2011.06.26 Sunday
東洋キネマ
1928年,東京都千代田区,小湊健二,非現存(撮影:1991〜2年?)
正直言っていつ頃撮った写真だか正確に思い出せないでいる。「東洋キネマ」の箱文字も取り去られ所有者の看板だけが目立つ状態からして解体直前だろうと、今にして思う。
もうひとつ、正直言ってどうも腑に落ちない点がある。(私だけなのかもしれないが)この建物をしてダダイズムの熱狂を伝える唯一の建物と称されている点は、ちょっと引っ掛かる。ダダイズムと言えばそもそも1910年代にヨーロッパで起こった既成の価値観を破壊する急進的芸術運動であって、いくつかの地域において同時多発的でもあり、必ずしもある固定した表現傾向を指すイズムではなかったと認識しているからなのだ。
東洋キネマの外観を眺めてみると、なるほど当時流行りの未来派的装飾やら様式的列柱などコラージュ的にアレンジされている。それはそれで興味深いし他に類例があるかと問われれば思いつかない。また徳川夢声が弁士を務める有名館でありつつ本格的建築が可能になった昭和3年という時期の建物にもかかわらず看板建築的(勿論当時そうした呼び方は無かったが)である意味チープ感が漂い、人を食った感じは無くも無い。それらの特徴などから「ダダ的」と称したと想像されるのだが、しかし強く既成の価値観を破壊するようなものが喚起されているかといえばそうでもなさそうだ。
そこで私なりにあえて日本の建築におけるダダイズムに思いを馳せてみたところ、村山知義をはじめとするマヴォの活動が思い当たるのでいくつか下に示してみた。(左:住谷盤根《商店のための模型》(『建築新潮』1924.6), 右:村山知義《マヴォ本部の建築的理念》(『建築新潮』1924.5))
どうであろうか。
2011.06.18 Saturday
大阪府立中之島図書館事務棟
1960年,大阪府大阪市北区,森田慶一,現存(撮影:2010年)
大阪中之島の野口孫市による図書館の付近をふらふら建築探訪していたところ、威厳溢れる図書館の東南隅で、控え目にしかし気品を湛えた建物に遭遇したので1枚撮影しておくことに。後で私家版の作品集で確認したらやはり森田慶一の設計であった。
森田はヴィトルヴィウスなどの研究者として知られるがその一方で、数は少ないながらも設計も行なっている。戦後にも湯川記念館(1952)、京都国立博物館新館(1965)、百十六銀行熱田支店(1956)などがあり、この図書館事務棟もそれらと同様の考え方による建物と推察される。最近ほとんど見ないやり方・・・柱芯、梁芯、壁芯を一致させて設計したのだろうか、比例関係にこだわった立面だろうか、などと色々想像を巡らしてみる。頂部の庇は古典主義のコーニスの役割を担い全体を引き締めていた。
2011.06.13 Monday
旧・北野病院
1928年,大阪府大阪市北区,森田慶一,非現存(撮影:1991年)
後年になって分離派に参加したことを「若気の至り」としてとても後悔していたらしいとも聞く森田慶一について書こうとしているのだが、私などからすれば、分離派の一員の当時から既にギリシャ古典主義建築への傾倒を示し格調高い論考を発表したまさに鬼才としか思えない。
まさかとは思うが、建築の芸術性と創造的態度の保持を訴えるため若さと勢いで旗揚げしようとする分離派建築会に誘われるがままに入ってしまった森田ではあった。だが分離派が否定していたはずの「模倣」こそがギリシャ古典芸術の基本原理に重なることに後で気が付いた時には既に遅し、ということだろうか。(いえいえこれは私の皮相的な邪推。)勿論、分離派が否定していたのは別次元の非創造的な模倣的態度による造形のこと。
さて森田は、分離派建築会の第6回展(1927(昭和2)年)に「病院設計図」(下の平面図)を出展した。そして翌年、分離派最後の展覧会第7回展が行なわれた際には「病院」すなわち北野病院の竣工写真とコルビュジエ風の住宅の図面を出展し『いみたちを・こるぶしえり』と題された論考も著された。これらはいずれも『建築新潮』の分離派展の特集号に掲載された。
