2023.05.10 Wednesday

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    2011.10.25 Tuesday

    群馬県立近代美術館

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      1974年,群馬県高崎市,磯崎新,現存(撮影:1981年)


       1辺12mの立方体フレーム、第一原質たるプラトン立体への「偏愛」のみがまず建築を成り立たせる発端としてあると作者は言うが、言うなれば、外部からも時間からも切り離されたある観念のみが建築を成り立たせているに過ぎないということを暗に仄めかしている。
       そして強力な秩序をもたらす立方体に対して、亀裂を入れるために「増幅」、「ズレ」、「ねじれ」などの操作が施される。表現の手の痕跡とは無縁の出来事として。
       
        あらゆる表面は幾重にも正方形に分割され増殖し、あるいは立方体フレームが入れ子状に並置される。池を抱く立方体の軸線は22.5度振れて伸張する。内部では、よじれた逆パース状のオブジェが視線の彼方に異物のように挿入され、壁の表面にも執拗に歪んだグリッドフレームが刻み込まれている。
       このような従来的な意味における表現行為とは言い難い操作は、ルネサンス的人間による「創造」への不信、「手法」としてのみ延命が許された建築のあり方を示す。また人間存在の減失がもたらす不在の時代としての近代への認識に根ざしている。
       
       モダニズムが内に秘めたこうした問題を見据え、なおも建築を生み出すことそのものへを課題として据えたのは、1970年代に入ってこの建物を設計した磯崎新、あるいは別のアプローチによる(「宮島邸」を設計した)藤井博巳らが、ほぼ日本における最初の建築家だったのではなかったかと思う・・・。








      2011.10.17 Monday

      新宿御苑 旧・御涼邸(台湾閣)

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        1927年,東京都新宿区,森山松之助,現存(撮影:2011年)

         休日をのんびり過ごそうと、普段は通り過ぎてしまう新宿御苑に入ってみた。都心の大庭園ということもあって戦災で失われた部分も少なくないらしいが、実際入ってみると珍しい植物に彩られた庭園がいくつも整いまさに別世界の風情であった。そして門衛所が2棟(共に1927年)、宮内省内匠寮設計の「旧・洋館御休所」(1896年)といった歴史的建造物が残るなど見飽きることがない。
         新宿御苑の発祥は江戸期の内藤家の庭園にまで遡るとされ、玉川上水の余水を引いて造った「玉藻池」も現存する。明治以降終戦までは当時の宮内省の管理するところとなり、1949年に一般に開放されたとある。
         恥ずかしながら初めて入ってみたのだが、今まで見過ごしてきたことを後悔している。
         
         「旧・御涼邸」も戦火をくぐり抜けて残った建物のひとつであり、2001年の保存改修工事を経て現在に至る。
         昭和天皇の御成婚を記念するために台湾在住邦人有志が寄贈した館、設計は森山松之助による。森山は台湾総督府の技師としてその地でいくつもの建物を設計した経歴を持つが、赴任したのは1906〜1921年までのようなので、これが設計されたのは日本に戻って設計事務所を開設してからということになろう。なお、他に森山が日本で設計した建築としては、「両国公会堂」(1926),「片倉館」(1928)などがある。

         「旧・御涼邸」は中国南方に見られる閩南(ビンナン)式と呼ばれるデザインに拠っており、その特徴ある「燕尾」状に尖がった屋根が興味を惹く。このような中国のデザインの流れを汲む本格的な建物は日本においては数少ないのだそうだ。
         入口脇のかたつむりをかたどったような石細工は何とも不思議で、その意味合いなど私には分らない。円窓(まるまど)の文字は「於物魚躍(あゝ満ちて魚躍れりと)」という天子を賛美する意味との解説があった。
         材料は台湾から取り寄せたスギやヒノキがふんだんに用いられている。

         庭から眺めると、日本的な回遊式庭園の風景の一部としてこの中国風の建物が配されているのだが、私には不思議な調和を感じた。いや、むしろ絶景であった。しかし見る人が見れば、もしかしたら違う意見があるかも知れない。

            






        2011.10.03 Monday

        横浜税関

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          1934年,神奈川県横浜市中区,大蔵省営繕管財局(吉武東里,下元連),現存(撮影:1981年)

           本記事の目玉はどちらかと言えば上の画像なので、環境も含めて「横浜税関とその周辺の風景」というタイトルにすべきだっただろうか。恐らく万国橋の辺りから撮ったように記憶する。現在と見比べればその甚だしい変貌振りに驚く次第・・・。同時に自分が若くないことを思い知らされる。遥か彼方にクイーンの塔が見え、手前にその手前に三菱倉庫が見え、並んでさらに手前には薄汚れて見えるのは日本郵船海岸通倉庫だろうか。ここは今や横浜トリエンナーレが開催されているアートのメッカであり、三菱倉庫があった場所には神奈川県警の大きなビルが建っている。

           そうそう、初めて横浜を訪れた時赤レンガ倉庫がTVのロケ地そのままにあるのを喜び、キング、ジャック、クィーンの3塔をみつけては無邪気にシャッターを切ったのだった。横浜税関のシンプルで抑制の効いたドームは最も好感が持てた。
           設計を担当した吉武東里は国会議事堂の設計に関与し、下元連はライト風の旧・総理大臣官邸の設計者として知られる。
           



          ↓2012年、万国橋から撮影













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          収蔵庫・壱號館
          ここは本家サイト《分離派建築博物館》背 後の画像収蔵庫という位置づけです。 上記サイトで扱う1920年代以外の建物、随 時撮り歩いた建築写真をどんどん載せつつ マニアックなアプローチで迫ります。歴史 レポートコピペ用には全く不向き要注意。 あるいは、日々住宅設計に勤しむサラリー マン設計士の雑念の堆積物とも。
          分離派建築
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