2011.04.30 Saturday
旧・西田川郡役所
1881年,山形県鶴岡市,高橋兼吉+石井竹次郎,現存(撮影:1981年)
致道博物館とその周辺の建物2題 (1)
「東北がんばれ」と一括して言われる昨今なのだが、言うまでもなく東北は広く山形県など日本海側方面では殆んど被害の話など聞かないのである。こうした地域ならば自粛ムードなどどこ吹く風というノリで、この連休古い建物を訪ねてみることの方がむしろ色々な意味で元気も出るし良いのかもしれない。
山形県鶴岡市の「致道博物館」とは、旧庄内藩主家であった酒井家が土地建物や文化財を寄付して1950(昭和25)年に財団法人以文会として登録したことを起源とする博物館。庭園や建物も展示の対象であるせいかミニ明治村的な感じがする。
「致道」の名は、1805(文化2)年に開かれた庄内藩の藩校「致道館」に由来する。ちなみにこの藩校を持つ庄内藩も、先に「さざえ堂」の記事に書いた会津藩と同盟を結び戊辰戦争を戦った関係にあったのだそうだ。
そして庄内藩が官軍の前に降伏した後、明治維新後の廃藩置県において初代県令三島通庸の命で建てられた郡役所が旧・西田川郡役所である。明治天皇行幸の際は行在所の役目も果たした。
入母屋造りの建物の中央に時計のある楼閣を取り付け、下見板張りと上げ下げ窓などが洋風の雰囲気を作り出している。1972(昭和47)年に博物館内に移築され資料館となっている。
2011.04.22 Friday
会津さざえ堂
1796(寛政8)年,福島県会津若松市,現存(撮影:1981年)
福島県が世界に誇るとっておきの名建築は無事とのこと。そこでまたも江戸期に遡る建築を取り上げたい。
二重螺旋構造の特異な空間を実際に体験できる近代以前の建築は、おそらくフランスのシャンボール城のダ・ヴィンチの設計とも囁かれる階段室とこのさざえ堂だけ!のはず、・・・たぶん。正式には正宗寺円通三匝堂と称され郁堂が考案したとされる。当初は三十三観音を順次参拝するためにこうした空間が考えられたそうだ。
二重螺旋の空間構造と言えば、後にDNAの構造からヒントを得た黒川紀章のヘリックス・シティ計画が思い当たるのだが、さざえ堂は約165年先立って作られた。そういえば毛綱毅曠による釧路市立博物館(1984年)の階段も二重螺旋であった。
さて、これが建てられた寛政期とはどんな時代だったのか。元号が示すように松平定信による寛政の改革が行われ、飢饉対策、緊縮財政、風紀の取り締まり、寛政異学の禁なる学問統制がなされ朱子学のみが公認されたという。文化的には東洲斎写楽が出現し短期間の創作活動を行ったのだが、それは寛政6年から約10ヶ月間だったとされる。
会津藩においては、1798(寛政10)年に藩校「日新館」の設立が発案され、藩政改革を目的とした人材育成機関として1803(享和3)年に完成した。そこは天文台や水練場(プール)などの施設が整う全国屈指の藩校であった。
幕末になると、戊辰の役の際日新館で学んだ16,17歳の少年らによって白虎隊が組織され、このさざえ堂の建つ飯森山にて自刃に及んだ話はよく知られている。
福島県の山間に特に学問を中心とした独自の地方文化が育まれさらに広く社会に貢献したことは、明治期に猪苗代から野口英世を輩出したことなどからも見逃せない事実であろう。そのひとつのシンボル的意味合いからしても、このさざえ堂は末永く飯盛山に立ち続けるに違いない。
←軒裏・・・見たことも無いような納まり。
上り(左)、そして頂上から下る(右)。かつては自動的に賽銭を集める仕掛け、賽銭の樋が巡らされていたという。
2011.04.21 Thursday
旧・愛宕高等小学校
1928年,東京都港区,東京市(阪東義三,長島重信),現存(撮影:2011年)
震災にかこつけたような記事は出来るだけ自重したいと思っているのだが、今回も大正の関東大震災後の復興小学校を取り上げてしまった。
やや薄汚れた表面を度外視してこの校舎を見れば、アーチ窓こそ無いものの微妙な曲面に覆われた柔らかで可憐な姿が想像できる。表現主義の影響と片付けてしまうのは簡単だが、それよりも設計者が未来を担う子供が集うに相応しい学び舎を思い描いたという意味における主観性の発露と見たい。こうした柔らかな外観を持つ初期の復興小学校も、つい最近明石小学校が取り壊されてしまったことでさらに数が減った。
全国的な視野で鉄筋コンクリート造(RC造)の小学校の発祥を思うならば、1920(大正9)年に神戸市に建てられた須佐小学校が最も早い例だったことが川島智生氏の研究で明らかにされている(*1)。東京でも震災以前の1922(大正11)年に林町小学校においてRC造の教室が作られたことが藤岡洋保氏の論文に記されている(*2)。
