2023.05.10 Wednesday

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    2011.05.27 Friday

    旧・白木屋

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      1928年(第1期),1931年(第2期),東京都中央区,石本喜久治(+岡村蚊象),非現存(撮影1992年)

       日本橋の旧・白木屋デパート(ありし日の東急百貨店日本橋店)の裏側立面。火災にも戦災にも戦後の乗っ取り騒動にも負けず生きのびた部分でもある。

       石本喜久治のデザインによる、水平ラインが強調されきらびやかなアール・デコ装飾に彩られた道路側ファサード(右下白黒画像(*1))は、商業建築としての極みであろう。これとはまさに対照的なこうした裏面のデザインは、所員であり左翼的な考え方を持つ岡村蚊象(後の山口文象)が石本から建築的才能を見込まれ任されたことによって実現した。何の飾り気も無く一見ぶっきらぼうに窓を穿った躯体のようだが、裸形の構成感覚を追い求めるひとつのエチュードのようにも見えてくる。
      すなわち後の代表作である「黒部川第二発電所」「日本歯科医専」、あるいは現存する「旧・梅月堂」などに通ずる元がここにあるような気がしてならない。(ただし写真を見る限り、最上階の一部は破綻の様相からして後の増築だろうか)

       石本喜久治の建築と言えば、「旧・朝日新聞社屋」にしてもそうであったように、デザイン要素の混在ぶりと表層性を可とする作風は当時から色々と言われていたようだ。特にこの白木屋におけるようなデザインの乖離、二面性は、所長と所員の根本的な考え方の相違がそのまま形になって残ったように見える点で特筆されるべきかもしれない。建築とは怖いもので、事務所の楽屋裏の事情であっても反映されてしまえば建っている限り何十年でも晒され続けてしまうものと知る。資本主義を謳歌するデザインと(こう言って良ければ)共産主義を目指すデザインが表裏を成す建物、デザイン的東西対立(古い喩えかな)をひとつに含む建物は、坂倉準三によって外装パネルで覆われなければそれなりに楽しめたはずだったのだが、もう既に過去のこととなってしまった・・・。否、まだまだ考察の余地ありかもしれない。大体この多数の丸窓は何ゆえか。
       
       下のふたつのモザイクタイルのレリーフは、店舗内唯一の当初からの装飾ではないかと思われる部分。2ヵ所あった階段室の踊り場に設けられたニッチにそれぞれレリーフがしつらえられた。これを見ただけでも派手好みの石本喜久治の体質が見えてくる。おそらく岡村も我慢しながら図面を引いたのであろう。

       最後に、私がこうして勝手なことを書けたのは物凄く詳しいHP「まちもり通信」(「建築家 山口文象」「1927 白木屋」)があるおかげ。なので私などに山口文象について口を挟む隙などあるはずが無いと思っていたわけで、それでも発し得る話題があるとすれば唯一この旧・白木屋の裏側立面の件くらいということ。















         



      *1:『石本建築事務所作品集』(1966,光元社)





      2011.05.16 Monday

      旧・耀堂ビル

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        1931年,神奈川県横浜市,山越邦彦,現存(撮影:2011年)

         山越邦彦という破格の建築家が大正末期、震災後の東京に出現した。1925(大正14)年に帝大建築学科を卒業し戸田組に入社する一方、『ゲエ・ギムギガム・プルルル・ギムゲム』(略して『G.G.P.G』)という奇妙な雑誌に小論「構築 構築 Strukturisumo」を投稿した。同誌は玉村善之助,北園克衛,稲垣足穂らが参加した前衛文芸誌である。また山越は朝日新聞紙上に「プルルル生」なる筆名で投稿、山田守の設計による竣工したての東京中央電信局について曲線による無用の装飾に満ちた建物として批判し、山田ら分離派との間で紙上論争を展開した。こうした山越が目論む合理主義は、通常考えられるような美的収束、芸術としての建築への帰着とは相容れないものであったようで、その意味では分離派に敵対した野田俊彦をどことなく連想させる。

         ここに取り上げたのは旧・耀堂ビル(現・日本穀物検定協会横浜支部)の外観だが、モダニズムへの指向をうかがわせる山越個人の設計による現存建築物という意味で貴重であろう。恐らく手近に見られる建物はこれくらいで、後述の「ドーモ・ディナミーカ」は既に無い。ただし、山越による本領としたところは建築の機械的フォルム追求に終始するのではなく、むしろ1920年代の西欧モダニズムの主流であった重工業的技術のさらに先の技術そのものにより強い関心が向けられたのである。

         具体的には乾式工法,床暖房システム,浄化槽,太陽熱やメタンガスの利用などの研究が挙げられ、こうした自然エネルギーの循環を基礎とした生活環境のシステムなどをはじめとして、1933(昭和8)年の自邸「ドーモ・ディナミーカ」や1936(昭和11)年の住宅「ドーモ・ムルタングラ」に取り入れられた(*1)。
         こうした自然との調和を念頭に置いた住環境の構築や今日おおいに普及している床暖房などが昭和初期の時点で独力で研究されていたことになるのだが、まさに自然環境との共存に関わる技術開発が活気付く現在の様相を思うとき、山越邦彦の恐ろしいまでの先見性と実行力には驚嘆せざるを得ない。尚、戦後においては1974(昭和49)年に象設計集団による住宅「ドーモ・セラカント」の床暖房も担当していたとのことである。




        *1:『山越邦彦の全般的な活動概要について 山越邦彦研究・その1』(梅宮弘光,矢代眞己、学会講演梗概集、2006)






        2011.05.07 Saturday

        京浜東北線 駅舎散歩2題

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           電車の中でふと思いつく。仕事のたびに通過してしまう駅をふらりと降りてちょっと一息しようかな。白昼、ネクタイ締めた会社員による「ひと駅散歩」とはいかぬまでも・・・。
           するとピロティ&横長連続窓のイメージを下敷きにしたような建物に出会ったりして、私にとってはそれだけでちょっとした気晴らしになったりする。モダニズムによる建築もいつしか様式化されてゆく暗黙の流れを示す典型例であろう。一体いつごろ建てられたのか。
           後日調べてみようと図書館に行ったならば、旧・国鉄が約10年に一度のペースで数回刊行した記録『国鉄の建築』をみつけた。相当な規模の技術陣を擁し栄華を誇っていたと思しき頃のぶ厚い本もあれば、民営化直前の薄い小冊子もある。そして今や旧・国鉄は忘れられ駅舎だけが残る。

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          ←左は北浦和駅西口。『国鉄の建築』の年表に1968年竣工と出ているのがこれだろう。設計を担当した部局
          や個人名は判らない。駅舎の建築はいくつかの工事局が担当していたようであり、例えば「東京第一工事局」というのを比較的目にするのだが、そこがこの駅舎を担当していたとは限らない。


           この西口から北浦和公園、県立近代美術館(黒川紀章設計)に通ずる。また、近くに西口開設記念碑があった。第4代国鉄総裁十河信二の揮毫による。

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          ←こちらは駅西口。1967年竣工。穴あきブロックが美しい。駅舎のファサードにこのような造形性が許されたことだけでも立派、などとひとり勝手に感心する。
           ここにも下のような記念碑がある。

              




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          ここは本家サイト《分離派建築博物館》背 後の画像収蔵庫という位置づけです。 上記サイトで扱う1920年代以外の建物、随 時撮り歩いた建築写真をどんどん載せつつ マニアックなアプローチで迫ります。歴史 レポートコピペ用には全く不向き要注意。 あるいは、日々住宅設計に勤しむサラリー マン設計士の雑念の堆積物とも。
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