浅草六区の映画館
◆1982年撮影、浅草六区の映画館
その昔、浅草六区は映画館が軒を連ねていた・・・もしやそのように伝説めいて語られる日が来てしまうのだろうか?。最近、最後まで残っていた「浅草新劇場」,「浅草名画座」,「浅草中映劇場」が今年10月21日を最後に閉館されたことが報ぜられた。その後どうなるのかは、今のところ明らかにされていない。
さて、ここに掲載したのは、右下の2枚(昨年末撮影)を除いて1982(昭和57)年に撮ったありし日の写真である。学生だった頃、確かF先生の設計の授業が突然休講になってしまったので、仕方なく浅草にでも写真を撮りに出掛けようかと思いついた時のもの。今更、先生に感謝。
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冒頭の画像は「浅草新劇場・世界館」。1937(昭和12)年、加藤秋の設計による。
既に昭和初期に建てられた映画館はほとんどが消え、戦前からの映画館としては恐らくこの浅草新劇場だけが、右の画像のようにパネルで覆われた状態で残っているようだ。覆われたパネルの内側に、本来のタイル貼りの外壁とともにテラコッタの装飾や女性像が眠っているのだろうか。もしそうなら救いの手が差し伸べられれば良いのにな、などとつい思ってしまう。
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そこから雷門通りに向かって少し南下すると、最近まで右のようなネットで覆われた建物が見えていた。ここはかつて「大勝館」が建っていたところである。
「大勝館」は1908(明治41)年に開館した映画館であるが、さらにその前身は「第一共盛館」という玉乗り興業を行う小屋であったとのこと。
時を経て戦後1971年に廃業、跡地にはボーリング場が建てられた。しかしそれも閉鎖され放置状態となった。2001年からここで一時期「浅草大勝館」として興業を行ったが再び2007年に閉鎖、右の画像はその最後の姿で、今年になって解体された。商業施設が建つらしい。激しい流転の歴史だけは今も昔も変わらない、ということだろうか。
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下は「富士館」の外壁。1927(昭和2)年、僊石政太郎の設計による建物。建築当初の全体像はここで見られる。
「富士館」の起源は1908(明治41)年、日活の封切館であったそうだ。戦後は「浅草日活劇場」と改称し興業を続けたが、1973(昭和48)年に閉館した。その後も新世界のキャバレーがここに入って営業したということなので、写真にも新世界の看板文字がみえる。
現在のパチンコスロット・パンドラの辺りに建っていた。
拡大してみると女性像のレリーフ装飾が施されており、いかにも昭和初期らしい(下図)。
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以下、一連の「東京クラブ」,「トキワ座」,「浅草ロキシー」は1991(平成3)年に閉鎖され取り壊された。現在ROX3(建替え中)のある辺りに建っていた。
これらはもともと根岸浜吉が創業した根岸興業部による劇場群であり、映画を含め浅草オペラなどその時々の流行の興業を行った。しかし関東大震災以後は不振となり松竹の傘下となったとある。
下の写真の3館はいずれも成松建築事務所の設計によって、1931(昭和6)年に建てられたものであり、建物どうしが内部でつながっていたとも言われる。他に成松建築事務所は国際劇場を設計している。
下の「東京クラブ」は元々1913(大正2)年の開業、その当初から映画上演専門であった。
当初「常盤座」と称していたこの劇場は、「道化踊」興業のために根岸浜吉による根岸興業部が1887年に開業した浅草六区最初の劇場であり、浅草オペラ発祥の由緒ある小屋であったそうだ。ただ、「道化踊」が何なのか私には見当もつかない。もちろん下図の昭和期の建物は、それより後の浅草オペラ衰退以後に活躍した建物ということになる。また、片仮名の「トキワ座」となったのは1965年とのこと。
「浅草ロキシー」も、当初は「金龍館」として1911(明治44年)開館した。開館早々映画「探偵奇譚ジゴマ」が大ヒット、また浅草オペラの多くがここで上演された。昭和期に入ると下図の建物で主に洋画が上演された。戦後1946(昭和21)年に「浅草ロキシー映画劇場」、1983(昭和58)年「浅草松竹映画劇場」と改称された。
以上、浅草の劇場、映画館の歴史情報の多くはWikipediaに負っていることを付け加えます。
おしまい。
横須賀の街並み(2)
✱2012年 昭和の残り香
金星劇場−肩の力を抜いて気楽に昭和30年代の風情に浸りたいとばかりに行ったのだが、外観を見るなり、やはりこの迫力には圧倒されてしまった。それは駅に近くきれいに整った千日通りの繁華街で、たった一軒堂々と孤高を保っているためだろうか。以前素通りしてしまったと思い、気が付いて慌てて行ったのだが、どうやらそれは「既視感」。閉鎖された建物を眺めつつ、開館中であったならば中に入るのにはかなり勇気が必要だったかもしれない、などと思ったり・・・。
その沿革に目を通せば、戦後ストリップを行うキャバレーであったのを昭和30(1955)年にニュース映画専門の映画館に改装、その後成人映画の映画館へ変遷を辿ったとある。今や、これだけ濃い映画館の建物も珍しいのでは?
