東京都児童会館
1964年,東京都渋谷区,大谷幸夫,現存(撮影:2011年)
発端は1959年、(当時の)皇太子殿下御成婚記念事業として民間からの寄付金により計画が進められた施設であり、丹下研究室から独立した大谷幸夫にとって最初のまとまった規模を持つ建築作品となった。
*
掲載誌をみると、山本学治によって大谷自身の言葉も交えた解説文が寄せられていた(*1)。それによるところ、要求された諸要素をおおよそ次のような4種類の空間機能にまとめ(1.ピロティなどの導入空間、2.スキップして積み重ねられた娯楽室や展示室群、3.話を聞く,絵を描く,本を読む教室群、4.管理部分)、有機的な結合による新しい立体的な構成を目指したということであり、そうした立体的な構成は従来の単純な多層建築とは異なるものとなることが強調されていた。
また解説には、これは竣工前年に最優秀を勝ち得た国立京都国際会館のコンペ案と基本的に同様の設計の方法であるとも書かれていた。
さらに山本は丹下健三との比較において、構造体に主張を伴わせる丹下とは対照的に、大谷の場合はむしろ構造体は無性格に近く、個々の最小単位の集合のあり方を形象化し全体像へ到達させることに関心を払っている点を指摘している。これは大谷の都市に対する基本的な考え方であり、この基本理念は「麹町計画」において表明されていた。
*
児童会館の建物は垂直水平のエレメントが積層する姿を持つが、これは大谷にとって、完結した単体の建物というよりも都市を構成する一部分の具現化として考えられていたに違いない。これら垂直水平のエレメントが無限定に広がりゆくイメージドローイングが、昨年開催された「メタボリズムの未来都市展」の図録にも載っていた。これぞ典型的な当時の未来都市像、という見方もできよう。
しかし昨年3月11日の大地震以降、建物は閉鎖されていたらしく、また本年3月末日をもって閉館されたとある。どうしてなのか調べたところ、表向き地震のせいにしているようで、もともとH.24年度開設予定で新たに新宿区に設立される「子ども家庭総合センター(仮称)」に統合される予定があったのだ。建物の行く末は今後どうなるのだろうか。
*1:「立体的な空間構成/児童会館をみて」(『新建築』1964年5月号)
県営河原町団地
神奈川県川崎市,1972年(当該住棟),大谷幸夫,現存(撮影:2012年)
河原町団地に最初の「逆Y字形住棟」がお目見えしてから40年目になる。これは丹下研究室の出身で「国立京都国際会館」を設計した大谷幸夫により生み出された住棟なのである。
高層の住宅団地を配置する場合、どうしても低層部の日照をどう確保するかが問題となる。そこで低層部の住戸をセットバックさせながら積み重ねる棟が考案されたわけだが、これと垂直に立ち上がる棟とを交互に配置し隣棟間隔を適切に保ちながら日照を確保するように計画された。
また、斜めにセットバックする住戸群によって生み出される空間は公共空間として建物に内包される。つまり子供は建物から隔たった野外に行かなくても家のそばで遊ぶことができるのだ。
さらにこの半屋外の共用空間は上層階の吹き抜けともつながっており上下階の隔絶した感じの緩和にも寄与するらしい。日照の問題の解決策をはじめとして大体以上のような効果が期待されてこのユニークな「逆Y字形住棟」が誕生したのだった。
バルコニーの窓や玄関の位置などについてもプライバシーに対する細やかな配慮が働いているが、これも当時としてはまだ珍しかったのではなかろうか。
当時の公営住宅団地の多くは、まだまだ均質に連続する住戸とそれらをつなぐ共用の廊下や階段が全てだった。その結果の殺伐とした雰囲気が問題になるのはもう少ししてからであった。
そんな折りに、無ければ基本的に成立しないというわけでもない半屋外の巨大な共用空間を作り、襞の多い外壁を実現にまで至らしめたことは、やはり画期的だったと言うべきであろう。
(当時の某誌月評を読むと、ある有名建築家がこれを陰鬱な空間とする単純な印象批評に終始させていたが、そういうあげつらい話なら誰にだってできる)
