第一鉄鋼ビルディング
1951年,東京都千代田区,池田建築設計事務所,非現存(撮影:2010年)
いまだ戦後の混乱期、1951(昭和26)年のサンフランシスコ講和会議によって日本が占領から開放されるその2ヶ月前に、この大規模なオフィスビルが竣工した。当時の日本としてみれば空前の規模かつ画期的な建物であったに違いない。しかもこれを実現したのは広島を本拠としていた企業であり、すなわち戦前に海軍の御用商人として活躍した増岡商店が、戦後に平和事業への転換を果たすべく東京で打ち出した計画なのであった。この時期、一民間企業を中心とする大計画を可能にした原動力は何であったのか・・。(*1)
施工は増岡商店の後継企業のひとつである現・増岡組によるので設計施工一貫かと思っていたがそうではないらしい。工事現場に掲示された看板には池田建築設計事務所の設計・監理であることが書かれている。(「鉄鋼ビルディング60年史」(PDF)) ちなみにこの建物の向い側に翌年、前川國男の旧・日本相互銀行本店が建った。
デザイン的に興味深い点は、外観が様式性を引きずっている点だろうか。一般的に、日本の戦後の建築は前川國男らを旗頭にモダニズムで再スタートを切ったようなイメージがあるが、このファサードの威圧的な反復と対称性によるデザインは30年代の復古調の新古典主義的外観か、あるいはミニチュア的アメリカ国防総省の立面が思い浮かぶ。
そして、その後昭和33年増築の段階になってカーテンウォールによる立面が姿を現したのだがちょっと不思議なヴォイドとソリッドの取り合わせとなっていた。(向って右側の白い建物。現状は更に改装されている)
最後に付け加えると、正面エントランスを入るとすぐ脇に、なぜかマイヨールの彫刻《ポール・セザンヌの為の記念像》(1929)(*2)が窮屈そうに展示されていて驚いた。この由来もちょっと気になるところ。
*1:管理会社鉃鋼ビルディングでは、「鉃」の字を「金偏に矢」としている(金偏に失うではなく)
*2:《セザンヌ記念碑》という題名の作品と同じ
大和証券旧本店ビル
1956年,東京都千代田区,中山克己,現存(2010年改修)(撮影:2007年)
繰り返しTVメディアに登場したなじみ深いモダニズムの建築として、以前、ロート製薬本社を取り上げた。そして今回は映画に登場した建築である。1960年代、植木等が気楽なサラリーマンに扮し一世を風靡した映画「無責任シリーズ」のロケ地、つまり無責任男(映画においてのみの)が勤めていた会社である。映画の様子はマニアックなHP(荻窪東宝[聖地巡礼])に、しっかり記されていた。
1960年に国民所得倍増計画が打ち出され、そんな折右肩上りの日本の経済は概してバイタリティー溢れる多くのサラリーマンによって下支えされていた。「ニッポン無責任時代」など映画の底抜けの明るさは、こうした人々によって支持された。また高度成長期の空気を生き生きと描いた映画は、フィクションには違いないのだが、大和証券など現実として建つ戦後のオフィスビルの真価をも証していたように思えてくる。(余談だが、個人的にも高度成長期に幼少期を過ごし、サラリーマンである親父を見て育った身としても感慨を抱いてしまうのだ。)
この写真は、今は無き旧・日本相互銀行の屋上からとらえた二度と無いアングル。屋上に聳えるアンテナは出色の造形。(先んじて取り上げた倉方氏の喩える)「未来派的」なアンテナは、確かに「宇宙時代」への憧れを孕んだ当時の感性に訴えかけるものであったに違いない。
また、写真を撮った2007年は植木等の没年であった。その後建物は改修に付され、今年(2010年)、屋上や壁面が緑化されるなど自然との共生を目指したビルに生まれ変わった。趣きは一変したが、それでもアンテナは健在である。辺りは日本の一大オフィス街であることに変わりはない。またどこから無責任男が飛び出してくるか、全く油断できない。
*
追記: つい3日前に撮った画像を下に2枚。変貌を遂げた建物と変わらないアンテナ。
神戸市役所2号館
1957年,兵庫県神戸市中央区,日建設計,現存(撮影:2008年)
8階建ての本庁舎として建てられたが、1989年に高層の1号館の完成に伴い本庁舎としての位置を譲り2号館となる。
1995年の阪神大震災において6階部分に著しい損傷を受け、6階から上を取り除きすなわち5階建てとして蘇ったのが上図であり現在の姿。その変遷は貴重な定点写真として記録されているので是非見られたい。(震災記録写真(大木本美通撮影))。
約1年あまりの間に8階建ての建物が切り抜かれたように5階建てになることも単純な驚きなら、シャープでかっこいいルーバーもそのまま、デザインの本質が大きく変わることもなく改修が成り立ってしまうのもすごい。(惜しむらくは、当方、いかにも50年代的なカマボコ屋根の建物が裏側に残っていたにもかかわらずなぜか撮り忘れのドジを踏む。)
公害資源研究所(旧・燃料研究所)
1921年,埼玉県川口市,渡辺仁,非現存(撮影:1981年)
