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    2011.03.28 Monday

    ナカノ洋品店(旧・中野煙草元売捌所)

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      1917年,福島県いわき市,三森己代松,2011.5月解体(上から2枚目まで2010年5月の撮影)


       東北地方太平洋沿岸を襲った地震と大津波の被害が動画や画像がUPされ、様々な地域で起こった目を覆わんばかりの悲惨な状態が明らかになり愕然とする日々です。しかし、なお必死で生きあるいは救援活動をされている人々には心より応援申し上げるとともに、残念なことに命を落とされた皆様に心より哀悼の意を表したく存じます。

       今まさに人命や破壊された社会共同体をつなぎとめようとしている段階にあって、あるいは建物などの文化的な側面の保全状況に目を向けるどころではないのかも知れないが、しかし人間の長い営為を刻んだモノの安否を問い記憶をつないでいくことが大切であることには変わりないであろう。
       例えばこの「ナカノ洋品店」は、いわき市平2丁目の繁華街にある。実は私がいわきに住んでいた頃から、珍しい昔の建物として目立っていて学校の行き帰りなどになんとなく気にしながら通り過ぎていた。最近は古い建物が減ったせいか貴重な存在として見直されているようだ。おそらく地元の棟梁が独自の感覚で成した洋風建築として高く評価されているのだろう、きれいに化粧直しされて現在に至る。しかし、評価のポイントはそれだけではないようだ。
       今まで全く気付かなかったのだが、ネットで調べると、郷土の詩人草野心平がまだうら若き青年時代、すなわち大正末期頃、草野心平と同人達のたまり場つまり詩作のサロンだったそうなのだ(*1)。
       ちなみに詩人草野心平は、戦前より同人誌『歴程』を中原中也らと創刊し、あるいは宮沢賢治の作品紹介にも務めた。

      それが3・11以後は、↓↓↓↓↓↓↓↓
        左の画像は、現在地元いわきで議員を務めている私の高校時代の部活の先輩のブログに掲載されているのを発見、拝借した画像(先輩、無断で拝借ごめんなさい。)他にも信じられないような惨状が記録されている。
       地震そのものが建物に与えた爪痕も思ったより深かった。ただしダメージを受けたものの「ナカノ洋品店」のような大正モダンを謳歌した地元文化の拠点であった大切な文化財などをはじめとして、必ずや手厚い補修の措置がなされ復興されるよう願ってやまない

                                ***

      【後日記】:2011年5月、残念ながら隣の堀薬局共々解体撤去されたそうです。




         *1:HP「遠富士の詩人俳人」参照、『いわきの詩風土と草野心平』(北条常久)による





      2011.03.25 Friday

      白水阿弥陀堂

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        1160(永歴元)年,福島県いわき市,現存(撮影:1981年)

         国宝・白水阿弥陀堂の地震被害は小規模なひびや扉のゆがみ程度にとどまり、とりあえずは大丈夫ということらしい。・・・というわけで、20世紀の建築物を取り上げる当ブログであるはずなのだが、この際は特別バージョンということで平安時代の建築もかまわずUP。すいませんがブレまくります。

         平安末期、国守岩城則道夫人の徳姫(藤原清衡の娘)が亡き夫の追善のために建立した「願成寺」の堂宇のひとつ。和様杮(こけら)葺で、平泉の毛越寺や無量光院などの影響があると言われている。
         そういえば平泉の「泉」の文字を分けて「白水」としたとのもっともらしそうな説明があるが、ただそれだけでなく常磐線の最寄駅にはかつて「平」(現「いわき」)駅、それに「泉」駅もあったりするので、やっぱり平泉との何かしらのつながりを感じざるを得ない。
         
         これが建立された当時は末法思想を背景に救済を求めるべく極楽浄土をイメージした建物や庭園を作ることが流行った。ここ白水阿弥陀堂の寺域でも発掘調査が行われた後に浄土式庭園が復元整備され、阿弥陀堂と一体化して往時の風情を醸し出している。
         しかしながら、ここから隔たりつつも同じ福島県内にある原子力発電所の事故によって、極楽浄土の美しくも清浄なるイメージが脅かされようとしている。逃れる人、近付くことを拒む人、それぞれの思いが交錯するこの頃であり、今はただ、一日も早く安心して暮せる地に戻って欲しいと祈るしかない。

         なお、他にもいわき市には「中田横穴古墳」といった文化財がある。こちらのブログを参考にしてみると外見上は一応無事のように見える(内部の様子は分らない)。
        2011.03.21 Monday

        五浦六角堂

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          1905年,茨城県北茨城市,岡倉天心,非現存(2011津波により流失),(撮影:1996年)

           日本美術院を創設した岡倉天心によって、その活動拠点として建てられた建物のうちのひとつ。茨城県五浦海岸に岡倉天心の居宅、日本美術院研究所が設けられ、そして六角堂は海に向かって突き出し波を望むように建てられた。正式には「観瀾亭」と称する。上図は内部を撮った写真で、畳が台形の組み合わせなのに感心した。
           横山大観,下村観山,菱田春草,木村武山らがこの地において制作に励み一時期近代美術史上の拠点とも言われる。現在も日本美術院は存続して活動を続けている。
           しかしながら六角堂については、今回の東北関東大震災の津波に呑み込まれ流失したとの報道がなされた。
          2011.03.14 Monday

          【お見舞い】東北地方太平洋沖地震

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                 (英紙 THE INDEPENDENT ON SUNDAY 1面)

             皆様ご承知のように、このたびの大地震は観測史上最悪(M9.0)と報道され、被害の全容の把握もままならぬ未曾有の災禍であります。今は、一人でも多くの方が無事救助されることをお祈りするとともに、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
             かつて福島県で暮らし親戚や知人を持つ当方としても、無事を確認しつつも遠からぬ町が被害を受け唖然とするばかりです。
             今も余震があり、また交通の混乱などの渦中にあります。しかし、こうした事態に対して日本人は試されているとも言われているようですが、落ち着いた行動、協力、思いやりなどによって必ずや克服できるものと確信したところです。
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            収蔵庫・壱號館
            ここは本家サイト《分離派建築博物館》背 後の画像収蔵庫という位置づけです。 上記サイトで扱う1920年代以外の建物、随 時撮り歩いた建築写真をどんどん載せつつ マニアックなアプローチで迫ります。歴史 レポートコピペ用には全く不向き要注意。 あるいは、日々住宅設計に勤しむサラリー マン設計士の雑念の堆積物とも。
            分離派建築
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