大正中期以後、神戸、京都、大阪などの大都市では自治体の主導で各地方独自のRC造校舎が整備され、それは東京においても関東大震災以前に遡る動きとしてあった。そして簡略化された歴史様式を纏う校舎が多く造られた地域もあれば、無装飾に近いシンプルな校舎(これは東京の復興小学校にもともと顕著)も出現した。
このように西欧で発祥するインターナショナルスタイル的な建物の予兆のように、大正後期からの日本に早々とシンプルな外観のRC造の建物がお目見えしたことは何を意味するのだろう。おそらくは大正のはじめ頃から問題意識に浮上した耐震化や経済性を旨とした佐野利器を中心とする(こう言って良ければ)日本独自の合理主義的な流れが形づくられ、そうした日本の近代化の過程の目に見える表れのひとつであった、ということかも知れない。
*1:『近代日本における小学校建築の研究』(川島智生,1998)
*2:『東京市立小学校における初期の鉄筋コンクリート造校舎について』(藤岡洋保,1979)
2011.04.16 Saturday
悲劇的風景(帝都復興創案展覧会より)
1924年,《悲劇的風景》(*1) 石川純一郎
1923年の関東大震災の翌年、国民美術協会主催の「帝都復興創案展覧会」が上野公園竹之台陳列館において1924(大正14)年4月13日〜28日まで行なわれた。建築の分野からは「分離派建築会」や「メテオール建築会」,「創宇社」,「ラトー建築会」などが出展したことが知られている。
そのうち「ラトー建築会」は1922(大正11)年に帝大建築学科を卒業したばかりの有志からなるグループで、安田講堂を設計する岸田日出刀、小菅監獄を設計する蒲原重雄、建築史の分野において後に「四天王寺建築論」などを著す長谷川輝雄、そして竹中工務店に就職した石川純一郎らによる。石川は竹中において、後に辰馬本家酒造白鹿館(1930)や朝日ビルディング(1931)などモダニズムによる建築の秀作を遺した。(岸田と蒲原の出展作品は下に掲載した)
冒頭に掲げた絵画《悲劇的風景》は表現主義的雰囲気が濃厚であり、当時の石川の建築的指向が窺われる。掲載された『国民美術』(1924年5月)の濱岡周忠による解説にも触れられており、油彩画作品としてこの《悲劇的風景》と《海につき入るもの》が出展され「幻想的」で「独創的な意想図」として印象が強かったことが述べられている。
このときの震災から88年経つことになろうか。しかし私には過ぎ去った遠い過去のようにはどうも思えない。妙にこの《悲劇的風景》が福島第一原子力発電所で起こっている悲惨な経過とダブってしまうのだが・・・。
《犠牲者供養塔》(*2) 岸田日出刀 《監獄の入口》(*1) 蒲原重雄
*1:『国民美術』1924年5月号(通巻245号)より
*2:『建築新潮』1924年6月号より
2011.04.09 Saturday
水戸地方気象台(旧・水戸測候所)
1935年,茨城県水戸市,堀口捨己,現存(撮影:2002年)
分離派建築会の結成に関った主要メンバーであり早くから西洋モダニズムと和の融合を早くから指向した建築家堀口捨己による、RC造建築の稀少な現存事例。堀口は大島測候所,神戸海洋気象台,福岡測候所などとともに水戸地方気象台を設計したが、このように堀口が測候所をいくつも設計したのは兄が気象学者であったことが関係していると言われる。
近年大島測候所が解体され、さらに神戸海洋気象台も阪神淡路大震災で被害を蒙り移転、建物は解体されてしまったようだ。水戸のこの建物が唯一の測候所ということになった。
この建物自体の地震による影響について、気象台のHPなどを閲覧しても特に言及されていないところから察して大丈夫ということなのだろう。それどころか気象データをはじめ様々なデータなどを発信しているようで頼もしい限り。
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- ここは本家サイト《分離派建築博物館》背 後の画像収蔵庫という位置づけです。 上記サイトで扱う1920年代以外の建物、随 時撮り歩いた建築写真をどんどん載せつつ マニアックなアプローチで迫ります。歴史 レポートコピペ用には全く不向き要注意。 あるいは、日々住宅設計に勤しむサラリー マン設計士の雑念の堆積物とも。
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