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昭和初期からあるといわれるお店が目を引く(下)。でも看板の横文字を見れば、それは戦後に英語圏の客を意識して作られたもののようにも思えてしまう。
文字も絵柄も左官のコテ仕事で浅く浮き上がるように造形されているので、消えることがない。時計はいつから12時20分を指し続けているのか。
薄く色褪せた表面の仕上げ材が、かえっていい味を出している。
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大滝町辺りにおいて、大通りから山の側に折れると大滝町名店ビルがある(下)。昭和31年(1956年)年開業したそうで、表通りにあるもっと規模の大きな三笠ビル商店街よりも3年ばかり先に建てられた。横須賀に住んだこともない私なのに、外から見ると、どういうわけか子供の頃母親に連れられて買い物に出掛けたアーケード街や市場の雰囲気がよみがえってくる。2階以上はまさに昭和の飲食店街。
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ちなみに、この建物のある通りをさらに少し行き坂を上ると、「聖ヨゼフ病院」に至る。湾曲した立面が美しいこの病院は戦前の「海仁会病院」であり、分離派の建築家石本喜久治の事務所で設計された。またそれは詩人として知られた立原道造(彼は帝大建築科を卒業し同事務所に在籍した)が設計に関与したという意味で唯一の遺構でもある。
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古き日本的な部分とアメリカンテイストが混然一体の街である。(大滝町付近にて)
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最後に記しておきたいのは、横須賀市街地近郊「柏木田」にかつて存在していた遊郭街の中で、その名残りをとどめていた唯一の建物「福助ホテル」のこと。看板のキッチュでエキゾチックな印象に負う部分が大きいのだが、建物の雰囲気も良かったようで様々なブログに掲載されている。日本では他にお目にかかれない部類かもしれない(私個人的には、ここでアーサー・キットの曲、例えば「SHO-JO-JI」辺りを聴いたらぴったりくるような・・・とか)。
しかし、つい数か月前に建物は取り壊された。気が付いた時には遅かった。せめてもの救いは、FACEBOOK上などで記憶をつなぎとめる動きがなされていること。
以上、脱臭され美化された過去を愛でるのみ、その後ろめたさを省みず、ただ書きました。
横須賀の街並み(1)
✱1990年 ドブ板通りとその周辺
これらは再開発が施行され旧状が消える直前の、ドブ板通りとその周辺。営業を一旦中止する店が多く店舗のみがぎりぎり残っていた頃、たまたま行って撮ることができた店構え風景である。こうしてみると旧い通りは、現商店街と比べれば、やはり自然に発生した街並みという雰囲気が色濃いように思えた。
現在のドブ板通りはミリタリーショップなどを中心に、どちらかと言えば日本人の若者の店としてなお活況を呈している。
横須賀市本町1〜3丁目の全長300mあまりの商店街を、通称「ドブ板通り」と呼ぶ。正式には「本町商店会」というらしい。戦前は日本帝国海軍の軍港街門前として、また戦後はアメリカ進駐軍そして駐留軍のための土産物屋,バー,飲食店,肖像画店,テーラーショップなどが集まり栄えた。
ドブ板通りの名の由来は、かつて道の中央を流れていたドブ川を、邪魔なので海軍工廠から提供してもらった鉄板で蓋をしたことによるのだそうだ。もちろん現在では蓋は無い。
上2枚はダイヤモンド・パッチと読める昭和26(1951)年に開業した老舗のショップ。場所を移動し店舗も建て替え、現在も営業中。なるほど色とりどりでカッコいいパッチにふさわしいお店である。
右上のカドの店は肖像画のお店。かつて横須賀には肖像画店が多く集まっていたそうである。アメリカ兵のお土産用として、家族の肖像、恋人の肖像など写真一枚あれば注文に応じた。アメリカ兵から依頼を受けたものの、戦地へ赴いたのかそれっきり引き取られることもないままになった作品も多いという。横須賀ならではの悲話。
この肖像画店は再開発による移動後も営業を続けていたが、2010年に店頭営業についてのみ一旦終止符を打った。ブログをみつけた。
左上のバーは今でも同じところで営業しているようだ。店名も店構えも変わったようではあるが。
上の写真は、現在では汐入駅前の横須賀芸術劇場が立地する辺りか。
上はミリタリーショップ。今も昔も変わらず繁盛の様子。
看板風景全般的に言って、日本瓦など和風の住宅であろうと構わずアメリカンなセンスの看板が付いている。この対比がいい。
これらは国道16号線沿い。GOOGLEで探したら緑色の縁取りの建物は健在の様子。別のテナントが入っている。
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- 収蔵庫・壱號館
- ここは本家サイト《分離派建築博物館》背 後の画像収蔵庫という位置づけです。 上記サイトで扱う1920年代以外の建物、随 時撮り歩いた建築写真をどんどん載せつつ マニアックなアプローチで迫ります。歴史 レポートコピペ用には全く不向き要注意。 あるいは、日々住宅設計に勤しむサラリー マン設計士の雑念の堆積物とも。
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