国立競技場周辺,明治公園散歩
前回聖火台の話題を書くために国立競技場を訪れた後、新しい国立競技場が建てられたら見られなくなる風景もあるのではないかとばかりに、今更かもしれないが、競技場周辺を少し散策してみた。
遡れば、明治神宮外苑は明治天皇の遺徳を伝えるため、聖徳記念絵画館を中心にスポーツや芸術文化普及の拠点として、旧青山練兵場跡地に各施設が整備されたことが、この地域の特色を形作る源泉となった。
現在ある正式名称「国立霞ヶ丘競技場」は1958年に建て替えられたものであり、それ以前には1924(大正13)年竣工の「明治神宮競技場」があった。(あの学徒出陣壮行会はここで行われた)
さて、周囲を見回すと競技場をとりまくように、オリンピックの開催に合わせて整備された「明治公園」がある。ちょうど競技場の観客のたまり場のように広がる空地として機能しているようである。ただ競技場と公園のデザイン的な統一感はあまりなく、その点では代々木競技場や駒沢競技場とは異なる。その代りに歴史を感じさせるものが「点」として存在しそれを発見する楽しみがあるようだ。
まずは1964年東京オリンピックの勝利者の名を刻んだ国立競技場の正面(↑)。オリンピックの開催を記念する最も明確なモニュメントであろう。
芸術文化普及という神宮外苑の目的と共に、さらに美と力を両輪として尊ぶ古代オリンピックの考え方を反映したためであろうか、彫刻などの芸術作品がそこかしこに数多く展示されている。
下にそのうちの一部を挙げてみる。(左:《よろこび》寺田作雄,中:《青年の像》朝倉文雄,右:《健康美》北村西望)(*1)
競技場の周りにあるバタフライ屋根の建物が、ちょっと昭和の雰囲気を醸し出していた(↓)。「神宮外苑サイクリングセンター」、1968年に開設されたとある。
明治公園のうち霞ヶ丘広場と呼ばれるエリアには、このような半円形の大きなパーゴラがあった(↓)。公園として整備された頃のものであろうか。ここは都心部には貴重な広場で、フリーマーケットなどで賑わうという。
もう一方、国立競技場西側正面に接する明治公園は、和風庭園の趣きがある(↓)。その少し鬱蒼とした雰囲気の中に「クーベルタン男爵」の石碑や「嘉納治五郎」の石碑があってオリンピック開催の歴史を伝えている(↓↓)。
明治公園の霞ヶ丘広場に隣接する一帯は都営霞ヶ丘アパートである(↓)。1960年代前半に建設されたというから、ここもオリンピックと同時期に整備されたエリアということになる。昭和30年代的な空気濃厚な雰囲気に出会い心も癒されたと言いたいところだが、実はそんな呑気なことも言っていられないことが起こっている。
新しい競技場を建設するにあたって、コンペの段階で示された設計のプログラムには、住民が暮らしているこの霞ヶ丘アパートの敷地を、新しい競技場をとりまく滞留空間とするために移転つまり取り壊すことが既に決められていたそうだ。住民への十分な説明が無く理解も得られないままの決定であったようである。もしそれが本当ならば、住む人の身になるならば恐ろしい話である。知らない間に一方的に退去させられることが決まっていたとしたら・・・。
事態は恐らくこのままでは済まされないのではないか、と心配する。
*
以上が私の拙い競技場周辺の風景録だが、このこととは別につい先日発刊の槇文彦氏のJIAへの寄稿「新国立競技場案を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」(*2)を読んで心を揺さぶられた。ご参照されたし。偉そうなことを言うつもりはないけれど、他人事ではなく自分のこととして多くの人が行動するならばまだ間に合うのかもしれない、という気持ちである。
1:そういえば先日、1936年のベルリンオリンピック芸術競技彫刻部門優勝作品(《ハードル走者》E.シュトール)が、どういうわけか日本の秩父宮記念スポーツ博物館にあるのを見て驚いた。