京浜東北線に乗るたび川口駅のそばの廃墟が目に入った。気になって仕方がなくなりとうとう電車を降りて撮りに行ったのが上の写真(「分離派建築博物館」既掲載)。逓信省を辞して1920(大正9)年に渡辺仁建築工務所を開設した渡辺による、独立間もない頃竣工した記念すべき建物だったと知る。渡辺はこれを設計した後、「ホテル・ニューグランド」(1927),「服部時計店(現・和光)」(1932),「日本劇場」(1933),「東京帝室博物館(現・東京国立博物館本館)」(1937),「原邦造邸(現・原美術館)」(1938)などの設計活動を華々しく展開した。
建物のデザインは、表現主義風のようでもあり尖頭アーチ付の様式建築を簡素化したようにもとれる煮え切らない不可思議さがある。だがこうした曖昧な表現こそが、様式の簡素化という当時のデザイン界の関心事を物語っているのであり、またそのことをよく伝えていると思う。(右画像:『建築世界』1922(vol.16)1月号から)
建物の名称を少し踏込んで調べてみた。当初は商工省が「燃料研究所」として大正9年に設立した施設であり、石油石炭の合理的利用の研究などを行なっていた。終戦後の昭和27年に鉱業技術試験所と合併して「資源技術試験所」となり、昭和45年に公害部門を拡充して「公害資源研究所」と改称した。その脈流は現在も生きており、独立行政法人「産業技術総合研究所」に辿り着く。
*
最後は脱線気味に、川口ときたら言わずと知れた「キューポラの街」。江戸時代に始まったとされる鋳鉄製品の生産は、戦前から戦後にかけて隆盛を誇った。楼状の屋根を持つ鋳物工場がそこかしこに見られ独特な風景を作り出していた。しかし、そんな風景ももう過去のことになりつつある。
左の画像が有名な福禄ストーブの工場(非現存)。燃料研究所を撮ったのと同時期に川口をうろつきながらみつけた。単なる工場として捨て置けない、品の良いファサードが想像されます。
旧・天下茶屋郵便局電話分室(NTT西日本 天下茶屋第1ビル)
1927年,大阪府大阪市,逓信省(山田守),現存(撮影:2006年)
今から4年前、グーグルの航空写真と山田守作品集の図面を照合したところ、図面の輪郭そのままに建物が存在していることに気付き、私はドキドキしながら大阪に急行した。便利な世の中である。
行ってみると、サッシュがアルミ製に交換され一部増築された形跡を示すものの、奇妙な外観の建物が、私の興奮もどこ吹く風とばかりに無言で建っている。私は画像をすぐさまHPに載せた。
「旧・天下茶屋電話分室」は1927(昭和2)年に竣工した電話局舎であり、山田守の設計による現存する逓信局舎としては「旧・門司郵便局電話課」(1924年)に次いで古い建物ということになる。しかもこれは業務に関連して使用されている現役の建物だ。
その後は1929(昭和4)年に「旧・千住郵便局電話事務室」が建てられ、こちらも曲面による外壁をスクラッチタイルで被い尽くした傑作として残っている。
何といっても、この建物は分離派山田守のトレードマークたる曲面使いを建物の頂部周辺つまりパラペット(屋上の腰壁)に集中させている点に特徴があり、さらに貼られた黒っぽい配色のタイルには何とも言葉を失ってしまう。摩訶不思議な印象・・・。
山田が(黒褐色から黒色など)暗い色調のモザイクタイルを外壁の部分に貼った事例を拾い上げてみると、「新右衛門町郵便局」(1926年)や先頃取り壊された「旧・甲府郵便局電話事務室」(1931年)が挙げられるが、おそらく天下茶屋電話分室もこれらと同系統のイメージで設計されたのであろう。さらに戦後に至っても黒味を帯びた泰山タイルが「京都タワー」(1964)に用いられた例からして、こうした暗い色調のタイルにそれなりの思い入れがあったものと推察される。ホワイトボックスのイメージやぬめるような輝きを指向したタイルの使用ともまた違う。
こうした建物の持つ不思議な説明不能の印象は、概して山田守の建物には共通する。理屈を解き明かそうなどと試みても徒労であって本質的な説明に結びつかない部分がある。
そういう意味では、昭和初期のかなり早い段階から合理主義の限界を無意識的ながら示していたとするのは穿った見方に過ぎるだろうか。やはり、建築とは人間の作為を離れては存在し得ずどこかに不合理な個性が混入するものだという真実を、はからずも建物が語っているようでもある。
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- 収蔵庫・壱號館
- ここは本家サイト《分離派建築博物館》背 後の画像収蔵庫という位置づけです。 上記サイトで扱う1920年代以外の建物、随 時撮り歩いた建築写真をどんどん載せつつ マニアックなアプローチで迫ります。歴史 レポートコピペ用には全く不向き要注意。 あるいは、日々住宅設計に勤しむサラリー マン設計士の雑念の堆積物とも。
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