ちょうどこの頃日本に流入し旋風を巻き起こしつつあったル・コルビュジエによる建築、ギリシャ古典に基づき幾何学的制御を漲らせ住宅を「住むための機械」として捉え直すアプローチは、やはり森田の心をも捉えたのだろう。そして森田の対応も「コルビュジエへの模倣」というギリシャ古典の流儀をもって示されたのである。もちろんコルの単なる猿真似をしようとしたわけではない。
古代ギリシャにおける芸術の本質であった「模倣」(ミメーシス)とは、本質(イデア)の再現であって、「模倣」というよりその通り「再現」(representation)と言った方が本当は通りが良いのかも知れない。森田の場合、コルビュジエに従ってみること、例えば恐らく何らかの「規準図形」の考え方に則った設計を試したのではないか、と想像しているのだが果たしてどうだろう。
最後に強調しておきたいこととして、森田のように原理に遡って作法を積み重ねるタイプの建築家は恐らく日本においてはいつでも少数派であって、つまり貴重な建築家の誕生(?)だったと言えはしまいか。付和雷同的に流行の流れに身をまかせどんなデザインでもこなす類がいつの世においても常に多数派である中において・・・。
また分離派建築会についても、昭和に入ったばかりの頃のモダニズム建築流入期に「古臭い」と言われて雨霧消散したのだったが、しかし合理主義的姿勢には賛意を持ち主体性を保ちつつ積み重ねていく姿勢については森田慶一を含む分離派建築家達に共通していたようなのである。
上(外観):『建築新潮』(1928.11号)
右(平面図):『建築新潮』(1927.3号)
2011.06.07 Tuesday
旧・岡本太郎邸(現・岡本太郎記念館)
1954年,東京都港区,坂倉準三,現存(撮影:2011年)
岡本太郎と坂倉準三の接点はどのあたりにあるのだろう、と思い調べてみると、案の定、両者に交流のあることが分った。後に仏文学者となりパリに滞在中は岡本らと交遊のあった丸山熊雄の著書『1930年代のパリと私』にそのことが書かれている・・・との記事が載るブログをみつけた。(*1)
坂倉は1929(昭和4)年に渡航し周知のようにコルビュジエのもとで修行し1939(昭和14)年に帰国した。一方、岡本のフランス活動時期も1929(昭和4)年から1940(昭和15)年の間でほぼ重なる。国際シュルレアリスム・パリ展に《傷ましき腕》を出品するなどの活動があった。ということなので、坂倉が岡本に対して辛辣な批評を加えていたという交流の存在は時期的に考えても頷ける。そしてフランスからの引揚げ時の船には荻須高徳や猪熊弦一郎、それにシャルロット・ペリアンも乗船していたらしいが会話がなされたかまでは分らない。
岡本邸を坂倉が設計するに至った経緯も、恐らく戦前からの関係が基礎となっていたのだろう。
さてもうひとつ、特徴的な凸レンズ形断面形状の屋根についてもネット情報ですんなり腑に落ちた。それは初期の坂倉事務所に在籍していた担当者村田豊によるアイデア(*2)のようで、無柱のアトリエ空間を作り出す形だった。村田豊もコルビュジエのもとへ渡った後独立して活躍したが、1970年の大阪万博では空気膜によって「富士グループパビリオン」という一度目にしたら忘れられないような建物を実現させた。岡本邸の凸レンズ状の膨らみが発展し、空気膜で建物ごと膨らんでしまうまでになるとは面白いものだ。
現在岡本太郎記念館として整備された建物は、場所柄も手伝ってか若い人を中心としたちょっと人気のスポットの雰囲気がある。しかも内部まで写真撮影が可能とは嬉しいかぎり。下の画像の椅子は坂倉のデザインであろうか(?)。岡本太郎の遺品のピアノに描かれた不思議な模様に妙に惹かれた。
*1: 「神保町系オタオタ日記」
*2: 「20世紀日本建築・美術の名品はどこにある」による
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- 収蔵庫・壱號館
- ここは本家サイト《分離派建築博物館》背 後の画像収蔵庫という位置づけです。 上記サイトで扱う1920年代以外の建物、随 時撮り歩いた建築写真をどんどん載せつつ マニアックなアプローチで迫ります。歴史 レポートコピペ用には全く不向き要注意。 あるいは、日々住宅設計に勤しむサラリー マン設計士の雑念の堆積物とも。
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