*2:JIA(295 2013年8月)
青木町公園の「聖火台」
1958年,埼玉県川口市,現存(撮影:2013年)
つい昨年のこと、金メダリスト室伏広治氏らにより国立競技場の聖火台磨きが行われるなど、製作時の逸話と1964年東京オリンピックで思い出深いこの聖火台がクローズアップさているようだ。また新しい国立競技場の建設を前に、聖火台の去就もにわかに気になり始めたところである。
実は、そんな国立競技場に据えられた聖火台と瓜二つのレプリカが、この写真のように埼玉県川口市の青木町公園に記念のオブジェとして置かれている。川口といえばこれらの聖火台を製作した鋳物職人が活躍した町であり、およそ以下のような鋳物の町川口の誇りとも言えるエピソードが残る。
今から50有余年遡る1958年のこと、アジア競技大会と東京オリンピックの開催に向けた聖火台の製作を、当時の川口市長が鋳物の町の名誉にかけて引き受けてしまった。とはいえ2mを超える巨大な聖火台の製作は技術的に未知の領域、これが出来るのは鋳物の名工鈴木萬之助氏しかいないということになり、引き受けた萬之助氏は全身全霊を込めて製作に取りかかった。
ところが名工をしても湯入れの段階で原因不明の爆発が起きてしまい製作に失敗、萬之助氏はショックのあまり倒れ込んでしまった。そこで息子の文吾氏が後を受け、全くの不眠不休で再製作に没頭、その間、父が息を引き取ったことも知らされないまま見事に完成、納期になんとか間に合わせて聖火台を国立競技場の高みに据え付けることに成功した。息子文吾氏は再度失敗したら死ぬと覚悟を決めて再チャレンジに挑んだという。
父萬之助氏の作として名を刻んだ聖火台は、立派に東京オリンピックの聖火を灯し続けた。名人親子の執念のリレーや天晴れ!というわけである。(下は、萬之助と文吾氏(いずれも故人)を顕彰する碑の写真(青木町公園))
さて、冒頭の写真のような青木町公園の聖火台を、先にレプリカだと述べた。しかしいくつかの情報によれば、ここにあるものこそが萬之助氏が手掛けたオリジナルの作ととも言えるのかもしれない。なぜなら、これこそが損傷し完成に至らなかった萬之助氏の手になる聖火台であり、後にきれいに修復して公園に展示したものだそうだからである(*1)。私が見た位では修復の跡など全く分からなかったのだが、実に見事な鋳鉄のオブジェであった。
最後にひとつだけ気になっていることを。聖火台の製作者は上記の通りなのだが、それらのデザインを行ったのは、本当のところ一体誰なのだろうか・・・、ということである(調査不足のままで心苦しい限りではあります)(*2)
もちろん、デザイナーが誰であっても優れた造形作品であることは間違いなかろう。再度の東京オリンピック開催に向けて国立競技場が新たなデザインで生まれ変わろうとも、私としては、現在ある鈴木萬之助文吾親子製作の聖火台、すなわち日本の戦後の歴史を象徴したこの鋳物の聖火台に、末永く聖火を灯し続けて欲しいと願っている。
*1:HP《eギャラリー川口 川口談義第3回「伝説の鋳物師」》中の鈴木文吾氏による証言:「・・・その駄目になったやつ(聖火台)が、今、川口の青木(公園、陸上競技をするところがある)に飾ってあるんだよね。・・・」がある。
他に、WIKIPEDIAによる「・・・文吾は、もし自分まで失敗したら腹を切って死ぬつもりだったという。 この聖火台は文吾の手により父の製作者名が入れられ現在も国立競技場に置かれている。萬之助の聖火台も修繕をへて作業場のあった川口市に置かれている。」と書かれている。
*2:ある陶芸家の名が挙がっているようである。またある所ではある著名デザイナーの名も見えるようだが・・・。
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