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    2012.10.19 Friday

    上野労働相談所

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      1925年,東京都台東区,下谷兵事会,非現存(撮影:1992年頃)

       かつて上野駅の東口に建っていたRC3階建ての建物。上記のデータは『日本近代建築総覧』の内容に倣っているのだが、特にその備考に記されている「S.14年以前は市民食堂」との文言が気にかかった。
       それと言うのもここに記された「市民食堂」とは、大正期以降に設置された東京市営の「公衆食堂」(あるいは「市設食堂」とも称される)のことを指すのではないか、と思ったからである。現存する公衆食堂の建物としては、丸窓が印象的な旧・東京市深川食堂(昭和7(1932)年竣工)が知られ、「深川東京モダン館」としてリニューアル、活用されている。

       公衆食堂とは、大正7(1918)年に富山県で起こった米騒動が引き金となり、その影響がもたらした物価高騰と市民の生活苦に対処するために、東京市が社会政策の一環としてが経営をはじめた食堂である。市内に合計16か所設置され、定食は10〜15銭,カレーライス15銭,コーヒーが5銭であった(*2)。

       そのうちのひとつ上野公衆食堂は、大正9(1920)年という初期に設置された部類の食堂である。所在地は旧住所で「下谷区車坂町25」とある(*1)。この建物の立地と重なるので、おそらくこの建物が旧・上野公衆食堂であったとみて間違いなさそうだ。
       市内の食堂は店によって利用頻度に差が生じて、閉鎖に追い込まれる食堂もあったらしい。上野食堂も何らかの理由で食堂の役目を終え、変転を経て最終的に労働相談所として利用されるようになったようである。

       公衆食堂は、関東大震災以後の復興事業として大正14年に10か所が建設されたという情報もあり、また上野食堂については昭和5年に新設されたとの情報もみられる(*2)。もしや建物はこうした時期のいずれかを節目に、当初の建物からRC造に建て替えられたのであろうか。
       建物の設計が「下谷兵事会」とあるが、これがどういうことなのかは判らず、謎のままである。
       なお、上記の内容と同様の推測が、ブログ「ぼくの近代建築コレクション」の中で既になされている。
       今や推理の範囲でを出ないとはいえ、公衆食堂の歴史を証す建物のひとつが既に失われてしまったことは、大変残念である。


        *1:『下町文化』No.247(市民の食生活を支えた市設食堂) 参照
        *2:
      ブログ 宮沢賢治の詩の世界」(大正期東京市の「公衆食堂」) 参照


      2012.10.01 Monday

      矢板市庁舎

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        1962年,栃木県矢板市,佐藤武夫,現存(撮影:2011年)

         昨年、仕事で栃木県の矢板市庁舎に行った際、大胆に伝統的な木造架構を表したRC造の庁舎に目を奪われた。架構の表現は内部まで徹底していた。帰って調べてみたら、あの旭川市庁舎(1958)をはじめ大津市庁舎(1967)など、優れた庁舎建築を世に送ったことで知られる佐藤武夫の設計によることが判った。
         そうと知るや私にとって、佐藤武夫と木構造の関連で思い浮かんでくるのは、昭和25年に流失した錦帯橋の再建への参加である。
         ある記事によれば、佐藤は錦帯橋の再建にあたりコンクリートの構造体で再建し木造に仕上げる考え方に反対し、旧来の木構造で再建すべきと主張したそうである。

         私は学生の頃、そうした考え方で再建された錦帯橋を見学したことがある。優美さを湛えた木造橋に近寄って見たところ、裏側はまるで複雑な機械のような鋸状の構造体で占められており、むき出しの迫力に益々感動した。
         
         矢板市庁舎の新築の場合、木造に対する捉え方はどうであったのだろう。もちろん錦帯橋のような復原工事とは異なり、ここでは自由な造形が可能であり力点が置かれたであろう。私には、まず木構造の力の流れに倣い、また架構をそのまま露わにすることによりRC造の可能性を探った建築と感じた。そして1960年代初頭のこと、地方都市における木造の伝統を感じ取り、構造合理性と調和させてゆくことに対する関心は、決して小さなものではなかったように思われた。

         
         (左右2枚:錦帯橋 撮影1981年)





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