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    2013.03.26 Tuesday

    渋谷区総合庁舎と渋谷公会堂

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              1964年,東京都渋谷区,建築モード研究所,現存(撮影:2013年)

      ◆1960年代の公共建築(6)
       渋谷駅周辺では大規模な再開発が始まった。そこで私も約2週間ほど前に旧東横線渋谷駅(坂倉準三,1964)や東急東横店東館(旧東横百貨店,渡辺仁,1934)を撮りに行き、さらにその足で渋谷区総合庁舎と隣接する渋谷公会堂に向かった。なぜならここでも建替え計画が報じられているからである。

       終戦後に作られたアメリカ占領軍の家族用住宅ワシントンハイツの返還により、これらの建物はその跡地の一部に建てられた。竣工した1964年は東京オリンピック開催の年でもあり、まず渋谷公会堂は重量挙げの競技会場として使われたそうである。
             
       さて設計を行った建築モード研究所とは、高橋武士が設立した設計事務所である。高橋武士は日大を昭和11年に卒業しA・レーモンドの事務所に就職、入社時点では構造設計者として採用されたそうである。(*1)終戦後は東京都建築局に在籍した。当時の戸山ハイツ近くに建てられた近代的モデルスクール西戸山小学校(1951年,現存)の担当者として名が記録されている。あるいはそうした役職中、メーターサイズの石膏ボードの製造を要請したという話が某建材メーカーの社史に残る。
       また、正三角形平面がユニークな日比谷図書館(1957年,現存)の設計者として知られており、建物全体を大胆かつ明快な形状とする方向性はこの頃既に芽生えていたようである。その後独立し「建築モード研究所」を設立、これらの建築をはじめ多数の公共建築を手掛けた。
             
       渋谷区庁舎の長大な緩くカーブした外壁面は、誰の目にもユニークかつ迫力ある外観に映る。これは私の想像だが、おそらく区のシンボルとして建物を表現するにあたって、中心に高い塔を建てるといった様式的で垂直指向の古臭いやり方によらずに、逆に、水平的で流れるようなダイナミックな迫力を、新しいシンボリックな表現と考えて適用したのではないだろうか。どうもこのアイデアはお気に入りだったらしく(?)、後の他の庁舎でも同様にカーブした外壁が用いられた。
       内部に貼られたブルーのタイルが美しかった。そういえば「新幹線ブルー」が話題となった東海道新幹線の開業も1964年であった(直接の関係は無いであろうが)。
                           
       上の時計はもしかして「日の丸」・・・?     下は二つの建物をつなぐ部分。
                           
       渋谷公会堂については外から見たのみであったが、区庁舎と造形的にコントラストをなすような印象を得た。しかしキャノピーが曲面状となっていて共通部分もある。通り側の立面は、どことなく日比谷図書館の道路側立面を思い出させた。
       なお、1960〜70年代にかけて、ここで多くの歌番組などが収録された。建物を見上げてしみじみ感慨にふけるオヤジ世代でありかつ田舎者である私自身を確認した。もっともこうして見ているのは、2005年に改修が施された後の外観なのであるが。

                 

                 



        *1:「私の受けた建築教育」(高橋武士,『建築雑誌』Vol.91 No.1106 S51.4)

      2013.03.25 Monday

      春日部市庁舎

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              1971年,埼玉県春日部市,建築モード研究所,現存(撮影:2012,2013年)


         埼玉県にはその緩やかな湾曲面によってひときわ目を惹く庁舎がある。ある日、春日部市庁舎の外壁面が東京都渋谷区の区庁舎に似ていることを思い出し、気になったので調べてみたところ、やはりと言うか、高橋武士の建築モード研究所の設計であることがわかった。渋谷区のそれから7年後、1971年竣工の建物であった。  
                  
         明快な形状をもって忽然とそそり立つ迫力は相当なもので、そういう意味だけで言えば、その印象は日本版のブラジリア・・などと言ったらたとえが過ぎようか。
         掲載誌『建築界』には担当者による解説が記載されている。敷地は夜になれば蛙が鳴いていそうな一面田圃であったとのこと、当時こうした田園地帯が開拓されていくことに複雑な心境もあったそうである。そんな中で、「発展する市のシンボルでなければならず、またこの風土に調和し超克するものでなければならない」(*1)との思いで計画が進められたことが書かれていた。
                          
         建物の外観はどの角度からの視線にも耐えるよう、考えられている。曲面を随所に取り入れ巧みに分節されたディテールの妙や、窯変タイルなど材料の取り入れ方の巧さによって、そうしたオブジェ的な美しさがかたち作られているのかもしれない。
                               

                          
         正面の湾曲したウィングの裏側には低層の議会棟があり、PC版を用いた軽快な外壁面がタイル面と好対照をなしていた。そして内部の地下食堂から日本庭園を眺められるように作られていたそうである。
         良い建築に巡り合えたという満足感に浸りながら春日部を後にした。
                       
                
                     

                          


          *1:『建築界』1971年5月号,P.15

         
        2013.03.12 Tuesday

        松戸市民会館

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          1964年,千葉県松戸市,石本建築事務所,現存(撮影:2012年)

          ◆1960年代の公共建築(5)
           石本建築事務所により1964年に竣工、事務所創設者石本喜久治が逝去した翌年の建築である。
           プラネタリウムや1212席のホールなどを備え、現在もおおいに利用されている。

           さて石本喜久治といえば分離派建築家として、旧朝日新聞社本社屋(*1)や白木屋百貨店を世に送るなど、今日言われるような「アトリエ派」建築家の元祖的存在ともみられる。しかし戦後になるとアメリカ式の経営方式を取り入れた話が伝わるなど、仕事場を大規模な組織設計事務所として整えることに成功した。これには長野八三二の経営手腕によるところが大きかったと聞く。
           松戸市民会館が建てられた頃には、庁舎など公共建築を多く手掛ける体制は既に軌道に乗っていた。(因みに松戸市庁舎も石本建築事務所の設計(1969)である)
           そういうわけなので、この時期の建物を考るならば、個人の作家による建築作品としてその評価云々・・・という見方よりもむしろ、まずは戦前から続く建築事務所スタイルを変貌させた成果としての建築事例として見るべきなのかもしれない。

           東京のベッドタウン松戸市ではその近郊に常盤平団地が1960年に入居が開始された。この市民会館はその数年後に駅にも近い市街地に建てられた。
           もうひとつの見方として、1960年代の建築として、これは高度成長期に各地に設けられた多くの多目的ホールの典型、いや好例と捉えることができるかもしれない。
           とかく機能の充足と効率性だけの無味乾燥な建物が蔓延した当時の一般の風潮にあって、何かしら一歩踏み込んだ思考がな
          されているようでもある。大胆なピロティなど近代建築の語彙と共に、あるいは仄かに日本的な設計者の個性などを刻み込みながら、人間の使う器として建築の針路をきちんと定めようとしているようでもある。特にコンクリートに穿たれたちょっとした造形を眺めているうちにそう思えてきた。ひとりのスター建築家は失われても、擁されていた何人もの設計者の気概は、むしろ盛んに息づいていたに違いない。 
                     
                     
                         


           
           *1:アトリエ派的と言ったけれど、これは実際には竹中工務店において担当した建築


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