河原町団地の「逆Y字形住棟」を見ていると、断面形状が似ているせいか大谷幸夫の師である丹下健三の「25,000人のためのコミュニティ計画」(1959)思い起してしまう。しかし丹下健三のそれは計画止まりであった。それに対して現実の団地で実現してしまった大谷のすごさを過小評価することはできまい。
ただし留意しておきたいこともある。大谷幸夫の場合、あくまでも最小単位であるのが住戸であり、人間であってそれを起点にどう集合するのがふさわしいを考察し、ひとつの建築に至らしめるという発想の違いがあるらしい。つまりメガストラクチャーありきでそこに全てを押し込める発想とは逆向きなのである。
さて、当時の掲載誌を見ると、共用空間でたくさんの小学生位の子供達が遊ぶ活気あふれる写真に満ちている。よくよく考えれば写真の子供達は大体私と同じ世代であり、私もこのような「来るべき21世紀の未来空間」で遊べたら楽しかっただろうな、などと当時ずっと小さい団地に住んでいた私は、今更ながら少々ひがみっぽく思うのだった。
そしてこれらの写真を撮った2012年のとある日、殆ど人気もなく少し寂しげであった。遊び場としての機能はとうに忘れ去られたようにも思えた。
恐らく、今見ているのは当時の子供たちが巣立って行った「夢の跡」であり時間が止まったまま残された空虚なのだろう。世代の移り変わり−やはりここでも対処しあぐねているような、そんな問題に立ち至っているように感じられた。
以下は、逆Y字ではない、商店街のあるツインコリダー型の棟。そしてちょっと不思議なパーゴラ(?)、無限定的な伸長を示唆しているような・・・。
東京女子医科大学病院1号館
1930年,東京都新宿区,増田清,現存(撮影:1992年)
佐野利器から構造学の影響を受け、大正から昭和戦前期にかけて鉄筋コンクリート構造の建築を多数生み出しその普及に貢献した、増田清という建築家がいた。
帝大卒業と同時に安藤組大阪支店に就職し(1913)その後大阪府の技師として(1917)、また増田清建築事務所(1924)を立ち上げるなど、官民様々な立場を股にかけつつ活動を展開した経歴を持つ。 あるいは月刊誌『建築知識』(注:今日の同名誌とは無縁と思われる)を発行して鉄筋コンクリート造建築の普及に努めた。(*1)
活動の場は主に大阪を中心とする関西方面であった。例えば大阪における作品では、最近保存活用の要望の声が高まりをみせる旧・大阪市立精華小学校(1929)や三木楽器本店(1924)が遺る。(精華小とその保存活動については「SEIKA! SEIKA! SEIKA!」,「精華小校舎愛好会」が詳しい)
また広島で建てられた建築物のうちでは、旧・大正屋呉服店(1929)(現・広島市レストハウス)が被爆の記憶を伝える遺構として現存している。
写真の旧・女子医学専門学校は増田が担当した東京における数少ない建築であり、いくつかの棟のうち1号館の十字形放射状平面が特徴となっている。十字形平面が採用された理由は定かではないが、海外の病院の事例から病室の採光を平等としたいとする当時の代表者吉岡彌生の考え方やその他の事情が作用したのではないかと推測されているようだ(*2)。
*1:『建築家増田清の経歴と広島における建築活動について』 (建築学会論文 1999 石丸紀興 李明)
*2:『増田清と東京女子医科大学(2)−1号館の設計過程について−』(学術講演梗概集 2003 横手義洋 鈴木真 歩 加藤由美子 鈴木博之)
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- ここは本家サイト《分離派建築博物館》背 後の画像収蔵庫という位置づけです。 上記サイトで扱う1920年代以外の建物、随 時撮り歩いた建築写真をどんどん載せつつ マニアックなアプローチで迫ります。歴史 レポートコピペ用には全く不向き要注意。 あるいは、日々住宅設計に勤しむサラリー マン設計士の雑念の堆積物とも。
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