2010.12.31 Friday
豊島公会堂(みらい座いけぶくろ)
1952年,東京都豊島区,設計者不詳,現存(撮影:2010年)
今年の酷暑には参った、などと振り返りつつ書いている今年最後の案件は真夏の豊島公会堂。
なぜこの建物を?、と思われるかもしれないけれどもその疑問は全くその通りで、これまで建築物的意匠的評価に絡んで話題となったことなど恐らく一切無かったに違いない。(随分以前に、私が区民バンドの末席に加えてもらいここでのコンサートの演奏に参加した思い出の場所だから・・・そんなことはさらにどうでも良いこと) 敢えてとり上げたのは、やはり終戦の混乱から立ち直ろうという1950年代初頭の鉄筋コンクリート造の数少ない本格的文化施設に対する関心から。そして戦後65年を経て都心の多くの建物が建替えられている中、公共施設として戦後の歴史の重みを帯びてなお残るこうした建物には光を当てておきたいという個人的な思いから、私をして酷暑の中でシャッターを切らせたのだった。
竣工時期については1952(昭和27)年と区のHPに記されている他、「公会堂建築」(佐藤武夫著)という文献にも昭和27年10月竣工の記載がみられる。しかし設計者は不明であり、定礎石にその当時の区長須藤喜三郎氏の名が刻まれている位しか分からない。802席という座席数は現在値だが、当時から決して小規模なホールではなかったものと思われる。
デザインとして見るべき部分はやはり正面位だろうか。少し化粧直しされたように見えるが、戦前の新古典的な威厳が正面の列柱によって示されている。(GHQの居館第一生命館に似せたわけでもなかろうに)。その辺りは先日とり上げた第一鉄鋼ビルとどこか共通して、戦前のデザインをひきずった感じがしないでもない。
もしも戦後に各地に普及したプロセニアム形多目的ホールの先駆例にあたる建物ならば、研究する価値があるのかも知れない。
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ところで、公会堂のすぐ隣は豊島区の総合庁舎。こちらは少し時代が下って1961(昭和36)年の竣工(下の建物)で、一部豊島公会堂の建物とつながっている。現在、この市庁舎は移転計画が進んでいると聞く。
豊島区と言えば、池袋モンパルナスで知られるようにアートで満たされており、市庁舎入口脇にもこのような一対のレリーフがある(最下の左右画像)。こうしたのどかで時代を感じさせる作品などずっと残って欲しいもの。
2010.12.21 Tuesday
逓信ビル(逓信総合博物館)
1964年,東京都千代田区,郵政省(小坂秀雄),現存(撮影:2008年)
「逓信ビル」という名称を持ち、日本電信電話株式会社(NTT)本社であり、逓信総合博物館が入居しそこは「ていぱーく」の愛称を持つ。これだけの顔を持つ中心施設であるにも拘らず、昨今ともなるとがらんと空虚な中心の趣きが否めないようだ。そんな折、このところの防護ネットで覆われた建物の状態を見ただけでちょっとした胸騒ぎを催してしまう始末。
外務省庁舎などと並び、小坂秀雄による庇系建築の代表例。言うまでも無く吉田鉄郎の流れを汲む外観。縁取り模様まで施された軒天はどこでも見られる代物ではない。
また、細部も工夫されている。つまり△による破調の挿入が単調さを回避している。正三角形のタイルやパネル、格子も見える。六角形のアネモスタット(天井吹出し口)なんぞ美しすぎ。
2010.12.21 Tuesday
NTT日比谷ビル(旧・日比谷電々ビル)
1961年,東京都千代田区,日本電信電話公社(国方秀男),現存(撮影:2010年)
今では「電電公社」という語彙さえ知らない世代が増えつつあるという。ここは現在のNTTとなる以前、日本電信電話公社が発足した際の本社として建てられた。いわばハイテクの総本山というところか。
でもよく見ると穏やかというか、総本山とか牙城といったイメージほどでもない。水平に幾重にも廻るバルコニーが控えめながら日本の伝統木造建築の庇の感じを漂わせ、細やかな細工が風情を醸し出していると言ったら言い過ぎか・・。
シャープでシンプルな外観にそんな「落ち着き」が溶け込まされた理由はどの辺りにあるのだろう。もちろんお堀を囲む日本の中心に位置しているからだとするのは簡単である。そして当時隣に建っていたライトの帝国ホテルの濃密な建築と対照的かつ拮抗するデザインを目指したからだと想像することも難しくない。しかし結局のところは、設計を担当した国方秀男が吉田鉄郎の目指した流れを迷うこと無く受け継いだ成果と見るべきなのであろう。逓信省を源泉として分かれた郵政側にも電電側にも双方にとって吉田の遺した影響力は多大であったように聞く。
2010.12.14 Tuesday
NTT霞ヶ関ビル(旧・霞ヶ関電話局)
1957年,東京都千代田区,日本電信電話公社(内田祥哉),現存(撮影:2010年)
戦前の逓信省は1949(昭和24)年に郵政省と電気通信省に分割され、電気通信省の業務は1952(昭和27)年に設立された日本電信電話公社に受け継がれた。言うまでも無く、現在はNTTファシリティーズへとつながるわけだが、ここで電々公社時代の建築を取り上げてみたい。
電話局舎のように、通信機器を収納することをひとつの目的とした建物はどうしても閉鎖的で無味乾燥になりがちかも知れない。そうした問題への気配りがこの建物には感じられる。
ここではコルのユニテ風に大きな開口部で占められた立面と、これと対比的な重厚な黒い壁体によって構成されている。黒い壁は、よく見ると上階よりも下階ほど耐震壁の占める幅の割合が大きくなっていて(逆に、開口部の幅は下階ほど狭い)、構造上の原則が外観デザインに応用されたことが分かる。
この建物を担当した内田祥哉は、同時期に鉄骨トラスのドームの戦後の先駆(現・NTT東日本研修センター講堂,1956)を成している。構造のシスティマティックな部分を重視する姿勢は、ここにも発揮されているようだ。
2010.12.07 Tuesday
三木ビル
1957年,東京都中央区,大江宏,現存(撮影:2010年)
先日取り上げた大江宏の初期の代表作「法政大学55/58年館」と同時代の建物のひとつ。
今日、三木ビルはオフィスビルがひしめく中で、遠目には何の変哲も無い目立たぬ存在のようになっている。けれども近寄ったりあるいは裏に廻って見てみると、確かに1950年代的な建物として、その雰囲気がしっかり滲み出ている。
コンクリートの構造体としてのグリッドフレームをそのまま建物の外観としている点は、柱や梁を現す伝統的な日本建築のアナロジーであろうか。竣工当初の正面はサッシュが直接見える現状の立面とやや異なる。かつては厚みのあるフレームの間に縦型ルーバーが嵌め込まれていたので、構造体のみ強調されたシンプルで迫力ある外観であったようだ。(施工した清水建設の記録からその雰囲気が少し窺える)
*
下の一枚だけは1964年に竣工した第2三木ビルのエントランス付近。(第1)三木ビルの裏側に建っている。打ち放しコンクリートによるグリッド状の天井や壁面の造形も同様に当時の建築の考え方を伝えている。つまり、構造体即デザインでなければならないということ。
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- ここは本家サイト《分離派建築博物館》背 後の画像収蔵庫という位置づけです。 上記サイトで扱う1920年代以外の建物、随 時撮り歩いた建築写真をどんどん載せつつ マニアックなアプローチで迫ります。歴史 レポートコピペ用には全く不向き要注意。 あるいは、日々住宅設計に勤しむサラリー マン設計士の雑念の堆積物とも。
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