影:2010年)

         ふと通りがかりに1枚撮影したのは、なんとなく懐かしい記憶がよみがえってしまったので。かなり以前の高校時代、吹奏楽部コンクール出場の際に、このホールでも演奏したことを思い出す。そういうわけで、ファサードを意識して見るのはこれが初めてなのだが、よく見ればコルビュジエ的な打ち放しコンクリートのバルコニーや、繊細な庇など、1960年代的な雰囲気が漂ってくる。
         虫の知らせがあったわけでもないのに、こうして念のため撮っておいた建物に限ってどこからともなく聞こえてくる。案の定、建て替え計画が・・・。

         設計した山下寿郎(1888-1983)も東北、山形県米沢市の出身であった。1929年に山下寿郎建築事務所を構え、戦前の作品としては「丸石ビルディング」(1931)が現在も残る。戦後は、組織系設計事務所として日本初の超高層ビル「霞が関ビルディング」(1968)を設計するなど、大きな足跡を遺した。



        2010.10.12 Tuesday

        日比谷図書館

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          1957年,東京都千代田区,東京都建築局(高橋武士),現存(撮影:2010年)


           都立の図書館であったが、千代田区へ移管されることとなり目下必要な改修工事が行なわれている。そのため現在は閉館されているが、2011年に「(仮称)日比谷図書館・文化ミュージアム」としてオープンの予定とのこと。

           日比谷公園の一角を占める現在の図書館は、何といってもその三角形平面が強く記憶に残る。なぜ三角形なのか調べてみると、当時の館長であった土岐善麿の発案によるということらしい。園路を尊重して生じた平面形状に拠るべしということなのか?。また、(関係あるか分からぬが)野外音楽堂,日比谷公会堂,図書館の3つの施設が並ぶと、なんとなく〇口△のようにも見える・・・。
           そういえば、サッシュの内側には日本間の障子が取り付けられていて、ちょっと不思議な感じを受けたことを思い出した。
          これも時代の反映であろうか、恐らく伝統的な部分を取り入れたいという純粋な思いがそうさせたのであろう。今思えば、有って然るべき考え方かも知れない。さて、リニューアルの後にも障子は活かされているであろうか。興味深く待ちたい。



          2010.10.05 Tuesday

          改造社書店

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             あしゅら男爵の異名を持つとも言われる(!?)、ミステリー物件(!??)。
             雑誌『改造』を出版し、あるいは大正末期に円本ブームを巻き起こした出版社、改造社ビルの後の姿。今日でも(半分は)書店として存続している。でも肝心の建物のことが何も分からずすみません・・・。
             社名が示す如く改造された姿の真相は、恐らく後の所有の関係が結果的に外観に出たに過ぎないものと推測している。
             
             上の画像は、確か1992年頃に撮ったもので、左半分にはまだ瓦が載っている。右半分は装飾が消去され瓦もタイルも取り払われ、シンプルに白く塗装されている。この強引さには惚れ惚れ・・・。当初はファサード全体が左半分と同じ昭和初期の和洋折衷テイストだったのであろう。
             また、写真をよく見ると中央にも袖看板が取り付けられている。2つの袖看板が、余計に別々の建物のように見せかけていたようだ。
             右は一昨年に撮った画像で、瓦は全て無くなっている。

            2010.10.02 Saturday

            奥野ビル(旧・銀座アパートメント)

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              1932年,東京都中央区,川元良一,現存(撮影:2010年)

               どうもレトロ系では有名な建物らしいが、今年になって初めて訪れた。なるほどスクラッチタイルが貼りつめられたファサードは味わい深く、しかも一見して同潤会アパートの外観を彷彿とさせる。画廊が多く入居しているようで、内部のほの暗くも貴重な風景を、自然のひとコマを愛でるように大切に守っているような感覚を受けた。

               こうした画廊のひとつで明石小学校の写真展示が行なわれたので、見に行った。そう言えばご存知の方もいらっしゃるかと。また、小学校の残念な成り行きについても・・・。
               
               同潤会アパートに似ているのもそのはずで、ここは同潤会の建築部長を務めた川元良一が独立した後に設計したアパートメントハウスなのだった。「中流階級者の住居」(*1)としての集合住宅として、どうも地下共同浴場、最上階の談話室、蒸気暖房などを備えていたようであり、恐らく同潤会アパートの仕様が踏襲されたものと推察される。現存する同潤会アパートが一箇所を残すのみとなってしまった現在、貴重な現役建物の実例と言えるのかも知れない。  
                  
               ところで、川元良一とは、どのような人物だろう。まず、この建物や同潤会アパートの他、軍人会館(現・九段会館)の実施設計者としても知られる。その他、村松貞次郎の著書『日本建築家山脈』に若干のことが記されている。それによれば、川元は帝大卒業した1914(大正3)年に三菱地所に入社し、三菱銀行本社(1922年),丸ビル(1923年)などを担当した。佐野利器が耐震設計を施した三菱銀行本社はビクともせず面目を保ったことが内田祥三に認められたのか(?)、日頃から当時盛んな住宅改良運動に関心が高かった川元は内田の誘いに応じて同潤会の建築部長に就任した。洋風の家具が普及していなかった当時、コルク床を畳の代用とし和風の生活も可能なように工夫したという(*2)。
               
               奥野ビルの空室を見ることができた(下2枚)。造り付けの棚など当初からのものかは断定できないが、なかなか興味深い。建具上部のランマは通風への工夫だろうか。同潤会アパートの記録と見比べられたら面白そう。
                   
               
              *1: 『同潤会十八年史』(宮澤小五郎)−『日本の近代住宅』(内田青蔵,1992)所収
              *2: 『日本建築家山脈』(村松貞次郎,2005復刻出版)

               
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              収蔵庫・壱號館
              ここは本家サイト《分離派建築博物館》背 後の画像収蔵庫という位置づけです。 上記サイトで扱う1920年代以外の建物、随 時撮り歩いた建築写真をどんどん載せつつ マニアックなアプローチで迫ります。歴史 レポートコピペ用には全く不向き要注意。 あるいは、日々住宅設計に勤しむサラリー マン設計士の雑念の堆積物とも。
              分離派建築
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